曇天続きて
【シャガル王国】
《王城・王座謁見の間》
「…………」
暗沌。
その二文字こそが、今、この臨時作戦室とも言える王座謁見の間を覆い尽くしていた。
バボックはいつものように不快な笑いを見せることもなく、ヤムは涙ぐみ鼻を啜る。
部下達は何度も何度も謝罪の言葉を吐いて地に頭を擦り付け、眼前で冷徹な眼光を浮かべるバボックを前にしても、やはり止まることはない。
止まれるはずなど、ない。
「……煙草を」
彼は背後の部下より一本の葉巻を受け取り、その先を毟り取る。
懐を何度も漁って火種を見つけ、その先へと点し照らした。
然れど白煙を吸い込むことはない。ただ、天へと、立ち上らせるが如く。
「少し、ズレたね」
「ず、ズレ……?」
「計画だよ」
部下達は凍り付くように停止する。
余りに冷徹、余りに当然。
だからこそ、何も言えるはずなどない。
「イーグはもうサウズ王国に到着しているだろう。後は我々もスノウフ国とサウズ王国に向かう手筈だったんだけど、ね」
灰皿に煙草を乗せ、彼は椅子に深く腰を沈め込む。
通常、計画としてはこのままサウズ王国に兵士の大半を送り残った一部をスノウフ国に援軍として送る手筈だった。
そして、そのスノウフ国への援軍を率いるのはーーー……。
「こうなった以上、少し計画を変更せざるを得ないね。サウズ王国には戦力が……、バルド・ローゼフォン王城守護部隊隊長、[闇月]ジェイド・ネイガーぐらいしか居ない。不安要素としてはデュー・ラハンぐらいだけど、所詮彼等ではイーグには届かない、かな」
「……し、しかし、あの国には」
「うん、解っているさ。だからこそだよ」
不安要素は排除しよう、と。
彼の眼は既に先を見据えていた。この計画の、果てを。
既に南国は手中に収めた。残るは北国と東国。
大国間同士の戦争に小国が関われるはずもない。精々、兵士の徴収程度だ。
なればこそ、北と東の掌握こそが決め手となる。
この戦争の、終止符と成り得るのだ。
ベルルークの勝利という、終止符へと。
【スノウフ国】
《大聖堂・臨時治療所》
「キサラギの容態はどうかしら」
半透明の幕を潜ってその場へ入ってきた一人の老婆。
ベッドの上に横たわる獣人を手当てしていた看護婦は、その者の姿を見て飛び跳ねるように驚いた。
いや、実際彼女の心臓は飛び跳ねて思わず気を失いそうになっていたのだが。
「ふぇ、フェベッツェ教皇様……!」
「ご苦労様」
老婆は慈愛に満ちた微笑みを見せると、絹の布を擦りながら嗄れた膝を折り、キサラギの近くへと腰掛ける。
優しく、子供の頭を撫でるように藍長髪を梳く彼女の指。
看護婦にはその光景が正しく聖母のように見え、涙している自分がある事にさえ気付けぬほど夢中になっていた。
「……申し訳、ない。フェベッツェ様」
「いいえ、良いのよ。キサラギ」
その男は虚ろな目で天を見上げながら、述べる。
看護婦は思わず口を両手で塞ぎ、息を呑んだ。
彼が喋ったことに、ではない。意識があることに、だ。
キサラギの容態は酷く、最早、回復の見込みは無かった。
このまま意識なくして死に絶えるだけだったはずの男が、今、こうして目を覚ましたのである。
驚くのは無理もなかろう。だが、それと同時に彼女は一つの予感を見る。
その男の、濁った瞳に。
「懐かしいわね。昔はこうして、よく頭を撫でて上げたわ」
「……古い、話也。古い、古い話也や」
「ダーテンに引っ付いてばかりだった貴方も、今じゃもうこんなに立派になってねぇ……。あの時が懐かしいわ」
「何を……、申す……。あの時の幸せは、まだ……」
「えぇ、明日は遠足にでも行きましょう。春になれば雪が溶けるわ。ピクノちゃんの好きな花畑も見える。ガグルの好きなお酒も少しだけ持っていきましょう。ラッカルちゃんに獣車を操って貰って、ダーテンと貴方には荷物を持ってもらうわ」
「それは……、光栄故……、拝命……つかまつる……」
「だから、今はゆっくり眠りましょう。明日、皆で遠足に行くのだから」
「……明日が、楽しみ、也」
「えぇ、そうね……。また、明日……」
すぅ、と。
最後に大きく息を吸って、キサラギは瞳を閉じた。
最早、生命の鼓動が無くなった藍色の長髪から指を離し、フェベッツェは今一度、彼の頭を優しく撫でる。
子供をあやすように、優しく。
「……この子を、埋葬してあげてくれるかしら」
「……はい」
「キサラギ・エド。……貴方に、ツキガミ様のご加護があるように」
その両手を組ませ、看護婦は彼の掌に水晶の欠片を持たせる。
フェアリ教の埋葬儀式を見送ることはなく、フェベッツェはその場を後にした。
半透明の幕を捲る自分の指が酷く震えている事に気付きながらも、その足を止めることはなく。
ただ、その歩みは直ぐさま止まる事となった。
外で壁にも垂れかける、一人の男を目にして。
「……フェベッツェ様、キサラギは」
その男の問いに、老婆は目を伏せながら首を振った。
男は愚かな馬鹿野郎だと吐き捨て、何も無い大理石の地面を蹴り上げる。
そうでもしなければ、やっていられないから。
「愚かな元老院の連中は黙らせましたぜ。それと戦況ですが、やっぱり拮抗してるみたいだ。ダーテン団長が封じられた事とラッカル副団長の停滞が原因だろうな」
「……そう。サウズ王国への援軍は、やはり?」
「愚かにも無理でしょうな。こちらはこちらで手一杯だ」
「……」
「フェベッツェ様?」
彼女は未だ震える指で、自身の胸元にあるフェアリ教の証をなぞる。
酷く胸騒ぎがするのよ、と。そう、薄暗い声を零しながら。
読んでいただきありがとうございました




