弱者は悪魔の囁きを受けて
【???】
《広間》
「なーにしてんだお前は」
ごすりと蹴られ、頭同様に揺られるシンの意識。
彼は驚くように飛び上がるが、全身の激痛に思わず苦悶の声を漏らした。
尤も、その激痛が単なる思い込みだということに気付くには、そう時間は掛からなかった。
「あ、あれ? 傷……」
「レヴィアが治療したんだろ。つーかお前は寝過ぎだ。いつまで寝てんだよ」
「……俺、どれぐらい寝てました?」
「三日ぐらいじゃね」
ユキバの適当な言葉に、彼は繰り返すが如く飛び上がる。
三日、三日だ。自分がそんなに寝ていたという事よりも、重要なのは三日という時間スズカゼから目を離してしまったということ。
彼女が幾度もベルルーク軍と戦ったであろう三日間から、目を離してしまったと言うこと。
「す、スズカゼさんはっ……!?」
「あー、グラーシャとデモンと一緒にベルルーク軍を追ってるぜ。昨日は帰っていて飯食った後直ぐ出てったなぁ」
その言葉を切っ掛けにするが如く、シンは歯を食いしばって立ち上がり、一気に駆け出した。
駆け出した、が。その脚を躓かせて転ばせるユキバ。
加速に転びまで加わって、シンはとんでもない速度で鋼鉄の壁へと転がっていった。
その結果がどうなったかなど言うまでもない。頭が割れなかっただけ奇跡という物だろう。
「馬鹿、そんな状態で行ってどうなる」
「だ、だって……」
「三日眠り続けたんだぞ。傷はレヴィアが治したが、肉体の深部的なそれは違う。お前はもうとっくに限界になんだよ」
「ッ……!」
感じていた。元より、自分は超人的な体をしていない。
鍛錬で得た技術と体力を駆使して戦うだけの、弱者だ。
それがあの超常的な力を持つスズカゼと共に、常々行動を共に出来るはずなどない。
感じていた。限界を、感じていたはずだ。
「解るだろ、シン。魔力は力だ。お前みたく常人の力で戦うにゃ獣人が有す先天的な力が要る。魔力もなく特別な血もなく戦うなんて無理なんだよ」
「……それでも、俺は」
「残酷だねぇ、お前は」
しぃ、と。歯の隙間から息を吐くような嗤い。
事実、ユキバの頬は歪み、楽しそうに嗤っていた。
咎めるような言葉であろうとも、確かにその男は嗤っていた。
「スズカゼの気持ちを考えてみろよ。アイツがあんなになったのは仲間を失ったからだ。守れなかったからだ。それをまた、繰り返させるつもりか?」
お前が死ねば哀しむ、と言われているのは解る。
然れど、その死ぬ理由は自身の無力だ。
一切の情に包むことなく、そう突き付けられる。
全てを知りながら全てを喋らない。この男はそういう男だ。
だから、この言葉の奥にも、ある。知りながら言わない、それが。
「……あるんスね。俺が強くなる方法が」
「おいおい、期待すんなよ。俺は技術者だぜ? デモンみたく万物を破壊する力はねぇし、スズカゼみたく全てを焼き払う魔力もねぇ。ただちょっと頭が良くてカッコイイだけの技術者だ」
「あるなら、ください。俺は例え何を犠牲にしてでも守らなきゃならねぇモンがある。例えこの身を削ろうと……!」
「削る?」
しぃ、と。
再び吐かれた嗤い。それは酷く禍々しい。
シンの背筋が凍り、警告を告げる。これ以上踏み込むな、と。
この男は異端だ。力や血がではない。ただ、その内面が異端なのだ。
人間にして弱者にあらず。ただ、異端。
その内面に渦巻く奔流が、如何なる物をも常闇に沈めるが如き奔流が、ただただ、異端。
「そんな甘ェモンじゃねぇよ」
削るだけならば、残る。
その身だけでなく、痕すらも刻々と。
だが、違う。力も血もない、あるのはほんの一握りの才能のみ。
そんな男が高々削るだけで得られる物か、と。
「溶かす? 足りねェ。砕く? 足りねェ。穿つ? 足りねェ。絞める? 足りねェ」
しぃ、しぃ、しぃ。
幾多も重なる吐息のような嗤い声。
それに呼応するが如くシンの警告音は鳴り響く。
従うな、耳にするな。これは悪魔の囁きだ。
魂という対価と共に力を得ろと囁く、悪魔のーーー……。
「死ねよ? シン・クラウン」
然れど。
「……解ったッス」
受けよう。
愛した人の為なら、命さえ捨てよう。
男ならば、男の生き様がある。
「俺に、力を」
【荒野】
草一本としてない、荒れ果てた大地。
鳥は一羽として飛ばず、獣は一匹として駆けない。
何処を見ても生物の痕跡はなく、生命の息吹すらもありはせず。
それはまさに、死の大地だった。
「……何か」
ふと、そんな荒野を歩む一行の中で、彼女は静かに呟いた。
彼女の前に居たデモンとグラーシャは不思議そうに振り向いて、少しだけ立ち止まる。
「どうした、スズカゼ」
「何か、見える」
彼女の瞳に映る、いいや、彼女だけに見える、その姿。
荒野の果て、幾度と重なる山峰の先にある何か。
魔力の揺れではない。強者の慟哭ではない。
違う。もっと何か、違う、ものが。
「……何処かで、見たような」
「おいおい、疲れすぎて幻覚見てんじゃねぇか」
「い、いや、流石にそれは言い過ぎじゃ……」
「兎も角、勘弁してくれよ。俺はイカれた奴抱えて帰るなんて嫌だからな」
そんな彼女を置いて先に進み始める二人。
スズカゼもまた、気のせいだろうとそれに注意を向ける事は無かった。
世界の果てに慟哭するそれを。自身が知るはずもなく、自身が知るべきであったーーー……、それを。
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