軍、動く
「……ふむ」
ネイクは木々の狭間を掛けていた。
柔らかな積雪が、彼の疾駆に合わせて篩い落とされていく。
彼の下では幾人かの部下も走っており、彼は漸く追いついた、と行ったところだ。
「隊長」
ふと、彼の隣に一人の部下が駆け上がってくる。
手も使わず木々を上り詰める動作に音はない。然れど、その者と違ってネイクの疾駆は酷く辿々しく、一歩奔る度に雪々が落ちた。
「あぁ……、えーっと」
「隊長、こちらです」
その声があって、漸く彼の視線は部下へと向いた。
いいや、その瞼はと言うべきか。視線など今の彼には存在しないのだから。
「まさか、目が……」
「あ、いえ。一時的な物なのでお気になさらず。先の焔にやられたようですね」
僅かに、木の枝を踏み外す。
体勢を崩した彼を部下は急いで支えようとするが、刹那に間に合わない。
「おっと危ない」
しかし、彼は崩れる体を止めようともせずそのまま落下。
踏み外した木の枝を掴んで一回転し、元の場所へ平然と戻って来た。
再三述べるが彼は目が見えていない。ただ音と感覚のみで動いているのだ。
もうこの人を助ける必要はないな、と。部下はそんな風に呆れながら部下は疾駆を続ける。
「あの太刀について知っていますか?」
「[魔炎の太刀]……、イーグ将軍がお作りになった太刀ですね」
「そうです。能力は自身の魔力を消費して火魔術を放つというだけの物ですが……」
アレは最早そんな物ではない。
嘗て、ベルルーク国のアルカーを焼き払った炎。
自分は初めて瞳に映した。あんなに綺麗な炎を、初めて瞳に映した。
誰かを殺す為ではなく、誰かを守る為の炎。例えそれが脅威であれども、守る為の炎。
「……ふむ」
思えば、あの頃から片鱗は見えていたのだろう。
何かに依存すると言うべきかーーー……、守る為ならば他を排除するという片鱗は。
あの時、アルカーを焼き払えなければ彼女はどうなっていたのだろう。
今のように変貌していたのだろうか? 仲間をイーグ将軍によって焼き払われた、今のように。
護った国の将軍に護るべき存在を殺された、今のように。
「……何とも、皮肉な話ですね」
眉根を顰め、瞼に皺を寄せる。
彼女に同情していないと言えば嘘になる。しかし、それが赦される立場ではない。
彼女は[獣人の姫]から[紅骸の姫]となった。守護から殺戮へとその身を映した。
故に、同情など赦されない。彼女は我々の仲間を殺した。
誰かの為ではなく、自己の為にーーー……。
「あの、隊長?」
「……あぁ、そうでしたね。失礼、考え事をしていました」
「体調が優れないようでしたら、一度休息を……」
「お気になさらず。それより話題が逸れましたね」
彼等は疾駆する。何度か枝を踏み外しては元に戻りながら。
決して方向を揺るがすことなく、例えその瞼が閉じられていようとも。
ただ、奔り抜けていく。
【シャガル王国】
《ベルルーク軍本部》
「ーーー……以上が、報告になります」
「そう、ネイクは失敗したんだね」
バボックは白煙を舞い上げ、眉根を掴む。
彼ならばと思ったが、やはり難しい。
連中は常に三人以上で行動する。相当な実力者、三人以上だ。
そしてその中で多く見られるのは[紅骸の姫]スズカゼ・クレハ、[天修羅]シン・クラウンの二人。
[天修羅]だけならばネイクだけでどうにかなる。だが、問題は[紅骸の姫]と他の者達だ。
[破壊者]、[操刻師]、[道化師]、[白縛]。そしてオロチと名乗る大男。
たった七人。たった七人が我々と拮抗している。これは余りに異常と言わざるを得ない。
「忌々しいですな。連中さえ居なければスノウフ国は落とせている。スノウフ国さえ無ければ連中は倒せている。……全く、忌々しい」
「ワーズ君、苛つきは冷静な判断を失わせるよ」
バボックの眼は落ち着いていた。一縷として動きはない。
その奥底にある思考は幾千の経路を辿り、答えを導きだそうとしている。
然れどそれは出ない。あの連中に対抗できるだけの、戦力がない。
「……ふむ、どうすべきかな」
このままでは拮抗するばかりだ。一手がなく、互いに削り合うばかり。
しかしこちらは世界を敵に回した身。いつまでも持つワケではない。
だが、かと言って奥の手を呼び戻せば戦争に勝ったとしても意味がーーー……。
「……少し、考えるべきかも知れないね」
この戦乱を壊すワケにはいかない。我々の生きる世界を奪わせるワケにはいかない。
その為には如何なる手段をも投じるべきだ。例え、それが理を壊す物でも。
望まぬ世界なら、壊れてしまえば良いのだから。
「あ、あの、大総統……」
「ん? どうかしたかい?」
「あ、いえ……」
ワーズは思わず喉を詰まらせる。
その男が嗤っていたから、息をする事さえ忘れていた。
余りに禍々しく、余りに楽しそうに。
まるでこの逆境を望んでいたようにさえ、嗤っていたから。
「状況を流転させてはいけない」
流れに身を任せるな。我々は理に逆らっている。
彼の続く声に、ワーズはいつもの返事さえも出来ない。
その男の表情はいつも通りだ。然れど、その最中にある何かがまだ、歪んでいるから。
「さぁ、理を壊そうか」
読んでいただきありがとうございました




