決別は雨音の下で
【サウズ王国跡地】
「……何だ、これは」
彼女達は絶句していた。
デイジー、サラ。サウズ王国騎士団の生き残りであり、リドラの命により周囲を見回っていた彼女達が目にした、その光景を前に。
絶句するより他無かったのだ。あるはずなど、無かったのだ。
「御墓、でしょうか」
赤黒く滲んだ包帯が巻かれた、一本の十字架。
刀剣の鞘と刃で形作られた十字架は月光に照らされて純然に輝いている。
それだけならば、解った。理解する事も出来た。
ただ、その背後にあるーーー……、幾億の十字架さえ、無ければ。
「全て、墓か……?」
「のようですわね。私達より先に誰かが埋葬したのでしょうか……?」
「馬鹿な……、我々が昨夜見た時は何も無かったのだぞ! たった一晩で、誰がこんな事を」
そう言いかけて二人はほぼ同時に直感した。
こんな事をするのは、或いはこんな事が出来るのはただ一人しか居ない。
彼女が帰ってきたのだ。無事に、帰って来たのだ。
「っ……」
だが、それは同時にあの惨状を目にした事さえ意味する。
いいや、埋葬したというのなら惨状だけではないーーー……。死した者達一人一人の姿を、目にしたという事だ。
彼等の苦悶の姿を、悔攣の姿を、目にしたという事だ。
それは彼女にとって己の手足を斬られるよりも酷い苦痛だろう。己の臓腑を裂かれるよりも非道い悔痛だろう。
余りに、それは。
「……弱者で在れども、決して強さだけは捨てずと思ったのにな」
「デイジー?」
「あの方に、見せてしまった。あの方に、味わわせてしまった。何が弱者の強さだっ……。これでは、ただの道化ではないかっ……!!」
サラは思わず視線を逸らし、口元を覆う。
彼女達の悲痛に感染するが如く、空は曇天を増していく。
雨が、降り出していた。鉄や布に覆われた手足を刺す、雨が。
悲痛な、無力を表すかのようなーーー……、雨が。
「……帰りましょう、デイジー。ここに居ても仕方ありませんわ」
「解っている。解って、いる」
今にして思えば、数刻後の彼女達は嘆くだろう。
どうして気付かなかったのか、と。どうして少し視線を受けに上げなかったのか、と。
その光景を眺め、物言わず佇む少女を。側に巨漢の男と全身を包帯で覆い尽くした何物かを従える少女を、見なかった事に。
彼女達はどうしようもなく、嘆くのだろうーーー……。
【平原の洞窟】
「……これは何事ですか」
暗鬱。ただその一言で説明が付く。
洞窟内部は酷く薄暗く、誰一人として言葉を発さない。
無論、サウズ王国があんな事になったのだ。この空気も当然と言えよう。
しかしそれ以上に、デイジーたちが出発するよりも前の、それ以上に暗鬱。
絶望に打ち拉がれた、と言うよりはもっと深くの、何か。
「戻ったか、お前達」
デイジーはその声に思わず振り向き、僅かな希望の色を見せる。
しかし、それは直ぐさま困惑と猜疑の色へ成り果てた。
眼前の男は確かにゼル・デビットだ。自分の尊敬するサウズ王国騎士団団長だ。
然れどその表情が、余りに疲れ果てたその表情が、あのゼル・デビットのようには思えなかった。
本当にこれはゼル・デビットかと思うほどに、その表情は暗鬱としていたのだ。
「何が、あったのですか……?」
「……何が、か。何て言えば良いんだろうな」
彼は義手で自身の口元を覆った。
それは思案という意味合いよりも、むしろ口から出そうになる言葉を抑えているようにさえ見える。
いいや、実際そうなのだろう。
尤も、脆き堰き止めなど間もなくして壊れるのが道理であろうが。
「す、スズカゼ殿は何処です? あの墓を作ったであろう、スズカゼ殿は!」
「居ない」
「……は?」
「サウズ王国第三街領主スズカゼ・クレハはもう、居ない」
暗鬱は一層濃く。
言葉を失ったのはデイジーだけではない。
それを述べたゼルでさえも、自身の堤防が堰き切れた事に驚嘆を隠せないようだった。
見開いた目は苦しそうに閉じられ、彼の頬に汗が伝う。
後悔。伝えたことによる後悔。焦燥。口に出したことによる焦燥。
その二つが入り交じり、彼の表情を酷く歪めているのだ。
歪めざるを、得ないのだ。
「ど、何処かに、出掛けてらっしゃるとか……」
「違う。居ないんだ。この場所にじゃない。もうこの国にそんな人間は居ないんだよ」
デイジーとサラは互いに視線を合わせ、眉根の皺を寄せる。
意味は解る、理解出来る。出来る、のに。
したくない。意味を理解したくなどない。
「スズカゼは」
言いかけて、止まる。
それはゼルの最後の躊躇。同時に、デイジーとサラの最後の機会。
けれど彼等は皆、躊躇と機会を活かすことは、出来ない。
「この国を、出て行った」
暗鬱。
それだけで事足りる。
洞窟の中に渦めくそれらは、たった、その一言でーーー……。
【サウズ平原】
「…………」
少女は世界を眺めていた。
何もない、ただ空虚な世界を。
幾億の十字架が立ち並び、雨粒が流れる世界を。
誰も居なくなった、世界を。
「……良かったのか、あのような別れ方で」
「問題ありません」
「しかしのぅ……」
「良いんです」
彼女は世界を振り払うように踵を返し、歩き出す。
泥々しい地面を踏みにじり、表情一つとして変えることはない。
ただ願うは一つ。オロチが示した、その答えを。
「私の願いは一つですから」
その為には何であろうと捨てよう。
取り戻す為に。あの日々を、必ず取り戻す為に。
全てを捨てようと構わない。ただ、その為だけに。
「皆を生き返らせる。……それだけです」
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