封殺の狂鬼
ロクドウ・ラガンノットは弱者である。
いつ頃だったか、まだ戦争中だった頃ぐらいに言われたその言葉を覚えている。
戦争という状況で、戦場という場所で命令にしか従えぬ男はただの弱者だ、と。
あの頃はまだ自分は少佐で、あの人は中佐だった。
弱者である自分なんかよりも遙かに強かった、あの人は。
「っつってもねぇ? 俺みたいなのは戦場で命令聞いて育ちましたし……。あ、でもチェスは得意ですよ? この前もバボック将軍に勝ちましてねぇ」
「そういう物ではない。貴様の意思を問うているんだ」
「意思? ……意思ねぇ。ンなモン考えた事ないなぁ。だって命令聞いて生きてますし」
「死ねと言われれば死ぬのか?」
「それも良いかも知れないですね。ま、俺死ねないんだけど」
そう言うとあの人は酷く顔を歪め、眉根を寄せた。
この表情は見た事がる。以前、彼に俺達は似ていると言った時の表情だ。
俺は親の血で生かされ、アンタは親の命で生かされてる。これは似ているのではないか、と。
そう言った時と、同じーーー……。
「少しは働いてくれませんか」
「いーじゃん大尉くぅん。ちょっとお前真面目過ぎんだよぉ」
貴方は酷く面倒くさがり屋ですね。
部下に、そう言われたのを覚えている。
今では少佐である彼には、自分が中佐の時は酷く嫌われていた。
あの時は戦争が終わったばかりで酷く退屈していたのだ。
その所為で働く気が起きず、日々を怠惰に過ごしていた。
「はぁ……、大佐から命令ですよ。今日中に暴徒を鎮圧してこい、と」
「んぁ、また獣人の反乱かぁ。飽きないねアイツ等も」
「その、こう言う事を言うのは何ですが中佐は何とも思わないのですか? 彼等はただ自分の自由を求めて……」
「知らね。だって命令だし」
「自分の意思がないんですか?」
彼の問いに俺はふと戦時中のことを思い出した。
最近では会う事も少なくなった、上官の言葉を。
そして同時に何かを応える事は出来なかった。
何故なら俺には、自分の意思が何なのか解りはしなかったから。
「と、この様な計画なんだけれど……、受けてくれるかな?」
「あぁ、はい。謹んで」
君は躊躇という物がないね。
つい昨年頃に、国の最高責任者の命令を全く謹まず受けた事を覚えている。
大総統であるその男は嬉しそうに煙草を取ろうとしたが、何かを思いだしたように酷く残念そうな息をついていたのが印象的だった。
「こう言っては何だが、君は役割的に死ぬだろう。もしかすると無駄死にかも知れないが、良いのかね?」
「え? だって命令でしょ?」
「それはそうだけど……。断るなら断っても良いんだよ? 別に代役は立てるし……」
「誰が立つっつーんですか。四天災者なんての相手取れるの俺ぐらいでしょ」
「それはそうだけど……、やはり私とまともにチェスの打てる相手が居なくなるのは悲しいね」
「昔は俺が勝ってたっつーのに最近は勝てませんけどねぇ。ま、ネイクが俺の代わりになりますよ」
「君の代わりなんて居ないよ、ロクドウ」
「居ますよ、幾らでも」
その言葉が答えである事に気付いたのは最近だ。
結局、俺という人間は何処までも軍人だったのだろう。
自分の魂は命令の為にあり、自分の体は指示のためにある。
結局、そういう人間なのだ、自分は。
弱者であり面倒くさがり屋であり躊躇がない。
そんな、軍人という存在が骨の髄まで染み込んだような人間。
それがこの俺、ロクドウ・ラガンノットなのだろう。
「お、ぁ、あああ、ああああああああッッッッッ!!」
幾千数多の紫透明が天を舞い、白礫を切り裂くが如く曇天を翔る。
幾百の防壁、幾千の鋭刃、幾億の結界。
ロクドウ・ラガンノット。ベルルーク国軍大佐である彼の違い無き全力。
一国、大国でさえも相手取れるであろう程の異端な存在。
そんな、彼が。
「[気候神]ウェイザムラフス、彼の周囲気温を臨界点まで下げてください。[天虚]エンプレテスは彼の結界を全て嘘にし、[反換則]イクチエンは彼の魔力をエンプレテスの嘘と交換しなさい」
幾千数多の結界は刹那にして消え去り、ロクドウ自身もまた全身を氷結の中へ封じ込められる。
何が起こったのかを理解することも、相手の恐怖を理解することも出来はしない。
ただ、強者。有り得ぬほどのその者を前にして彼は立ち尽くすしかなかった。
全身を冷酷なる氷に苛まれ、抗う術の一片までを奪い尽くされて。
「化け物、がッ……!!」
白銀の世界。立つは四天災者[断罪]。
己の罪を裁くが如く、天霊三十を従え、曇天に君臨す。
勝てるはずなどなかった、抗えるはずなどなかった。
この男と対峙した時点で己の死は決まっていたのだ。解り切っていた事ではないか。
そうだ、解り切っていたのだ。
勝てない、抗えない、殺されると言う事は、解り切っていた事だろう。
ならば、そう。
今更何を恐れようか。
「……む?」
[気候神]ウェイザムラフスによる、気温の臨界点零度。
[天虚]エンプレテスによる、攻撃の虚無化。
[反換則]イクチエンによる、魔力の消滅。
現状、彼の全身は氷により拘束されて筋肉は凍結して動けない。
さらに一切の攻撃は虚無化で意味を成さず、魔力さえも全て枯渇したはずだ。
だと言うのに、何故だろう。
この男が倒れていないのは。この男が氷結を砕き立ち上がるのは。この男の手に黒紫の結界が存在するのは。
何故だろうーーー……、今、久しく自身の警報が鳴り響いている。
この男相手に、死を感じているのか。
「紫薙武辿・閻鬼」
男の一歩は無へと。
自身の足場を結界にて構成し疾駆。
その速度は最早音を超え光を超え理を超えて。
叡智を遙かに逸したそれは彼自身の皮膚を裂き臓腑を潰す。
それでもなお、その者の一撃が揺れることはない。
「……[封殺の狂鬼]か」
天霊達はそれに反応など出来ず、いいや、故意にしなかった。
ダーテンがそう命じたのだ。彼を止めるな、と。
「君みたいなのが居るから、争いが起きるんだ」
獣人の筋力は人間のそれを遙かに凌駕する。
元より魔力を持たぬダーテンが使霊を使役出来るのは彼の類い希なる許容による者だ。
常人であれば耐え切れない負荷であろうと彼は容易く自身の内に収めている。
そんな者が全力で拳撃を放てばどうなるか、四天災者たる者が全力で拳撃を放てばどうなるか。
それは最早、言うまでもない事だ。
「死してなお、我が道消えずして」
置き去りにされた想い。
ダーテンの耳には確かにそれが届いていた。
音も光も理さえも捨て去った男の、その想いが。
「天命我に在り」
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