閑話[魔力熱の彼女と獣人の看病]
【サウズ王国】
《第三街北部・ファナ子爵邸宅》
「……くちっ」
「随分と可愛らしいくしゃみですね」
「だびゃっ……、黙れ」
第三街北部にある、周囲の木造の家々とは明らかに違う一件の邸宅。
そこには風邪を引いた一人の子爵位を持つ女性と、彼女を看病する獣人の女性の姿があった。
「獣人に看病して貰う必要などっ……! ごほっごほっ!!」
「ファナさん、具合悪いんですから大人しく寝てないと」
クグルフ国での一件で魔力を消費過ぎた為に、そして魔宝石から溢れた多大な魔力の余波を受けた為に魔力熱を発症したファナ。
彼女の具合はかなり悪く、立つことすらままならない程だ。
立てばふらつき、寝ていても咳が出る。
一人で療養するにしても、このままでは流石に放っておけない、とハドリーが訪れ、彼女の看病に赴いた次第だ。
「何故、私が……っ」
「こんな状態じゃ外に出ることも出来ないんですから。ゆっくり寝ていてください」
「貴様の看病など……! ひくちっ!」
「ほらほら、寝てください」
ハドリーが毛布を引き、ファナの体へと覆い被せる。
彼女は微かな抵抗こそ見せるが、とても動ける状態ではないので、ハドリーの為すがままにベッドへと寝かされた。
「今、ペクの実を砕いたスープを持ってきますから。体に良いですよ」
「うるびゃい……!」
「ほら、鼻が詰まってるじゃないですか」
ちり紙を当てられて、ファナは仕方なくチーンと鼻をかむ。
その姿はまるで反抗期の子供と慈愛深い母の姿だった。
そう、ここまでは。
「……随分と汗をかいてますね。拭きましょうか」
「!?」
「いや、このままでは熱も下がりませんし、体は冷えますし」
ハドリーは手元にあった柔布を手に取り、ちり紙をゴミ箱へ放り込む。
ベットの毛布に埋もれながら後退るファナに構わず、彼女は柔布を持ってじりじりと迫り行く。
「い、嫌だ! 嫌っごほっ!!」
「まぁまぁ。取って食うわけじゃないんですから」
「獣人などに体を拭かれる謂われはなっ……ぃ……」
急に叫んだせいで、ファナは目眩を覚える。
ふらふらと頭を揺らす彼女を逃さないと言わんばかりに、ハドリーは一気に服裾へと掴み掛かった。
「や、やめ」
「抵抗される前に脱がします」
元々、ファナは病人だ。
薄布一枚で下着すらつけていないのだから、脱がすのは一瞬である。
上半身を生まれたままの姿にされた彼女は、顔を真っ赤にして胸を覆い隠すが、それがマズかった。
上を防ぐと言う事は下が無防備になるという事で。
勿論、汗を拭くのだから下も拭くわけで。
「こっちも脱ぎましょうね」
「いやぁあああああああああああっ!!」
汗のせいで滑りやすくなった衣服は一瞬で脱がされる。
ファナも流石に下の下着は身につけている。
ハドリーもそれまで脱がすつもりはなかったのだろう。
けれど、汗で滑りやすくなっていたせいか、下の衣服に引っ張られて、その下着まで脱げてしまったのだった。
「あっ、やっ、ぁっ!?」
ハドリーは一瞬、慌てて下着を戻そうとした。
だが、まぁ、どうせ全身を拭くのだから、と。
彼女は衣服と下着を丁寧に畳んで取り置き、再び柔布を手に取った。
「では、拭きますので」
「や、やめろ! 怒るぞ! 本当に怒るぞ!!」
「そうは言われましても……」
魔力熱を煩っているファナが魔術大砲など放てるはずもなく。
15歳の華奢な少女が、人間よりも身体能力の勝る獣人に勝てる訳がない。
ベッドに押し倒される形となったファナは、為す術もなくその白肌の上に布地を滑らされる。
「ひぅっ!」
布地が足先を、太股を、下腹部を、腰元を、脇腹を、背筋を、胸元を、首筋を。
全身隈無く隅々細部に至るまで。
ファナが慌てようと、体を震わせようと、悶えようと、甘い声を零そうと。
ハドリーは黙々と彼女の体を拭き続ける。
「も、もう止めてっ……」
「体が冷えますよ」
「へ、変な感じするぅ……ぁ……」
ファナの顔はさらに紅潮し、うなじに一筋の汗が伝う。
足の指先も小刻みに震えてピンと伸びきっている。
全身を外気に晒した彼女は胸元と腰元を手で隠しているものだから、ハドリーの汗拭きを止められない。
それを良い事に彼女は念入りにファナの全身を拭いていく。
「も、もう良いだろう、全身拭き終えっ……へくちっ」
「ほら、まだくしゃみしてるじゃないですか……。服を代えますから、毛布だけでも被っててくださいよ? それだけじゃ寒いでしょうし、もう一枚持ってきますから」
漸くファナの体から手を離したハドリー。
ハドリーはその手にファナの来ていた衣服と彼女の汗に濡れた柔布を持ち退室していった。
残されたファナは顔を真っ赤に染めたまま、白の毛布の両端を握って、全身を隠すように蹲る。
「獣人風情が! 獣人風情が! 獣人風情がぁ……!」
