その者刃を拳として
「……」
彼は静かに雪原を踏む。
踵から爪先まで、雪地を潰すように。
静かに、歩む。刃の切っ先より紅色の雫を流しながら。
散らばりゆく漆黒の甲冑を背に、歩む。
「……妙だのぅ」
「…………」
対するオートバーン、そして道化師。
二人は互いにその青年へと拳を向ける。
「むぅ、アレは……」
その青年から脅威は感じない。恐らく実力差で見れば自分達の方が遙かに上だろう。
しかし、解る。迂闊に飛び込めばただで済まぬという恐怖。
不意打ちに近いとは言え、あのデューを斬り殺したのだ。
警戒ーーー……、いや、それ以上の物が要るはずだ。あの青年と、戦うべきではない。
「あのような青二才、尻を使って調教するのが一番早いのだが……」
「…………」
道化師から露骨に流れ出る不快感を受け流しつつ、オートバーンは眼前へ一歩歩み出す。
どうすべきか、と。そう思考した結果、彼が出したのは足止めという答え。
この場で自分が退けば兵士達が犠牲になる。あの男は誰彼構わず斬り殺す爆弾だ。
せめて、その爆風から部下を護るのが力有る上官の役目というものだろう。
「……俺を、見逃すのか?」
歩み出たその足を止める道化師の言葉。
オートバーンは応とも否とも答えない。その足を引き摺るように、再び歩み出す。
ただ岩をも砕くような掌をぶらぶらと振りながら、その背で答うのみ。
「……」
道化師はその背に何か言葉を投げかけようとはしなかった。
言うべき事は先程全て言った。ならば他に何を言おう。
あの男が覚悟を決めたように、自分もまた、貫くべきだ。
信念を、護るべき、信念をーーー……。
「さて、貴様の相手は儂となる」
刃の鎧纏いし、その大男。
彼は豪腕を組みて青年の眼前へと歩み出す。
優に倍は身長差のありそうな二人が並ぶ光景は異様とさえ言える。
然れど、双方の殺気に倍などという差はなく。
「貴様のような若造は下の方が弱いのよ。こう、突っ込みながら扱くとな」
下卑た笑みを浮かべながら手を動かしてみせるオートバーン。
然れど青年、シンは眉根一つ動かす様子すらない。
否、その表情に生気がないーーー……。こちらの言葉は耳に入ってこそ居るが、届いては居ないのだろう。
空洞の虚ろが如く、通り抜けるばかり。
「詰まらん」
戦人ならば戦場で交わし合う言葉に喜々として応対すべきだ。
それは遺言であり礼儀。それ即ち相手の魂を背負うべき儀式。
成さぬは無礼。その魂を軽んじる行為に他ならない。
「故に」
刃の鎧は、その拳の先へ流動していく。
その様は正しく生物。刃一片残さずして鎧は拳を覆う手鎧となる。
否、手鎧と言うには語弊があるだろう。籠手でもなく、手甲でもない。
鎧にして刃、刃にして鈍器、鈍器にして鎧。
殴る、と。その一点にのみ特化した形状。
「目覚めよ、豪破漢之装。愚かなる若造に生き様という物を叩き込んでやろうではないか」
オートバーンの全身に奔る血脈の躍動。そして生命という蝋を溶かす灯火。
然れど止まらぬ。その男は、止まることなど、ない。
「……」
先に仕掛けたのはシンだった。
疾駆。雪原に痕跡一つ残さぬ、跳躍に近い疾駆。
オートバーンの意識外。回避も防御も成せぬ一撃。
故に避けない。故に防がない。
オートバーンは一切の回避と防御を行わなかったのではなく、全てを捨て、受けたのだ。
刃一閃。肩先から腰元までの一撃。骨肉と臓腑を切り裂きて、銀は紅色を喰らう。
「ぬぅうぅうううううううううんッッッッッッッッッッッッッ!!!」
だが、だ。
その男、破砕という一撃に全てを賭ける者。
回避も捨てた、防御も捨てた。
然れどその一撃、捨てることは無し。
「ッッ……!!」
シンの身体は撥ねた。
大凡、数ガロという距離を撥ねて撥ねて撥ねて。
地の果て、海面まで叩き込む。
「……!」
自身の撥ねた痕に残るのは白き雪煙、幾多の地割れ。
魔剣が無ければ、その身が形を保っているはずなど無かっただろう。
たった一撃でこの威力だ。連撃など喰らった暁には大地ごと自身が破砕されるのは違いない。
「愚か者めが」
白き煙の、歩む。
眼光は唸りを放ち、歩みは恐怖の権化と化す。
一歩は破砕、二歩は殺意、三歩は覚悟。
その男の歩みに迷いはなく、殺意に歪みはなく、覚悟に揺らぎはない。
「っ……」
魔剣という絶対的な武器を手にしたはずのシンは、恐怖していた。
何故かという思考はない。相手を斬り殺せという命令のみが頭の中で呼応する。
だと言うのに、その最中へ入り込む恐怖。
場数? 経験? 武器? 殺意? 違う。
そんな物の差で、恐怖など感じるものか。
あの男にはある。決して揺らがぬ、根幹が。
「魂に礼儀を払い、信念に覚悟を見せ、幾多の部下を護り幾多の敵を殺す。武人とはそう在るべきにして、戦人とはそれを目指すべきである。無闇に命を奪うことを否とは言わぬ。ただ自身の意思無く、ただ自身の覚悟無く、それを成すを否と言うのだ」
歩みは、止まる。
水面より滴る水滴を振り払いながら氷面に手を着くその者の、眼前で。
恐怖に身を強張らせるその者の、眼前で。
「男ならば、漢ならばーーー……、己の脚で立ってみせぬか、小僧」
読んでいただきありがとうございました
 




