天秤は揺らぎ夢は消える
《C地区・軍訓練場》
「……天秤、か」
ロクドウは呟いた。
眼前で自身の結界に縛り付けた男を前にして、呟いたのだ。
天秤、と。
「ゼぇールぅーくぅーん。取引しませんかぁー?」
「……あ?」
傾ける。自身の選んだ方に。
同じぐらいの重さの物に、指を掛けて傾ける。
自身の意思で、傾けたのだ。
「今、この国に俺は自分の結界を仕込みまくってる。そしてそれはある程度の魔力を感知出来る。お前よりもっと遠くのな」
「……だから、何だ?」
「お前のお仲間、死にそうだけど大丈夫?」
刹那、ロクドウの下半身は消し飛んだ。
文字通り消し飛んだのだ。肉片、血液一粒として残さず。
その空間から切り取ったかのように。閃光の者によって。
「煌鉄の剣帝、か」
彼の眼前に見えるは輝き。
右腕より放つ輝鉄を全身に纏った、男。
サウズ王国最強と称され、四国大戦の戦場を幾多と駆け回った閃光。
「……嫌なこと思い出させてくれるねぇ」
消し飛んだ下半身に最早痛みはない。
落ち行く視界の中、彼にあったのは顔面の苦痛。
嘗て不死であり規格外の治癒力を持つ自身の顔に残された、傷。
「さて、お前ってちょいとキレやすいトコあるからな。話をさっさと進めよう」
上半身だけで這いずる男を前に、輝鉄纏う者は歩みを留める。
否、それは最早歩みではない。彼の歩みは一歩で全てを疾駆するのだから。
言うであれば、それは、戦意。
「俺はさっきも言ったがこの国一帯に結界を仕込んでる。やりように寄っちゃ全部[紫薙武辿・蠱牙]として発動し比類なく躊躇なく例外なく殺すことが出来る。無論、それをしても良い、が。一応は軍下街にエイラちゃんも居るしな。やりたくはない」
だから取引をしよう、と。
男は天秤の受け皿を指で突きながら、嗤う。
「俺はこの国から撤退して本隊に合流する。無論、お前の仲間もこの国も放置してな。このまま戦い続けても俺とお前じゃ決着がつかないだろ。いや、ついたとしてもそりゃこの国や周囲一帯を焦土にした末の決着だ」
最早、誰を捕らえるでもない結界は解除される。
粉雪のように、或いは光蛍のように、若しくは散りゆく閃光のように。
ロクドウという男の戦意と共にそれは解かれ、ゼルもまた、完全に戦意を解いた。
「……乗ってくれるか?」
「乗ってやる」
即決。当然だ、ゼルにとっては悪くないどころか望ましくすらある。
ロクドウは嬉々として両手を叩き、再生しつつある下半身を使って無理やり起き上がった。
二人は頭の高さが同じになると共に踵を返し合い、背を向ける。
「次に戦うのはいつになる?」
「死地だ」
「……いいや、地獄だよ」
消え去りし果てにあるのは、死地。その果てには地獄。
サウズ王国最強と呼ばれた男、封殺の狂鬼と呼ばれた男。
二人の殺し合いは取引を持って終わりを迎える。
天秤は傾きて終戦を示した。然れど、その傾いた受け皿が何処に沈むかは解らない。
死地なのか、地獄なのか。
それとも、また違う何処かなのかーーー……。
【ベルルーク砂漠】
《ベルルーク国奥地》
「……」
男は白煙を吹かしていた。
この国の数少ない名物。幼き頃、慣れ親しんだ男がよく吸っていた煙草。
思い出せば、あの男に拾われて幾年過ぎただろう。幼少の頃、ヤツは大佐だった。
それから恐ろしい速度で進んでいってーーー……、あぁ、そうだ。いつしか将軍、そして大総統。
あの男はいつだって、前に進んでいた。
自分のやりたいように、自分の生きたいように。
「子を手に入れ、力を手に入れ、地位を手に入れ、国を手に入れーーー……、次は世界か」
全く持って嗤えてくる。
口端がぴくりとも動きはしないが、それでも嗤えてしまう。
その男が捨てたのだ、自分を。最後の任務を持って。
「最後の任務、か」
所詮、この小娘でさえ前座でしかない。
最後の楽しみの為に用意された前座だ。
なればこそ、嬉々として喜ぶべきだろう。
それこそ大袈裟に両手を広げて、天を仰ぎながら名乗りでもあげて、だ。
「だが、違うな」
自らの吹く白煙が風に舞って消えていく。
その刹那に、少女の口から吹き出す黒炎と入り交じって。
砂漠の果てに、消えていく。
「この煙のように消え去るべきだというのなら。砂漠の儚き夢など、死んで然るべきだ」
幾多の時を過ごした? 幾多の夢を見た? 幾多の命を奪った?
全ては望み通りに。殺戮の徒として、全てを奪ってきたのだ。
いつしか四天災者と呼ばれーーー……、同等の者が現れた時はどうしようもなく嬉しかった。
嗚呼、自分もこうして生きられるのだろう、と。彼等と共に殺戮の限りを尽くせるのだろう、と。
だが、だ。結局、今でも思い出せるあの一言で全ては終わってしまった。
―――――もう終わりにしねぇか? 戦いも、戦争も、俺達もよ。
あの言葉の所為で、全ては。終わってしまった。
自分も、何もかも。
「……だが、また始められる」
イーグは立ち上がる。
全身に僅かな紅蓮を纏う少女を置き去りにして、自身が吹いていた白煙の元を捨て去って。
夢のように散っていくそれらに別れを告げることもなく。
ただ、砂漠の果てへーーー……。
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