別れは刃に裂かれて
【第三街南部・住宅街】
「急いで逃げてください!! もう火の手がっ……!」
ハドリーは必死に叫んでいた。
その両腕の羽で空を駆けながら、待ちを逃げ惑う人々に、か細い喉から、必死に。
然れど彼女の声が民々の耳に届くことはない。それ程までに、業火は猛々しかった。
それでも彼女は叫び続ける。例え羽先が業火の刃に切り刻まれようと、黒煙に喉を焼かれようとも。
今まで過ごしてきたこの街が業火に焼かれる姿を瞳に映しながら、詰まる喉を必死に押し上げて、叫ぶ。
「皆さん、速くっ……」
叫びを遮ったのは、崩壊音。
彼女の背後、建築物が崩れ、余りに小さなその背中に襲い掛かって来たのだ。
瓦礫が頬に飛び散り、火花が髪先を焦がす。
彼女は悲鳴を上げるよりも前に両翼をはためかせ、後方へ飛び下がった。
飛び下がろうと、した。
「ッ……!!」
長く業火に焼かれた羽、黒煙に巻かれた体。
その二つは咄嗟の行動を抑え付け、或いは縛り付け、落とす。
瓦礫の海へと、命絶の海へと、引き摺り落とす。
「ジェイドっ……」
最後に呼んだその名に応えることはない。
例え一人として返事を返すことすら、無かった。
返すことなど無かったのだ。そんな暇すら無く、その者は現れたんだから。
「ぬぅァッッッ!!!」
一閃は瓦礫の海を裂き、命絶の海を斬る。
業火さえもその閃光の元に伏せられ、一切を万物に伏す。
闇に溶かすが如く、その月は。
「……ジェイド!」
「悪いな、遅れた」
彼はハドリーを片手に抱え、建築物の狭間を縫うように降り立った。
その最中で彼女は気付く。その男が片腕片足を使っていないことに。
刃の切っ先で壁を弾き、片足で衝撃を順々に殺すという、奇異な着地を行っている事に、気付く。
「ジェイド、手足が……」
「この程度なら問題はない。それより、第三街の避難状況はどうだ」
「は、はいっ。今はもう殆ど……。ただ、火災のせいで逃げられない人が何人か。リドラさんとメイドさん、メタルさん、騎士団の皆さんが必死に国外へ逃がしています。けど、余りに火が強すぎて、中々逃げさせられなくて」
「……解った。ハドリー、民を逃がせ。俺は火災を消しに行く」
「でも、この火の勢いじゃ……!」
「燃え移った火は違うが、根源の火は魔力だ。魔力は死ねば消えるだろう」
彼の言葉が何を示すのか、それはハドリーでさえも直ぐさま理解出来た。
この国を襲い来るのは四天災者[灼炎]。嘗てたった四人で戦争を冷戦状態へ持ち込んだ名も無かった化け物共の存在。
彼は、それに挑むつもりなのだ。片手片足が使えぬ、この状況で。
「ジェイド、貴方は……っ。貴方は強い! 嘗て四国大戦でも名を残した! けれど、貴方は獣人なんです。ただの獣人なんです! あんな存在に、勝てるはずが……」
「勝つ必要などない。負けるつもりもない。俺は、殺すだけだ」
黒煙は天へ上り、空を焦がす。
否、煙ばかりならば焦がす程でしか無かった。
真に焦がすのは、天を劈いたその灼炎。
天井を穿つ程度ではない。大陸全土を埋め付くさんがばかりの、灼炎。
「決着が、付いたようだな」
王城より大理石を踏み躙りて歩むは一人の男。
その全身に数多の傷を刻み、口端より黒血を流す。
然れどその男は確かに生きていた、歩いていた。
自身と同等の存在である四天災者を伏し、確かにーーー……。
「ハドリー、民を頼む」
「……ジェイド」
「この国は家だ。我々が見つけた安息の地で、姫が帰ってくる場所だ。太陽に照らされた、場所なんだ」
失う訳にはいかない。
例え幾千の兵を敵に回そうと、大国を敵に回そうと、四天災者が敵だろうとも。
この場所だけは、決して。
「ハドリー」
名を、呼ぶ。
「ありがとう」
彼はそう言い残し、踵を返した。
その瞳が再び彼女に向くことはなくただ、紅蓮に向くばかり。
知っていた。何年も前から共に過ごし、心焦がれたその背中だからこそ、知っていた。
「……私も」
彼に会うのはきっとこれで最後なのだろう。
いいや、間違いなくーーー……、もう生きては会えない。
ここで全てを伝えなければ必ず後悔する。残りの人生を、生きる術すらなく、後悔するだろう。
だから、私は。そうすべきなのだとーーー……。
「……っ」
声は出ない。
喉から迫り上がる物があるのに、何も、声にならない。
呼び止めようとする手すら、動くはずはなかった。
ただ、自分の手が鎖に縛られたかのように、動かなかったのだ。
「ジェイ……ド……」
それは鎖ではなかった。
白銀ーーー……、その身を両断する刃。
喉に迫り上がってくるのは鮮血。臓腑と身体を切り裂いた刃により、鮮血が肺胞すら埋め尽くし、身体の半分を吹き飛ばしたのだ。
「……ハドリー?」
振り返った彼の瞳に映ったのは、地に沈み逝くハドリーの姿だった。
そして、その背後で強靱な刃を構える、一人の、男。
「貴様」
紅蓮の炎を背負い、歩む。
陰りにより表情一つすら掴めぬ、その男は。
悠然と、殺意すら表さず。
「貴様ぁああああああああああああああッッッッッッッッッッッッッ!!!」
それは闇月たる彼が生涯において放った最速の一撃だった。
音も光も、全てを斬り裂く一撃ーーー……。最果ての斬撃。
然れど、然れどだ。
「がっ……!」
或いは万全であれば、話は変わっただろう。
或いは裂傷がなければ、通じていただろう。
強靱なる刃はジェイドの四肢を貫き、臓腑を裂く。
彼はそれでも堕ちる事無く二の太刀を放つが、それは最早、空を裂くことさえも、出来るはずなどなかった。
「ゥォオォオオオオオオァアアアアアッッッッッッ!!!」
止まるはずなどない。
その男、闇月がーーー……、暗黒の最中にて、止まるはずなど、ない。
読んでいただきありがとうございました
 