いつもの彼女なら、この邸宅を吹っ飛ばす程の魔術大砲を放っていただろう。
だが、今の彼女はただの華奢な少女でしかない。
ハドリーに掴み掛かってもそのままベッドに戻されるのがオチだし、何より今、本気で動けば一週間はベッドの上で過ごす事になるだろう。
「…………へくちっ」
それに、彼女も決して悪意があってやっている訳ではないのだ。
あくまで看病なのだから、それは仕方ない……。
……けれど、獣人に好きなようにされるというのも気に食わない。
そもそも、どうして自分がこんな目に遭っているのか。
魔力熱など魔術を覚えたての頃にしかなってにゃいのに。
こんにゃしっちゃいをおこひゅなどはじじぇしかにゃい。
……なんにゃかあちゃみゃがふりゃふりゃしてきちゃーーー……。
「……あら」
ハドリーが戻ってきた頃、ファナは毛布を体の一部に被せて眠っていた。
先程、騒いだせいで疲れが吹き出したのだろう。
毛布をもう一枚持ってきたのは、やはり正解だったようだ。
「……ふぅ」
そんなファナの体を、彼女が起きないようにゆっくりと持ち上げて、ハドリーは衣服を着させていく。
きちんと衣服を正してファナを寝かし、毛布を整えてさらにもう一枚の毛布を被せて、これで大丈夫だろうと額を拭った彼女はある事に気付いた。
「……うーん。困りましたね」
ハドリーの腕にある羽毛。
彼女が毎日手入れを欠かさないふわふわのそれは、ファナの手に収まっていた。
まるで赤子がお気に入りの毛布を掴むように、彼女はそれをしっかりと掴んで離さない。
これを無理に振り解く訳にもいかないし、とハドリーは頭を悩ませる。
結局、どうせ看病をするのだから構わないだろう、と彼女はその腕をファナの胸上へと置いたままにしておいた。
夢を見た。
小さな少女が熊の人形を抱えている夢を。
余りに小さなその少女は今にも壊れてしまいそうな程で。
硝子のように脆い自分を偽るように、獣のような目付きでこちらを睨んでいる。
何がそんなに気に入らないのか。
何がそんなに恐ろしいのか。
「こっちにくるな! じゅーじん!!」
あぁ、そうだ。
獣人は悪だ、と。
そう確信した時の自分だ。
お気に入りの熊の人形すら手放せないくせに。
強がっていた頃の、自分だ。
「……っ」
目覚めたファナの目に映ったのは、チカチカと点滅する何かだった。
やがてそれは消え失せて、蝋燭が灯る室内の様子が目に映る。
何十分、いや、何時間寝ていたのか。
それすらも解らない程に時間が経ってしまっている。
だが、そのお陰で体調は大分マシになった。
もう立ち上がっても大丈夫だろう。
「……?」
ふと、彼女は手の中にある柔らかい感触を感じる。
毛布でも握っていたのか、と手元を見た彼女の視界に映ったのは、ベッドに前のめりにもたれ掛かり、微かな寝息を立てるハドリーと、その彼女の羽を握る自分の手だった。
「ーーーーーーーッッッ!!」
熱湯に手を突っ込んだかのように、凄まじい早さでそれから手を離すファナ。
どうして自分がそれを握っていたのか、どうしてハドリーがこんな場所で眠っているのか。
それらを理解するのには、まず彼女が落ち着くための時間が必要だった。
やがて大きな深呼吸と共に横目でハドリーの寝顔を確認した彼女は全てを理解する。
「ふんっ……」
憤りを吐き捨てるように鼻を鳴らした彼女は、自分の上に二枚の毛布が掛かっていることに気付く。
少なくとも自分が眠る前は一枚だったはずだ。
それに、衣服も替わっているし、蝋燭が灯っているという事はこれが必要な時間まで看病していたという事だろう。
「……獣人め」
ファナは毛布を巻き込むようにして、ハドリーに背を向けて寝転がる。
所詮は獣人。別にこんな所で眠ろうとも自分の知った事ではない。
看病だって勝手にやった事だし、礼を言う道理もないだろう。
知った事ではない。獣人のことなど、知った事では。
「……ん」
夜遅く。
蝋燭の明かりが燃え尽きた頃に、ハドリーはふと目を覚ました。
周囲は住宅街だというのに物音一つ聞こえないことから、かなり夜も更けているのだろう。
「あれ?」
だが、彼女が気になったのはそこではなかった。
自分の肩に乱雑ながらも掛けられた、一枚の毛布。
かなり温もりを持っている事から、それは大分前に掛けられたのだろう。
目の前で自分が毛布を掛けたはずの少女が蹲っている事からも、それが解った。
「……ふふっ」
ハドリーは微かな笑みを浮かべ、その毛布をファナへと掛け直す。
彼女はファナの額にあった布を取り替えてから部屋を後にした。
バタンと仕舞った扉。
静寂だけが残った部屋で、ベッドに寝転がる不機嫌そうに眉根を寄せた少女。
彼女が微かに両頬を赤く染め、布団の中へと潜り込んでいった。
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