壁の向こうに
【スノウフ国領域】
「……始めから、これが目的だった訳ですね」
紅蓮の刃を構える[紅骸の姫]スズカゼ・クレハ。
双腕を前に突き出す[操刻師]グラーシャ・ソームン。
剛牙を剥き狂嗤する[破壊者]デモン・アグルス。
彼等は背を合わせ、互いに周囲を囲む兵共に眼光を向ける。
幾千幾億という、ベルルーク軍の兵共を。
「俺達はまんまと填められたって訳だ。ベルルーク軍の目的はスノウフ国とも決戦じゃなく、俺達の討伐」
「……つまりこの舞台と陣形はスノウフ国軍を牽制しつつ、私達を討伐するため、って事ですか」
「えぇ、そういう事です」
兵の先頭より歩み出ていたのは、二人の男。
一人、双対の牙を持ち厚硝子の眼鏡を纏う者。
一人、刃が如き鎧を纏い全てを砕く豪腕を持つ者。
「……」
スズカゼには一目見て解った。その者達が相当な使い手である事が。
嘗てベルルークで出会った時よりも遙かに強い。あの時とは比べものにならない程に。
いや、違う。確かにあの時に比べ彼等は強くなっているだろう。
手加減する必要がなくなったから、強くなっているのだ。
「その、魔具は……」
自身の手元にある魔炎の太刀が僅かに反応している。
恐らく、いや間違いなくイーグ・フェンリーが創った物だ。
魔法石にせよその上位互換である魔具にせよ、それらは魔力の結晶体だ。
尋常でない魔力を有する四天災者にとって魔法石や魔具を創り出すのは造作もない事なのだろう。
「悪いが談笑をしている暇は無いのでな。貴様等はそれぞれ我々が相手をさせて貰う」
「……それぞれ、と言いますけれど。僕達は三人で貴方達は二人だ。数が合いませんよ」
まさか兵士達に相手をさせる訳じゃないでしょう、と。
最早、障害物と何ら変わらない兵士に視線を向けることすらなく、グラーシャはそう言い捨てる。
確かに兵士達一人一人では彼等との戦力差は天地に等しい。
一人一人……、例え億千であろうとも、所詮は群体。
敵うはずもない、勝てるはずもない。
然れど、行く手を阻み、傷を負わせ、皮膚を斬ることは出来る。
それを億千回繰り返せば、或いはーーー……。
それを理解した上でグラーシャはそう述べた。障害物、と。そう述べたのだ。
「当然ですよ」
半ば笑うように、ネイクは言葉を返す。
こちらも兵を失いたくはありませんからね、と。
その言葉を垂らす最中であれど、彼の視線から殺気が消えることはない。
兵を失いたくないというのは皮肉だろう。今までそれを刈り取ってきた、スズカゼ達にとっての。
「だったらどうするつもりだよ? あ、俺はそっちの筋肉質のオッサンな。思う存分殴り合いが出来そうだ」
「ベッドの上での殴り合いでも構わんぞ」
「やっぱりそっちの眼鏡の兄ちゃんで」
「まぁ、私はどちらでも構いませんが。ただスズカゼさんにはもうお誂え向きの相手が居ますから」
スズカゼの眉根が猜疑に歪む。
猜疑は疑惑に、疑惑は感知に、感知は確信に。
憤怒? 否。
嫌悪? 否。
歓喜? 否。
それ以上の、若しくは全てが入り交じったが如き。
ただただ望んでいた。ただただ欲していた。
三年前の仇討ち。三年前の決着。
何も出来ず砂漠に沈んだあの時とはもう、違う。
「……気付かれたようで」
ネイクは僅かに瞳を伏せ、軽い一礼にも見える動作を行う。
それは正しくどうぞ御征きください、と。そう言わんばかりの行為。
スズカゼはそれに叛しない。叛すはずなどない。
望み続けていた最大の悔恨が今、目の前にある。
「待てよ、馬鹿野郎」
だが、デモンはそれを赦さなかった。
彼女の反応を見れば、或いは自身の本能が感じる恐怖を前にすれば嫌でも理解出来る。
この先に誰が居るのか、彼女が誰の元へ向かおうとしているのか。
そして、その結果も、また。
「スズカゼさん……、僕も許可出来ません。征くべきじゃない」
グラーシャも同じ意見だ。
罠だから、だとか。勝てないから、だとか、そんな事は言わない。
ただ純粋に不可能なのだ。水が天へ墜ちないように、死した者が生き返らないように。
それは当然の、摂理。
勝てぬとしても、それはーーー……。
「私は歪ませる為に生きている」
摂理を。
この世が規則に則して生きるのなら、その流れに逆らおう。
例え奔流に手足を折られ肺胞を潰されようとも。
逆らい続けよう。摂理を焼き尽くす為に、逆らおう。
ただ望む。嘗て失った平和な日々を取り戻す為に。
仲間という存在のために、全てを投げだそう。
「スズカゼさ」
グラーシャは彼女を止めようと一歩、踵を返す。
然れど二歩目はない。彼の身がスズカゼの元へ向くことはない。
黄金の豪腕ーーー……、デモンの腕が彼の行動を制したのだ。
刹那の隙。スズカゼはそれを見逃さず、と言うよりはそれを許可と受け取ったかのように、露骨に作られた道を駆けていく。
兵共という障害物の垣根を駆け抜けて。ただ、その先に待つ者の元へと。
「……デモンさん」
「生きる意味を奪ったら、そいつはもう死んでるも同然だろ」
デモンは吐き捨てる。その感情に意味などなく。
ただ戦いに生きるその獣の答え。曲げることなどない、信念が一つ。
故に彼は征かせた。一度は叛しようとも、少女の信念を優先させた。
それが彼女の生き方ならば、そうしよう。そう、あれかし。
「さぁ、俺達は俺達で楽しもうじゃねぇか。……なぁ、グラーシャ?」
「……貴方と居ると疲れます」
二人は構える。幾千幾億と、その先頭に立つ猛者二人を前にして。
背中さえ見えなくなった少女に構うことはない。構えるはずもない。
ただ、始まるのだ。開き切った幕を引き千切り、舞台で慟哭を轟かせる、狂劇が。
読んでいただきありがとうございました




