その者達は災禍なり
【スノウフ国領域】
「……む?」
「あ?」
拳が、止まる。
双方の拳撃が、今までの闘争を嘘と言わんばかりに停止したのだ。
そして互いに構えを解き、腰に手を着いてーーー……、そう、何と言う事はない世間話でも話すかのような姿勢となる。
事実、その姿勢に呼応するが如く二人はある方角に視線を向けたまま停止した。
「何だ、この禍々しい魔力は」
「俺が知るかよ。つーか近くも遠くもねぇな」
「……あの場は我が軍が居る。うぅむ、今暫しここで楽しみたいのだが」
「何かお前の視線気持ち悪いし行くなら行って良いぜ。まぁ、楽しかったのは事実だけどよ」
ボリボリと鬣を掻き分け、彼は踵を返す。
最早彼等の間に生存のための闘争はない。あるのは、享楽のための闘争。
故にこの場では然程重要でない事は、理解出来ている。
「あ、そう言えば俺の仲間も居ねぇ。何処行った? グラーシャの奴」
「ウチのネイクが相手しておるのだろうよ。無事では済まんぞ」
「ま、死ねばそれまでだろうよ。それよりお前はどうすんだ」
「儂はあの禍々しい魔力を止めに行く。あの魔力は良い物ではない」
「……そりゃ結構だが、持ち場とかあるんじゃねぇの?」
「[紅骸の姫]に逃げられた時点で任務失敗よ」
オートバーンは己の腕を二度、三度と回しながらデモンに背を向けた。
彼の歩む方向は禍々しい魔力の袂ーーー……、言葉通り魔力の根本を絶つのだろう。
戦況も膠着状態に入った。別にあの男を行かせても、まぁ、問題はないはずだ。
「さぁて、俺はどうすっかね……」
普通に考えればグラーシャの援護に行くべきだ。
直感的にグラーシャが負けるはずもないと思っていたが、二人の姿が見えない事を考えるに、まぁ、多分負けているのだろう。
あの男ーーー……、確かネイクとか言った優男。確かに奴の持っていた魔具は強力だろう。それだけでなく本人の実力も相当なはずだ。
だが、それ以上にあの男の視線が、何かを孕んでいた。
「……援護」
いや、違う。
行くべきではない。
他に、もっと行くべき場所があるはずだ。
スズカゼ・クレハという、小娘の場所が。
「……あー」
運が良ければ生きている、と言ったところか。
確かにスズカゼは強くなった。聖死の司書の頃と比べれば、いいや、比べられない程に。
きっと己が本気で殺しに掛かっても容易くは殺せないだろう。
それ程の実力に加えてあの化け物染みた再生、いや、回復力だ。簡単に死にはしない。
それも枠組みの中ならば、の話だが。
「チッ、仕方ねぇか」
相手は四天災者だ。人智など軽く超越している。
例え幾らスズカゼが強くなったとしても、今頃はきっとーーー……。
【雪山岳】
「ふむ」
イーグは自身の顎下に指を添えながら、僅かに感心の声を漏らす。
三年という月日は決して短くは無い。人の生き死に、世界の変貌、摂理の変化には充分過ぎる時間だ。
無論、一個人の実力も変わるだろうがーーー……。
「歪む、か」
彼の眼前、少女の周辺に転がっていたのは幾多もの猟犬達だった。
その首根を撥ねられ、或いは四肢を斬られ、臓腑を切られ。
一匹で上級精霊を容易く屠るほどの猟犬たちが、紅蓮の元に。
「どうしました? この程度じゃ私を殺せないですよ」
殺せない、とこの小娘は言う。
確かにこの小娘は無傷だ。いいや、正しくは傷を負っていないだけだ。
首を切り裂いた。腕を千切った。脚を砕いた。腹を貫き胸を破いた。
それでもなお、死なない。不死が如くその身を紅蓮の焔を纏いて治癒させる。
成る程、確かにこの程度では殺せないのだろう。この程度、では。
「……嘆かわしいな、小娘。三年振りの会合だと言うのに、貴様は言葉を交わそうともせん。ただ見るなり斬り掛かるばかりではないか」
「言葉を交わし合うような仲でも、ないでしょう」
「いいや、我々は決して無関係ではない。少なくとも今現在はな」
こつり、と。
彼の革靴が微かに雪の積もった小石を蹴り飛ばす。
小石は微かに斜面となった雪地を転がり、スズカゼの隣を通り過ぎて山裾へ消えていく。
音もなく、何も残さず。
「俺も、貴様も。同じ存在だ」
「何が言いたいんです」
「我々は[災禍]と呼ばれて然るべき存在だと言う事だ」
スズカゼは露骨な猜疑を表情にし、眉根を深く歪めた。
その言葉の意味が解らない故に、ではない。いや、解らないという事もあったが、それ以上に感じるのだ。
酷い、不快感を。
「存在すべきではないそうだ。俺達は、な」
こつり、と。
彼の歩みがまた小石を転がす。
小石はまたしても斜面を転がり山裾へ消えていく。
ーーー……その男の笑みを見た少女が静かなる憤怒に踏み出さなければ。
「滑稽だとは思わんか」
紅蓮の刃は拳撃に弾かれる。
全力で振り抜いた一撃が、いとも容易く。
「俺達は世界から拒絶され、貴様は世界の贄となる」
少女の腹部を貫く脚撃。
幾多と広がる猟犬に散らばる臓腑。然れどその姿残すことなし。
紅蓮の袂に消え、燃える。
「それが滑稽でなくて何なのだ」
少女の視線が背後を見る。
自身の、背後を。決して有り得ぬ方向を。
ひん曲がった首は刹那にして燃え、再び元の位置へと帰った。
然れど理解するに事足りる。接近戦では余りに不利だ、と。
「……だとしても」
理解は、及ばない。
その理解が戦意の喪失には決して成り得ない。
彼女の焔が消える事は決して無い。
復讐という名の、焔が。
「貴様は私にとっての災禍だ」
紅蓮の刃は山岳一体を吹き飛ばす。
斜面は消え失せ、残るのは周囲の大地から突出した僅かな平地。
命一つーーー……、息吹一つ残さぬ、平地だった。
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