置き去られた者達
【ベルルーク国】
《A地区・軍下街》
「ふざけるな! 大総統は何を考えているッ!!」
軍下は余りに騒々としていた。幾万数多の民衆が一斉に怒りの声を上げているのだ。
当然だろう。戦争を起こすのであれば自国を守りつつ攻める物だと言うのに、バボック大総統はその守り全てを捨て去ったのだ。
つまり、自分達が何の前触れもなく死刑宣言をされたに等しいのである。
「お、落ち着いてください! 皆さんのことは我々が責任を持って……!」
「たった数十人しか居ない軍人に何が出来る!! 引っ込んでいろ!!」
その暴動を抑えていたのはエイラ中尉率いる数十人の軍人達。
数万を前に数十人で何が出来ようか。あくまで今は軍だからという体裁を保ってこそいるが、もう数分としない内にそれも壊されるだろう。
たった数十人だ。目の前の数万の並が迫り来れば、如何に彼女達が剛健であろうとも決して止める事は出来ない。
「エイラ中尉、もうこれは下がった方が良い! 我々が何を言っても火に油を注ぐだけです!」
「け、けれど、ここで私達が下がっては……!」
「軍が戦争を起こしたのに違いはありません! この国を見捨てた事にもっ……! 我々は戦争に反対する姿勢を見せていたから置いて行かれた。そうでしょう!?」
「それは、その……」
確かにそうだ。置いて行かれたのは戦争に置いて明らかに足手纏いになると判断された者達数名。
否、中には争い事を好まぬであろう気質の者さえ居る。エイラもその一人だろう。
彼女が軍医となったのは四国大戦が終結した直後だ。疲弊しきった国を癒やすためにと、その心意気で軍に志願したのである。
決して、誰かを殺す為に傷を癒やしたかった訳ではない。
ここに居る兵士達もそうだ。誰かを守りたかったからだとか、争いを起こさないためにだとか。
常々、戦争へ是の意思を見せていなかった者達ばかりが取り残されている。
それをどう見るかは、言うまでもない事だろう。
「エイラ中尉! もう軍下街では暴動が起きています!!」
「見回りに行っていた仲間が獣人達から集団暴行を受けたって……!」
「エイラ中尉! 民衆が段々こっちに集まってます!! 速く逃げないとっ……!!」
限界という壁は、最早眼前まで迫りつつある。
元より人間は兎も角、獣人達に圧政を敷いてきたこの国だ。
こんな緊急時であれば、皆々が暴動を起こすことなど解っていた。
そして、その結末の拭いをするのが誰になるのかも。
その拭いが何であるのかさえ、エイラ達には、最早ーーー……。
「掴まってください」
エイラと周囲の者達数人。
彼等の世界は反転し、重力という枷は消え去った。
何が起きたかを理解するよりも前に、まず彼等が理解したのは誰が起こしたのかという事で。
「す、スズカゼさっ……」
「舌噛みますよ。お静かに」
軍門を何度か飛び越え、彼女は正しく軽業師が如く数人の男女を抱えたまま軍本部内へ降り立った。
自分達より小さな少女が合計数百はあるであろう重さを抱えてここまでの芸当を見せたのだ。
流石に軍人達は言葉もないと絶句するばかりである。
だが、ただ一人、エイラだけはそんな様子を振り切るように、或いは憤慨するようにスズカゼへ食って掛かった。
「どうして! あの場を放っておけばどうなるかっ……!!」
「解ってますよ、そんな事は。暴動を起こす人間がどんな思いなのか、そしてそれに救われなかった人々はどうなるのか。知ってます、全部」
そして、彼等が暴動に全てを掛けているという事も、と。
今ベルルークで起こっている暴動は嘗てスズカゼが体験したそれとはまた異なるだろう。
それでもなお、彼女は前言を撤回しなかった。
全てが正しい訳ではない。しかし全てが間違っている訳でもない。
彼等の思いが、全て。
「……他の人達はゼルさんが助けてます。もう暫くすれば全員集まると思いますが、その前にお願いしたい事がありまして」
「な、何でしょうか……」
「これはサウズ王国騎士団長ゼル・デビット男爵からの言伝であり、同時に私、第三街領主スズカゼ・クレハ伯爵の進言でもあります。……私達サウズ王国はベルルーク国軍を蛮族として見なし、国力を剥奪することを提案します。バボック大総統以下数百万の軍勢は全てこの国には関係ない、と。今後如何なる状況に陥ろうと彼等に支援を行わず彼等を外敵と見なすと約束するのであれば、私達はこの国の安全を誓います」
「……それは、つまり」
「戦争終結後数年は搾取され続け批判され続けるでしょう。しかしこの国が、民が危険に晒される事はないと約束します。……ってトコですね」
王を取るか民を取るか。
至極単純な選択。そして至極残酷な選択。
最早、軍から捨てられたに等しい彼等からすれば、どちらを取るかなど言うまでもない。
自衛力を失っている国からすれば有り難い所か救済の言葉にさえ聞こえるだろう。
だが、それは。彼等の口から言わせるのと同意義なのだ。
自分達は国への忠義を捨てます、と。そう言わせる事と何ら変わらない。
「……ッ」
兵士達は、エイラでさえ口を噤まざるを得ない。
余りに甘く、余りに優しく、余りに劇的な毒。
バボックが嬉々としてスズカゼに浴びせ掛けた毒を、彼女は今他人へ浴びせ掛けている。
甘く、優しく、そして何より、孤独に。
「…………明日、ここを発ちます。それまでに答えを出してください」
スズカゼは必要以上に待つ事は無かった。
彼等の中に毒が広がるのを待つ事はなく、彼等が口端から悲痛が零れるのを待つ事もない。
ただ、自身の醜悪さに口端を噛み締めながら、去るばかりだった。
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