ギルドの人々
《酒場・月光白兎》
「にるう゛ぁぁああああーーー!!」
涙だの涎だの鼻水だのを垂れ流しながらニルヴァーへ抱き付いたその女性。
彼女のお腹は大きく、丁度子供一人分は入るであろうほど膨らんでいた。
衣服もそれに合わせてゆったりした物となっており、彼女の垂れ流す色々な体液はそれらに全て吸収されていく。
まぁ、かといって抱き付かれた当人の顔面にそれらが飛散しない理由など何もないのだが。
「……フレース、余り激しく動くな。お腹の子に影響が出る」
「だってぇ、だってぇ……」
「ニルヴァー、その子ずっと気が気じゃなかったの。アンタの体質を知ってても心配なモンは心配なのよ」
「そういう物なのか」
「そういう物よ」
「だ、だと、思います」
「…………」
ニルヴァーは月光白兎の全店員からの視線を受けて悩みを残しながらも納得する。
尤も、自身の胸の中で大号泣する彼女を見れば嫌でも納得せざるを得まい。
長く暗殺など続けてきた身だ。こういう事にはどうにも疎く思う。
「おーい、水頼むー」
と、そんな店員達も客一人の声に、いいや、正しくはニルヴァー達以外に居る二人の客の内一人の声に慌ただしく動き始める。
改めて店内を見渡してみればどうだ。いつも賑わっていたこの店には最早客が二人しか居ない。
西国が戦争を起こしたという情報を聞きつけるなり殆どの人々がこの地を去ったのだろう。いいや、自分もフレースにそうさせようとしている。
この地は蜜だ。多くの資材があるのに防衛力がないという蜜。
今は仮ギルド統括長である[雨沼]のミズチが奔走しているようだが、この蜜の甘匂を隠せるとは思えない。
ここも、そう遠くない内に襲撃を受けるだろう。
「それをどう退けるか、だな」
「いやいやいや、ウチはただの医者やねんて。そんなん愚痴られても困りますわ」
「良いじゃねぇか。アンタにだって無関係な話じゃねぇしよ」
「そりゃそうやけども……」
水を片手に項垂れるのはサウズ王国騎士団長。そしてその愚痴を聞くのは一介の医者。
何とも奇妙な組み合わせだが、二人の間にはつまみの乗った小皿があった。
元より脚の少ない店だ。ニルヴァーと共に来店してきたゼルが愚痴の相手を見つけるのにそう時間は掛からなかっただろう。
尤も、そうでなくとも医者という事を知って話を聞く必要性があったからこそ来たのだが。
「……で、フレース・ベルグーンは駄目なのか」
「アンタ、アホぉ言いなさんな。あの状態で連れ出したらとんでもない事になるんやで?」
「やっぱりか……。出来れば[八咫烏]の力は欲しかったんだけどな」
「あの状態で動かしてみぃ。医者としてウチが赦さんで」
「解ってる。解ってるが……、戦争の中で戦力が一つでも欲しいと思うのは当然だろ」
「はっ、せやから戦人は嫌いやねん。戦争言うたら何でもして良ぇ思うとる」
「何でもしなきゃこっちが死ぬんでね。俺が死ねば仲間が死ぬ。仲間が死ねば民が死ぬ。民が死ねば国が死ぬ」
「……せやからって何でもして良いっちゅー免罪符にはならんやろ」
「免罪符なんざ要らねぇよ。罪ぐらい背負うさ。……裁かれるのは俺だけで良い」
ゼルは水を杯の半分になるまで仰ぎ飲み、口端を拭う。
知っていた事だ、行っていた事だ。
背負うのは自分で良い、裁かれるのも自分で良い。
ただ守らなければならないのだ。仲間を、民を、国を。
その為には何であれ、しなければならない。その為に騎士の長となったのだから。
「何や、苦労しそうな人やなぁ」
「……胃薬ある? 手持ち切れちゃって」
《東部・鉄鬼》
「……おやっさん、何スかこれ」
「見て解らんか。店の準備だ」
「いやいやいやいや、何フツーに開店準備してんの!?」
シンの焦りなど何処吹く風、鉄鬼の店主は平然と開店準備を続行する。
近く戦場となるであろうこの場所でさえ、その老父は店の品物を磨き上げていく。
まるでいつもと変わらぬ日々を迎えるかのように、平然と。
「解ってんスか!? 戦争始まってんスよ!?」
「だからどうした」
「いやいやいやいや、ここだっていつ襲撃されるか解らねーんスから!!」
「戦争など四国大戦で嫌というほど経験しておる。そして、こういう時こそ儂のような武器防具屋が要る。武器や防具は相手を殺す為だけの物ではなく、味方を守る為の物にもなるからのう」
「けど……」
「うだうだ言うな。ならばさっさと戦争など終わらせてこい。お前はその為の人達と共に居るのじゃろうが」
シンはその後も鉄鬼の店主を説得するために喚いてみたが、彼は一切の聞く耳を持たなかった。
典型的な頑固親父と言うか何と言うか、昔からこの人はこれと決めた事は決して譲らないんです、と。
外で待っていたスズカゼにそう愚痴るのは数十分後の事である。
「すいません、ここまで付き合って貰ったのに」
「いえ、自分の決めた事に従う人って良いじゃないですか。私は好きですよ」
「……年上好きだったりするッスか?」
「熟女かぁ。ムチムチしてて良いですよね」
「あ、はい。ブレないようで何よりッス」
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