少女の甘い毒
《D地区・軍本部・廊下》
「……が」
ファナはそこに居た。ヨーラはそこに居た。
ファナは壁面の亀裂に埋まり、黒血の塊を吐く。
ヨーラは瓦礫の絨毯に佇んで、悲壮の息を零す。
決着は着いた。ヨーラの魔方陣による一撃とそれに追随する身体能力。
決してこの閉所、若しくは一方通行の場所で避けられるはずもない、一撃だった。
「終わりだね」
亀裂に沈む少女の片腕はへし折れていた。
あらぬ方向に曲がり、腕の長さが左右で異なっている。
この状況で魔術大砲が放てるはずもない。例え残る片手で放ったとしても、たった一発のそれで今のヨーラを殺せるはずなど、ない。
「……貴様のように、猜疑に塗れて生きるのか。憎悪や失望に覆われて、自分の意思などなく、思考停止した人形のように」
「私は、どうすれば良いんだろうね。アンタに聞いても仕方無いことだってのは解ってるけど、やっぱり問わずには居られない。私はずっと知ってたんだ。アンタの国に行く前から、ずっとね。この計画に置ける狂いはスズカゼ・クレハという人間ただ一人。つまり、アンタ達は計画にさえ入っていなかった」
私がアンタ達に出会い、共に過ごすことは。
アンタ達に情を抱き、戸惑う事は。
計画になんか入っていなかった、と。
彼女はただそう、呟いて。
「アンタだってそうだ。モミジやピクノ、ハドリーやメイド。サウズ王国の騎士団やゼル、デイジー、サラ、リドラ、メタル……。そして、スズカゼ」
サウズ王国で過ごした時は彼女にとって余りに甘美だった。
軍隊という規則の中で過ごし、幾千幾多の戦場を越えてきた彼女にとって。
仲間と共に過ごすその日々は、どうしようもなく甘美だったのだ。
「……楽しかった」
望むのであれば、あの日々が続くようにーーー……、と。そうとすら、願った。
だが、彼女の中にベルルークを裏切るという思想は一縷として無かった。
ベルルークで産まれ、ベルルークで生き、ベルルークで育ってきた彼女に。
そんな思想など生まれるはずは、無かったのだ。
「最後だよ」
彼女の脚に魔方陣が刻まれる。
一撃にて城塞だろうと粉砕する破砕の脚撃。
華奢な、最早抵抗する力さえ残って居ない少女の顔面など、容易く砕く事が出来るであろうーーー……、一撃。
「滑稽だな」
構えられた足が、止まる。
「笑みすら零れる」
片腕を折られ、亀裂に沈むしかない無力な小娘が、不敵に笑っていた。
「何度考えた? 憎悪したか? 呪ったか? 自分の運命を考え、憎悪し、呪ったか? 本当にそうしたか? どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのか、と。そう考えた事はあったか? 幸せに過ごす者達を見て憎悪したか? 自分と似た境遇にある癖に、自分を追い込んだ者と同じ種族の癖にどうして楽しそうに笑っているのか、と。呪った事はあったか?」
ヨーラは静かに足を降ろす。
瓦礫の海に沈むはずの少女が笑っていたから。
自分を笑って、酷く忌々しい眼光を浮かべていたから。
「何も考えず、何も憎悪せず、何も呪わず……!! 綺麗事ばかり並べて、ただ状況だけを喚く……!! 何と滑稽! 何と愚かしい!! まるで自分を見ているようだッッッッ!!!」
ファナ・パールズ。
嘗て獣人の盗賊により、自身の両親を殺される。
それを切っ掛けとして獣人を怨み、嘗ては周囲を巻き込んででも殺そうとした。
しかしスズカゼと出会い、彼女と共に巻き込まれた一件の中で、ファナは気付く。
自分が考え、憎悪し、呪ってしかいないことに。
その先へーーー……、進もうとしていなかった事に。
「殺せ、私を。殺して考えて気付き、憎悪して苦しみ、呪って理解しろ。私を殺すという意味を。決別や別離という意味を。……お前が、何を思っているのか、何かを思えるのか」
剛脚が、完全に止まる。
眼前に居るのは死に絶えるまで数瞬の少女だ。
へし折れた腕の激痛に脂汗を流しつつも不敵に笑う、少女。
自身が足を蹴り入れれば一瞬で楽にして上げられるだろう。
そうしてあげるべきなのだ。彼女を思うのであれば、サウズ王国の友を思うのであれば。
そうして、あげるべきなのにーーー……。
「どうした?」
この小娘を殺せる気がしない。
この小娘を殺すということは、自分を殺すという事だ。
自身が持つ迷いではなく、ベルルークに尽くす自分を。
出来ない、それだけは。何の為にここまでやってきた? 何の為に全てを捨ててきた?
ヤム、エイラ、ネイク、オートバーン、ロクドウ、バボック、イーグ。
幼き頃から見てきた彼等を裏切ることなど、自分には出来ない。
いや、それと同じぐらい、サウズ王国での想い出を裏切るような事は出来るはずなどない。
「……どうした、殺さないのか? 私を、殺せないのか?」
ヨーラは完全に構えを解いた。
その鍛え上げられた腕を、不敵に笑う少女の首筋へ伸ばす。
そして、緩やかに、緩やかに。
「それ、が、お前の、思考……、だっ……、ぁが……」
締め落とす。
「……悪いね。私はアンタの言葉に従えない。アンタの甘い甘い毒に沈めない。私は、駄目なんだよ」
ベルルークで生きることしか出来ないから。
その小さな、崩れゆく瓦礫に埋もれるほどに小さな囁きが、意識を沈める少女に届いたのかは解らない。
それでも、なお。
ヨーラは、ベルルーク国軍ヨーラ・クッドンラー中佐は。
何も言わずに、何もせずに、その場を去って行った。
読んでいただきありがとうございました




