彼等にとってその者は
【スノウフ国】
《酒場・白雪》
「これが彼女の、人生です」
言い終えたネイクは、一息ついてから手元にある水を口へ運ぶ。
然れど、喉にある鉄臭い塊を胃へ流し込む事を嫌うかのように、彼がそれを飲むことは無かった。
「……そんな、事が」
ピクノはただ言葉を失う。
彼女の中にある脅迫概念を、或いは束縛を。
いいや、今ではもうあったと言うべきだろう。
「失礼します、少佐」
最中、一室の中へ重々しい表情をした兵士が入ってくる。
彼は何かを察したのだろう。まず未だ困惑するピクノを元の場所へ戻すように命じ、それから数分ほど経ってから、漸く息をついて兵士へ報告を問うた。
「先程、獣車で南国との連絡係を取り持っていた兵士から報告が。道中でヨーラ中佐の部下と合流し、そして」
「何があったのです」
「ヨーラ中佐が死亡した、と。報告を受けたそうです」
大きく、眼鏡の下の瞳が見開かれた。
喉に鉄の塊ではない何かが詰まり、迫り上がってくる。
ネイクはこうなる事を知っていたはずだろう、何を今更哀しむ事がある、と。
そう必死に自身の感情を抑えるが如く、全身の力を抜いて大きく息を吐き捨てた。
「……状況は?」
「サウズ王国王城守護部隊副隊長ファナ・パールズとの戦闘にて、だそうです。最後は中佐自身が部下に撤退を命じたそうです」
「あの人らしい」
水を、飲む。
喉にある鉄臭い塊を飲み込むことすら厭わず。
それ以上の、何かを飲み込むために。
「ロクドウ大佐は見付かりましたか」
「見付かっては居ません、が。四天災者[断罪]があの方の結界によって閉じ込められているのを確認しました。半径数百ガロに近い……、計画より巨大で強固な結界かと」
「ふむ……」
「ただ、国境線で戦闘があったとも報告を受けています。我々の兵士が行った物ではないので、もしかすると、と言った所ですが……」
「……まぁ、あの人に関しては帰還を待ちましょう。他に報告は?」
「Wis、オートバーン大尉率いる大隊は依然として拮抗中だそうです。やはり[精霊の巫女]の存在が厄介なようで」
「こちらからも、さらに増援を送った方が良さそうですね。……やはり、そろそろ私も戦線復帰すべきですか」
ネイクはベッドから脚を降ろし、上着を羽織る。
未だ生傷が癒えず包帯だらけの身が激痛に悲鳴を上げるが、所詮は悲鳴だ。
この程度で止まる事など、出来るはずもない。
「……ご自愛を」
「断ります。こちらの戦況を教えなさい」
兵士は戸惑う。教えて良い物か、と。
教えればこの人は再び戦線に戻るだろう。軍として見ればそれで良い。
だが、部下として見れば教えるべきでない事は確かだろう。
今、出れば、この人はーーー……。
「魔具を」
「……今、何と」
「イーグ将軍が私に下さった、魔具を」
「しかし、アレは」
「恐らく、近しい内にオートバーン大尉も均衡を破るために使い始めるでしょう。こちらも使わないと、示しが付きません」
示しと口にせども、彼の眼光に義務の二文字はない。
その瞳にあるのは、何か。憤怒か、復讐か、仇討ちか。
否、それのどれでもない。
彼は、ただ。
「首狩の双牙を、私の元に」
【スノウフ国】
《城下町・町外れの廃墟》
「と、ネイクは今頃覚悟を決めていよう」
両腕を組み、豪雪の中仁王立ちして地平線を仰ぐ大男。
彼は自信満々に、後方で暖を取る部下へそう言い放った。
部下は部下で何と返事して良いか解らず、もう一人の上官へ視線を送る。
「……どうして解るんです?」
「同じ釜の飯を食い長年衣食住を共にして来た仲間よ。その程度解らずしてどうする」
「真面目ですな」
「儂がいつも巫山戯ておる訳がなかろう!」
「際で……。それで、あの方が攻めるのであればオートバーン大尉も?」
「うむ、儂も動く」
大男の全身には鎧が纏われていた。
否、それを鎧と呼んで良い物かどうかは解らない。
何せ鎧とは自身を守る盾だ。盾を身に纏ったが故の鎧だ。
だがしかし、相手を殺す為の刃をその身に纏えば、何と称せば良いのか。
それは紛う事なき鎧。然れど鎧にあらず。
全身を覆う、その魔具は。鎧などと言う次元に収まりはしない代物だった。
「[豪破漢之装]。イーグ将軍お手製の魔具でしたな」
「うむ、ネイクと並びあの方の最高傑作よ。……ヨーラは受け取らなんだがな」
「中佐は貴方に劣れども及ぶほどの実力だったでしょうに。何故受け取らなかったのでしょうかね」
「あの女は阿呆だからな」
かっかっか、と。
豪快な笑いでオートバーンは空を見上げる。
酷く曇り果てた、空を。
「……どうしようもなく、良い女だった」
あれ程の女ならば抱いても良かった、と。
彼はそう付け足し、自身の眉間を覆う。
「大尉、戦争はまだ続いております」
「解っとるわ。だが、これ程の豪雪と曇天。今暫く敵兵はこちらに気付くまい」
「……それは、そうですが」
「ほんの少し、あと数分ほどで良いから」
それ以上の事は部下であれども言えなかった。
自分達に背を向けるその男の、曇天を見上げるその男の。
頬を伝う雫に、最早、何もーーー……。
「泣かせて、くれ」
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