傲慢なる慈悲
【スノウフ国】
《酒場・白雪》
「おい店主! もっと消毒作用のある酒はないのか!?」
「へ、へい。それが最後です……」
「くそっ……!」
酒場の中は酷く慌ただしい。
それも、いつもの活気ある様子ではなく、焦燥に溢れ空気が火花を散らすような、居心地の悪い様子だった。
ここに駐在するのはベルルーク国軍。それも、ネイク率いる大隊だった。
いや、正しく規模を言えば小隊程度でしかない。残る中隊は外で別隊員による指揮の下、スノウフ国聖堂騎士と戦闘を行っている。
端的に言おう。ネイクは今、生死の境を彷徨っているのだ。
スノウフ国聖堂騎士を率いるキサラギと相打ちに近い形となったが故に。
「……何か、爆発音がしましたね」
しかし、その焦燥はネイクの一言によって潰える事になる。
身体に一文字、臓腑を傷付けられ死にかけているにも関わらず。
ただ、平然と起き上がろうとしているのだ。
「少佐! 起き上がらないでください!!」
「あぁ、これは失礼……。道理で口の中が鉄臭い訳です」
彼は部下に眼鏡は何処かと聞くと、急いで持ってこられたそれを掛ける。
他の者達が固唾を呑む中、取り敢えず一息を飲んだネイクは静かに飲み込んだそれを吐き出した。
「現状は?」
「はっ! オートバーン大尉率いる大隊は現在スノウフ国軍を占拠し始めています。我々がスノウフ国聖堂騎士キサラギ・エドと対峙した際に同じく聖堂騎士副団長である[精霊の巫女]ことラッカル・キルラルナと遭遇したようですが、上手く回避したようで」
「……ふむ。こちらはどうなっていますか?」
「はっ。現在は別員が指揮を執っておりますが計画には少々遅れております。ですが大きな支障を来すほどの物ではないかと」
「上々です。報告は以上ですか?」
「いえ、最後に捕虜が……」
「捕虜?」
「はい。追い詰めた民衆に手を出さない代わりに自分が捕虜になる、と」
「……それならいつも通り交渉材料になりますから丁重に扱って」
「ネイク少佐とお話をしたい、と」
「私と、ですか?」
「はっ。本来であれば無視する所なのですが、その者は戦闘能力も低く何か手を出せるとも思えませんでしたし、何やら我々の進軍に関することを聞きたいようではないそうで……」
「……解りました、通してください」
彼の許可が下り、その者は兵士達によって通される。
両の手を鎖によって縛られた、華奢な、その少女は。
「……確か、聖堂騎士の」
「ピクノ・キッカーという者デス」
「そう、ピクノさんだ。ヨーラ中佐と同じく親善大使でしたね」
少女、ピクノは彼の言葉に頷きを見せた。
ネイクは部下に彼女の手かせを外すよう命じ、同時に二人きりにして欲しいとも命令を下す。
流石にそれはと制する部下も少なくなかったが、大丈夫ですよと引き下がらないネイクに渋々部屋から出て行った。
「さて、漸く二人きりだ」
苦しそうに上体を起こし、彼は背もたれへと体を預け置く。
ピクノはその様子を心配そうに見ていたが、やがて安定姿勢になると彼女も安堵するように肩を撫で下ろした。
「兵士達に目的を言わなかったのは、ヨーラの事だからですね?」
「……そうデス」
「彼女の報告にも貴方達の事があった。尤も、この結果になる事を知っていた上でですから、彼女の苦しみまでは知りませんでしたが」
ネイクは横の小机にある水を手に取り、静かに唇を這わす。
重傷のその身に冷や水は染みたのか、少しばかり表情を崩したが苦悶の声をあげる事はない。
だが、ピクノは彼のそんな様子を見る余裕などなく、ただその心の内に渦巻く疑問を整理するので精一杯だった。
「この戦争が、始まってしまった事についてはもう何も言わないデス。きっと、それは無駄だと思うからデス」
「えぇ、でしょうね。所詮は過ぎた出来事。嵐に文句を言うようなものだ」
「けど、けれど」
必死に、言葉を紡ぐ。
自身の心の中で渦巻く言葉を、必死に紡ぐ。
これは我が儘だ。彼にこれを問うことはある意味で裏切りであり悲痛である事は解っている。
それでもなお、問わなければならない。
「ヨーラさんが無事かどうかだけは、教えて欲しいデス」
切望だった。ただ、少女はその答えだけを望んでいた。
サウズ王国で共に過ごした仲間の、友の安否を知りたいという願いだ。
これにどう答えるべきなのだろう、と。どう応えるべきなのだろう、と。
ただネイクは思案し、そして。
「……何も、言えませんよ」
言葉を発っする事は、無かった。
「これに答えれば、応えれば、貴方はきっと後悔する。彼女が無事であろうと、死んでいようと。この戦乱の中で、この立場で。生きていようが死んでいようが、結果は地獄だ」
「で、でもっ」
「これは私の押し付けがましい慈悲です。いつかきっと貴方も解るだろうという、私の傲慢。それを受け取らないと言うのならそれも良いでしょう。私はこの傲慢の慈悲を捨て去り、貴方に真実を教えます。……それでも、貴方は聞きますか?」
聞くべきなのは言うまでもない。
聞くべきでないのも言うまでもない。
敵であるはずのこの男がそこまで言うのだ。そうすべきなのだろう。
「聞かせて欲しいデス」
然れど、聞かねばならない。
ヨーラは敵だ。もしかするとずっと自分を騙していたのかも知れない。
サウズ王国で過ごした日々でさえ、彼女の偽りだったのかも知れない。
それでも、聞かねばならないのだ。彼女は確かに、自分の友達だったから。
「……貴方は弱く、強い」
ぽとり、と。ネイクはそう呟いて話し始める。
自身の仲間であり彼女の友である、その者の話を。
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