東と北の団長
【スノウフ国】
《城下町・船着き場》
靴底が雪を踏み締める。
新雪が潰れる感触というのは、やはり東育ちの自分としては慣れない物だ。
尤も、この感触はこれから嫌と言うほど味わうのだろう。
この果てしなく続く白銀も、忙しなく動く見慣れぬ鎧の者達も。
嫌というほど、見ることになるのだろう。
「ゼル団長」
ふと、そんな彼に掛かる声。
背景と同化しそうな体毛、三つの足音、見ただけで全身が警戒音を鳴らすその姿。
嘗て一度だけ刃を交え、辛うじて生き存えることがーーー……、いや、見逃して貰えた、その相手。
「……ダーテン・クロイツ聖堂騎士団長殿」
ゼルは振り返ると共に思わず構えそうになるが、義手を握り締めると共にどうにかそれを押さえ込んだ。
今は味方だ。無闇に構えを見せるのは無礼極まりない。
それに、今のダーテンの状態を考えれば構えるという行為はある意味でも余りに失礼だ。
「ダーテンで良いですよ。互いに団長だとややこしいからね」
「……では、ダーテン殿。この度は参戦が遅れて誠に申し訳ない。その胸を謝罪させていただきたく」
「良いよ、君達の国の状況は僕もよく知ってる。それでもこうして前戦に上がってきてくれただけ充分に有り難い話さ」
ざり、と杖が積雪を掻き分ける。
刺すようにではなく、引き摺るように。
「……脚が?」
「恥ずかしい話だけれどね。脚だけじゃなく全身が麻痺してる感覚があるんだ。……恐ろしい男だったよ、ロクドウ・ラガンノットは」
ロクドウの血と魔力は未だダーテンの身を蝕んでいる。
あの男もまた、この世にて数少ない頂を見る者だった。
自分同様、四天災者に抗う力を持つ者、だった。
然れど所詮、それは過去なのだろう。自身の全てを擲っても四天災者は殺せない。
頂を見れても、天上に至るなど出来るはずもない。
我々は所詮、化け物たり得ないのだから。
「……それで、ベルルーク軍の様子は?」
「うん、どうやら援軍を察知したらしくてね。前戦は膠着状態に近い」
「妙、ですな」
「だね。時間を掛ければ掛けるほどあちらは不利になる。下がれば待っているのは何もない雪原だ」
「確かに土地勘に不利な以上、そちらの方が戦いやすいでしょうが……、街に入れば」
「そう、こちらが動けなくなる。そして彼等の戦力を考えれば必然……」
「前進すべき、と」
だが、ベルルーク軍はその一手を取らない。
現状、奴等の戦力からみて総力戦になるのは間違いないだろう。
となれば必然、指揮には相応の人物がーーー……、それこそバボック大総統級の人物が出て来てもおかしくはない。
そして、その人物がただの見落としをするはずがなく。
「……こちらは、主力と出来る戦力は誰が?」
「一人はガグル・ゴルバクス。直接的な戦闘には向かないけれど、絡め手に関しては中々の実力を持っているね。もう一人はピクノ・キッカー。防衛戦なら彼女が大いに活躍してくれるはずだ。そして後はラッカル・キルラルナ。彼女に関しては言うまでもないだろう?」
「えぇ、勿論。しかし……、攻めに欠けますな」
「そうだね。キサラギが居れば、良い構成だったんだけれど……」
それ以上は言及せずとも、解る。
こんな時勢だ。隣に居る者がいつ居なくなったとしてもおかしくはない。
例えそれが、生きて居る者であろうとも。
「そう言えばジェイドの姿が見えないね。彼も来ているのかい?」
ゼルの思案に的中するが如く、ダーテンは何気ない様子で呟く。
表情を表に出さないよう努めていた彼であったが、その言葉に冷静を保つ事は出来なかった。
意識していた訳ではない。しかし、目元に刻まれる影が何を言うでもなくダーテンへと答えを述べることになった。
「……そう、彼がね」
「民を守って死にました。あの男らしい最期でしたよ」
ざり、と。また杖が雪地を擦る。
ゼルには僅かに、本当に僅かにだが、ダーテンの瞳が潤んでいるように見えた。
彼は四天災者としては余りに珍しいーーー……、斬滅については知らないが、表情豊かな人物だ。
異端者は何処か欠落している事が多い。それが性格然り感情然り性癖然りであれ。
だが、この者にはそれがない。数少ない常識を持つ者と言えるだろう。
尤も、それが良いことであるかどうかは、別なのだが。
「アイツとは、知り合いで?」
「腐れ縁というか何と言うかね。彼がまだサウズ王国に住処を置いてない頃に何度か戦って、その後は一緒に戦った事もある」
「傭兵でしたからね」
「……あの頃は、楽しかったなぁ」
例え戦争中でも友が居た。仲間が居た。笑顔があった。
生きる為の、掛け替えのない熱意があった。
平和を目指すべく、生きる姿があった。
「けれど……、その先にあった、皆が掴んだ平和より楽しい物はないよ」
だから戦おう。また、平和を取り戻そう。
ダーテンはそう呟くと共に力強く杖を押し込んだ。
「……?」
押し込み、そして気付く。
感覚に異常があった訳ではない。その歩みは確かな一歩だった。
しかし、何かがざわつく。自分の中にある何かが、囁くのだ。
「ダーテン殿?」
「……いや」
気のせいだと振り払おうとした。
然れど、それは必死に叫びながら、息を切らしながら奔ってくる少女によって打ち砕かれる。
今にも泣きそうな瞳を、涙を必死に抑えて奔ってくる少女によって。
「ピクノ!」
ダーテンは杖を弾きながら少女の元へと小走りに向かって行った。
ゼルも同じく彼の後を追い、少女の元へと辿り着く。
そんな二人を前にしてピクノは切れる息の中で無理矢理にでも言葉を紡ごうと咳き込んだ。
「お婆ちゃんがっ……! フェベッツェお婆ちゃんがっ……!!」
顔色が変わった、と。そう直感する。
ダーテンの表情から一切の感情が無くなり、彼は杖を投げ出して走り出す。
ただ、それは。どうしようもない切っ掛けだった。
優し過ぎる者が平和を望んだことを罰するかのように。
ただただ、どうしようもなく、残酷だった。
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