覚めない悪夢
「見るなァアッッッ! スズカゼェッッ!!」
ゼルの絶叫はスズカゼに届かない。
眼前の光景に彼女は瞳孔を見開き、手足の先を震えせる。
酸素を取り込む事を忘れ、その場に立っている事すら忘れ。
両の脚を崩して、最早何も言わぬその獣人の前へ膝付いた。
否、彼女は膝付いた事さえ理解していない。ただ、世界が崩れたかの、ように。
「ッ……!!」
どうする? どうすれば良い?
ジェイドが死んでいるこの光景を前に、自分はどうすれば良い?
どうしてこの男が死んでいる? これ程の男が、どうして。
待て、落ち着け、落ち着くんだ。この状況で自分が取り乱せば全てが無に帰す。
誰も、このタガが外れた少女を抑える事が出来なくなる。それだけは、駄目だ。
「すまんッ……」
ゼルの掌がスズカゼの首音を打ち、彼女の意識を絶つ。
この現実を前にしてそうすべきだろうと判断したが故に、だ。
余りに残酷。残酷過ぎる。
彼女にとって仲間の死とは、それも今まで彼女を支えてきたジェイド・ネイガーの死は。
余りに残酷だった。余りに、残酷過ぎた。
だから、意識を絶った。絶とうとした。
その義手を砕かんがばかりの力で制止させた、巨腕さえ無ければ。
「……誰だ、テメェ」
ゼルの全身を覆い隠す程の巨体。
否、身体だけではない。その威圧感は異端に過ぎる。
それこそ四天災者に匹敵する程の、魔力。
だが、その魔力は、何処か、似ているようなーーー……。
「甘やかし過ぎだ、ゼル・デビット。それではこの小娘の為にならん」
「誰だ、と聞いたんだ。俺は」
「我が名はオロチ。世界の守護者にしてスズカゼ・クレハの臣下となる者だ」
その者の名など聞いた事があるはずなどもない。
ゼルは困惑しつつも、その者が掴む腕を振り払った。
鉄の義手が僅かにだが傷付いている。例え幾千の破槌を受けようと壊れる事のない、自身の魔力を纏った義手が。
「立て、スズカゼ・クレハ。その者の亡骸を弔ってやれ」
「……どうして、貴方が」
「細かい事は生き残った貴様の仲間が説明するだろう。儂の口から言う事ではない」
オロチはそうとだけ言い放つと、ジェイドの背に突き刺さる幾千の刃を薙ぎ払った。
たった一払いで幾千の刃は跡形も無く消し去り、瓦礫の上で動くこともなかった屍は静かに地に伏せる。
その、肉すら焦げた屍に手を伸ばし、少女は静かに蹲った。
必死に現実を拒否しようと、受け入れようと、最中で揺れて。
「……オロチと言ったな。俺達の仲間は生きて居るのか?」
「うむ。生き残った民は向こう側にある崖の洞窟に避難しておる。儂の部下を護衛に付けておるしな。問題はない」
「……解った、そこに向かう。詳しい話も、お前が何物かっつー話もそこで聞かせてくれ」
「うむ、良かろう」
大男はジェイドの亡骸を抱え上げようと手を伸ばすが、華奢な腕がそれを弾く。
自分が行きます、と。顔も見せず震えも消えた声で、彼女はそう述べた。
所詮、述べる他無かったのだ。
彼の骸に縋り付くだけでは、その現実を受け入れられるはずもなかったから。
だから、彼女は背負う。その骸を。守れなかった、仲間を。
【平原の洞窟】
「……っ」
悪臭。鼻の奥を劈く、焦げ臭さと腐った肉の臭い。
ゼルは思わず眉根を顰め、薄暗い洞窟の奥へ視線を這わせた。
見えるのは全身に包帯を巻き付けて倒れた民や獣人達。彼等は唸りをあげるばかりで彼の姿に何か物言うことはない。
例え、それが騎士団の人間であろうとも、だ。
「……無事か」
「だ……、団……長……?」
「無理に喋らなくて良い。……騎士団は、どうなった」
問いに返されるは潤む瞳。
それが全てを物語り、同時に全てを結論付けていた。
彼等は職務を全うした。ただ、それだけなのだろう。
「……ゼル」
騎士の側で膝付く彼に声を掛けたのは、リドラだった。
頭から顎に掛けて、顔の半分を包帯で覆い尽くした彼。
その白布の奥には黒紅が滲んでおり、表情からして、決して軽い傷でない事は確かだった。
「彼は休ませてやってくれ。説明は私がしよう」
「あぁ、解った。頼む」
「……スズカゼとファナは一緒じゃないのか?」
「ジェイドの遺体を埋葬しに、な」
「そうか、ジェイドもか……」
「……も、だと?」
立ち止まったゼルを置いて、リドラは数歩進み、洞窟の天井を見上げる。
太陽の欠片さえ見えぬ、その端さえ差し込まぬ暗沌。
それは、今の心情を表すには、余りに相応し過ぎて。
「ハドリーとメタル……、そしてメイアウス女王も、死んだ」
何を言えば、良かったのだろう。
ただ言葉を失い、頷くしかない。それが未だ受け入れられないから。
まるで夢でも見ているようだ、と思えた。とても酷い悪夢を見ているようだ、と。
決して覚めない悪夢を。見ているようだ、と。
「話そう。何があったのか、何をすべきなのかーーー……」
リドラは酷くか細い、怪我の所為ではない、酷くか細い声で呟く。
平和と幸福は失われた。覚めない悪夢は続く。
だから話し合うべきなのだ、この覚めない悪夢から抜け出す方法を、と。
そう、酷くか細い声でーーー……。
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