灼炎と紅骸
「弱くなったな」
地に伏す少女の側に佇みながら、男は静かに言葉を零す。
幾ら戦おうとも二人の実力差は圧倒的だった。天と地などでは言い表せぬ程に。
太刀は拳で弾かれ、魔力の砲撃は指先で掻き消される。
[紅骸の姫]と呼ばれるに恥じぬ実力を持つスズカゼ。それを遙かに上回る四天災者[灼炎]ことイーグ。
余りに、圧倒。余りに、絶望的。
「確かに三年前に比べれば貴様の魔力は高くなった。身体能力も然りだ。剣術も俺が知る限りでは天上の物だろう」
だが、弱くなった。
彼はそう続け、指先を僅かに曲げる。
呼応するが如く振り上げられた紅蓮の斬撃は、彼の指先に添うように空を切った。
最早、剣術さえも見切られている。魔力は敵うはずも無く身体能力も比べものにならない。
殺せる要素など、万に一つも、億に一つも、兆に一つもない。
「力を持つ者は信念を持つべきだ。揺らぐ力など何一つとして殺せない」
スズカゼの咆吼と共に繰り出される幾百の斬撃。
だが、その一つとしてイーグに擦りすらしない。
否、正確には弾かれているのだ。指先一本。手の甲一つで。
「俺が殺戮という信念を持つように、闘争という嗜好を持つように。他の四天災者や俺が強者と知る者は必ずしも何かを持っている。何かを携えている。……貴様に、それはあるか?」
刃の隙間を摺り抜け、彼女の鳩尾に叩き込まれる拳。
威力自体は大した事はない。ただ携えただけの、一発。
然れど、そこから放たれる無造作にして暴風が如き魔力の奔流は。
「あるはずなど」
スズカゼ・クレハという一個人の存在を吹き飛ばすには、余りに充分過ぎる。
「ない」
スズカゼの一撃は山峰を吹き飛ばした。
だが、イーグの一撃は、大地を吹き飛ばした。
「かっ……」
残ったのは眼球より上、僅かな脳髄。
それ以外の全てはイーグによる、ある程度加減した拳撃によって吹き飛ばされたのだ。
少女は大地ごとその身を虚空に捨てられる、はずだった。
「……て、ん……ち、しんめ……、い」
ぞる、と。
生々しい何かを闇底から引き摺り出したかのような音。
事実、少女の身は紅蓮の焔に包まれ、骨肉全てを再生させていた。
脳髄一欠片からでも再生するのかという、イーグの呟きを無視して。
「災禍と称すだけの事はある」
斬撃が、空を裂く。
音を置き去りにし、光の事象すらも切り裂かん一撃。
イーグの眼球にそれは映らずとも、意識には確かに映っていた。
故に彼は弾く。指先にて、一寸の狂いもなく。弾いた、はず。
「……成る程」
指先が切れていた。僅かに、白手袋を切り裂いていた。
先程までの斬撃ならば弾くに事足りた。自身の身体を構成する、無意識下の魔力であろうとも充分過ぎる程に。
しかし、彼女はそれを上回ったのだ。先の一撃が原因かどうかは解らないが、確実に。
「喰らっているな」
原理は解らない。或いはこの小娘の中にある精霊としての性質がそれを成しているのかも知れない。
だが、彼女は確かに自身の魔力を喰らっている。元より[魔炎の太刀]を貸し与え、使わせてきた身だ。呼応力が高まっていても不思議ではないがーーー……、吸収する程とは驚嘆せざるを得ない。
尤も、それを可とするのであれば、さらに疑問が一つ湧く。
「貴様、適正がないのか」
魔力を喰らうとは本来有り得ない事だ。
相手の攻撃を吸収するにしても、その為の技術を一身に学ばねばならない。
四天災者[魔創]ほどの才能を持つのなら兎も角、この小娘にそれがあると思えないのは当然だ。
ならば、必然。彼女が属性適正を持たぬのではないかと考える。
あくまで火に関連したが故に、自分が[魔炎の太刀]を渡し使わせたが故にこの適正になったのではないか、と。
「興味深い」
確かに災禍と言われるだけはある。
いいや、正しくはその器ーーー……、自分と同じく逸脱した存在に昇華する可能性を秘めた器。
あの者達が調べ上げ、確定させるだけの事はある。
「だが」
災禍と呼ばれようと、特異的な力を持っていようとも、我々の領域に到るだけの器があろうとも。
歪み過ぎた。信念もなく、死もなく、護るべき物もなく。
この小娘は復讐心のみで生きてきた。それに固執するというのなら、それでも良い。
だが、固執し切れていない。未だ何かを捨て切れていない。
それでは駄目だ、駄目なのだ。その程度では、到れない。
「駄目だったな、貴様は」
一閃、イーグの肩先を裂く。
袈裟斬り。彼の右肩から左腰元まで振り抜かれた刃。
虚空を舞う、刃。
「失望だ」
刃は折れていた。
スズカゼが振り抜いたのは違いなく脆い、刃だったのだ。
創造主に逆らいし物が、創造主を喰らう者に勝てるはずもなく。
「去ね」
拳を引く。今までただ携えるばかりだった、その男が。
鳴動するは火炎。否、業火。天地を盛んがばかりの片翼。
山峰を貫き、大地の雪々を溶かし尽くし、否、大地の草々さえ燃やし尽くし。
その片翼は、舞う。天を、舞う。
「灼炎の堕天翼」
一撃と称すのは、烏滸がましい。
それは大地を吹き飛ばすだけでは事足りなかった。北の果て、生命一つなき星の一角を焼き尽くした。
虚空の宙へ彩を奏でる一撃は論ずまでもなき、死の輝きなり。
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