代償
【雪山岳】
「ぐっ……!」
彼等は疾駆していた。
周囲の光景とは一変した、豪炎の大地を。
白銀の世界とは隔絶した、紅蓮の世界を。
「ち、ィッ!}
輝剣と双牙の激突は衝撃波を生み、幾多の斬撃を刻む。
刃は頬を、弾は肩を。疾駆しつつ殺意を交わし合う彼等はただ、魂を削り合うばかり。
「風駆・二十四式ッッ!!」
ゼルの首筋、頸動脈を喰い千切る刃。
紅蓮の世界に融け込むが如く噴出する血流は刹那の後に光と共に蒸発し、消え去る。
返す刃が如く振り切られた斬撃はネイクの先腹を裂き、臓腑を飛び散らせる。
然れど、振り切られた牙は飛び出た臓腑を切り裂き、割れた脇腹は異質な速度で回復する。
最早、削り合いだった。互いに何処まで殺しきれるかという、削り合い。
致命傷は掠り傷。決死は常識。殺意は必然。
「何が貴方をそこまで動かせるのです、ゼルさん」
「その言葉、そのまま返すぞ、ネイク}
光速の剣はネイクの頬を跳ね飛ばし、歯骨を剥き出しとする、が。
刹那にして皮膚は回復し、刻印浮き上がりしそれが蘇る。
風絶の牙はゼルの眼球を抉り殺し、脳髄を露出させる、が。
一瞬にして眼球の繊維は収縮し、深緑の瞳を再生させる。
「私には役目がある。故に、退けません」
「戦渦に人々を巻き込み、血肉を流させる事がか? 嗤わせてくれる}
「貴方は知らないからそんな事が言える。……いや、私もそれを知らなければ、或いは貴方に賛同していたかも知れない」
疾駆は止まらない。
然れど、彼等の斬撃と銃撃は刹那の停止を見せた。
彼等の疾駆はただ一方向へ向かう。止まるはずなど、なく。
「……お前は何を知っている。お前は、お前達の目的は何なんだ}
「私も知りたいんですよ。……世界とは何なのか、何を求むのか。神とは、何なのか」
「……神?}
陳腐な表現ですがね、と。
彼は吐き捨てるように苦笑を見せた。
だが、それが事実であり根禍であり、理由である、と。
その言葉は紅蓮の最中に焼き切れ、消えてゆく。
火を猛らせるは未だ怪訝を捨てきれぬ、ネイクの瞳。
「世界は、人の世界は、我々が護らなければならない」
例えその最中で幾多の犠牲が出ようとも、自分達が横取りという一手を取る卑怯者だとしても。
この牙を持って、成さねばならぬ。例え一時は戦火で全てを焼き尽くそうとも、自分は。
「……お前は}
神だの、世界だの、知ったことじゃない。
お伽噺か幻想話か、どちらにせよどうでも良い。
見逃せないのだ。世界を救う等という、人の世を救う等というお伽噺も幻想も結構。
然れどその仮定で戦火に焼かれる者達を、見逃すことなど、出来ないのだ。
「それを、認めたのか}
この男は聡明だ。その結果が、その確実性が不安定である事を解らないはずがない。
水面の泡沫が如く、いつ崩れるか解らぬ物であると理解出来ぬはずがない。
ならば、何故。そんな物を認めたのか。
この男が、それをーーー……。
「人間、百年も生きられません」
静かに、呟く。
「なら、私ははその人生の中で一人の人間に嫌われても良い。一つの国に嫌われても良い。一つの世界に嫌われても良い。……だけど、自分にだけは嫌われたくないんです」
猛る戦火の中に消え去るような、言葉。
彼の苦笑の中にあったのは殺意でも、戦意ではない。
ただの、諦めだった。
「……死を、望むか}
「いいえ、罰を」
剣と牙の激突は猛る火炎を弾き飛ばす。
可視の領域を絶す斬撃と弾丸。ネイクの片腕を弾き飛ばす斬撃、ゼルの片足を撃ち抜く弾丸。
ネイクの脚撃はゼルの頭蓋を抉り脳の一部を弾き飛ばす。ゼルの斬撃はネイクの腹を喰い千切り臓腑の半分を消し飛ばす。
然れど止まらず、然れど死せず。彼等の身体は光輝の、刻印の元で全てを再生させる。
その様は最早、死を赦されぬ地獄にさえも。
「風駆・六十六式ッッ!!」
ゼルの四肢を、喰い千切る。
弾丸と双牙の連撃は彼の骨肉を穿ち神経を切り裂いた。
否、止まらぬ。未だ残るその肉体を喰らい尽くすが為に、まだ。
「させるかァアアアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!}
音も、光景も、全てを切り裂く輝剣。
直突に振り抜かれた剣はネイクの眉間を裂き頭蓋全てを破す、はずだった。
「風駆」
頬を、斬り。
空を、裂く。
「なっ……」
僅かに、逸れた。
一撃となるはずだった、斬撃は。
ネイクの冷徹な眼光の端へ、消える。
「百式」
再生は、間に合わない。
牙による喰撃と弾による銃撃。
交差するそれらは一縷として生の暇を与えず。
再生は、間に合わない。
決して、間に合わない。
「ーーー……死}
ゼルの視界が暗転する。
それが死であることを彼は理解していた。
幾多の戦場の中で何度も眼にしてきた物であると。
戦場という世界に一度足を踏み入れた以上、必ず訪れる物である、と。
彼は、理解していた。
「……あぁ」
故に、解らなかった。
暗転した視界は徐々に光を取り戻す。
死を迎えるはずだった自身の運命は、再びその道を示したのだ。
何故か、それは何故か。
「悔しい、ものです」
眼前で、静かに、微笑みながら崩れゆく者。
眼球から血涙を流し、口端より鮮血を溢れ吐く、者。
最早限界だった。技術だけでは埋まらぬ溝を無理矢理埋めたが故の代償。
恩恵を遙かに超える代償は彼の身体を刻々と蝕んでいた。
その限界が今、訪れたのだ。
「……ネイク}
最早、息はしていなかった。
最後の抵抗は彼にとっての懺悔だったのだろう。懺悔であり、後悔だったのだろう。
戦乱の最中を駆けたその男が残せる、たった一つの。
「……っ}
ゼルはその骸に別れを告げることはない。
或いは、埋めてやることさえ出来はしない。
敵だとか時間だとか、そんな理由ではなくて。
ただ、自分が間もなく彼と同じ運命を辿ろうと、何ら不思議では無かったから。
彼の死に顔が、ただ虚しきその表情が。
自分の歩むべき道に待ち受けている物だと、知っていたからーーー……。
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