殺戮の徒
【ベルルーク砂漠】
《ベルルーク国奥地》
「ッ……!」
幾時が、過ぎ去っただろう。
眼前の男と対峙したこの刹那が。
いつまで、続くのだろう。
「どうした?」
実際には数分とて経過していない。
男の絶対的な殺気の元、少女は歩み出すことさえ出来ずに硬直していたのだ。
欠片とて気を抜くことは出来ない。もし抜けば、その場で死すだろう。
この男はそれだけの力を持っている。自信の紅蓮の衣さえ貫く力を。容易く引き裂くであろう力を持っていると。
「私は、まだ何もしていないが」
一歩。
少女の片足が折れる。
二歩。
少女の覇気が砕ける。
三歩。
少女の心が、折れーーー……。
「て堪るかァアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!」
天を貫く豪炎柱の中、スズカゼの天陰・地陽が咆吼をあげる。
眼前の化け物だけではない。周囲全てを消し去る意気で放たれた全力全開の一撃。
豪炎柱だけではない。その一撃を前にして、イーグでさえ防御の型を取らねばならぬ程の、一撃。
「悪くない」
だが、だ。
彼は確かにそれを防御した。然れど、それは両腕を交差させた程度の物。
たったそれだけで、彼は、スズカゼの天陰・地陽に対し、衣服の焦げ傷程度で済ませたのである。
自身には一切の傷を負わず、だ。
「解るか? 小娘。これ程の実力差がある。貴様が全力で抗おうと決して埋まらぬ実力差が」
迫り来る脅威に対し、スズカゼは停滞も停止も見せる事はない。
自身の尽きることなき無限の魔力。その全てをイーグ・フェンリー、四天災者[灼炎]に対して撃ち込み続ける。
周囲の砂々は燃え尽きた。道端に転がっていた炭死体は朽ち果てた。
それでもなお、眼前の男は傷一つ負わずして悠然と経つ。
化け物と称すに相応しい、殺気を持って。
「解らぬのならーーー……、見せてやるだけだ」
イーグの白手袋が、紅蓮の火炎を掻き分けて差し向けられる。
五指を順に折りたたみ、その先端に焔という生命を点して。
「灼炎の猟犬」
眼前、出現すは灼炎の猟犬。
少女の一撃を疾駆の元に回避し、彼女の首音に喰い付く、猟犬。
火炎の牙は彼女の衣だけでなく、その柔肌さえも噛み切り、骨肉に到る。
「く、か」
その叫びを上げたのは猟犬だった。
少女の傷口から染み出した紅色。それを臓腑に到らせた、魔力によって創られし猟犬。
血液とは生命の奔流。即ち魔力の権化。
端的に言えば、浸食したのだ。少女の人間たり得ぬ魔力が四天災者であるイーグのそれを、貪ったのである。
「ほう」
コレは全く持って偶発的な出来事であった。
イーグは既に知っている。スズカゼの特質を。霊魂化、或いは精霊化という体質を。
然れど知る由もなかった、彼女の魔力濃度。或いは魔力量。
純粋にそれ等だけを見るのであれば、既に彼女は自身を上回っている。
四天災者最大の魔力を持つメイアウスにすら到りかねない、異質な濃量は。
「だが、それだけだ」
大地を潤すに百の水を用意するとして。
一度に百の水をブチ撒ける行為と、一の水を百回巻き続ける行為。
どちらが長く大地を潤すのかなど、言うまでもない。
「戦いとて同じこと」
経験の差だろう。
幾ら異質な力を手に入れようと、経験は得られない。
この小娘は余りに惜しい。経験さえ積めば、或いは我々と同じ域に達する事さえ出来ただろう。
然れど、しかし、それでも。
到るには、まだ青過ぎる。
「若いな、小娘」
天を舞う魔炎の太刀。
高が魔力が多く、高が魔力の扱いだけで生き残れるはずもない。
軍人として、殺戮の徒として、一日として欠かすことなく鍛え上げた身体。
それから繰り出される一撃は、例え魔力を待っていなくとも岩盤を容易く粉砕する威力を持つ。
そしてその威力で繰り出される脚撃が、少女の持つ刃を弾けぬはずもなく。
「感じろ、これが死だ」
紅蓮を纏いし拳撃。
最短距離、最大威力で振り抜かれる必殺の一撃。
回避など赦されぬ。防御など赦されぬ。救援など赦されぬ。
跡形一片として残らない、灰燼一縷として残されない。
それは違い無き、死の形。
「ーーー……」
カチリと、音がした。
それは何かが起動した音ではない。何かが崩れる音でもない。
そう、強いて言うならば、歯車が噛み合った時のような音。
否、そうではない。事実、歯車が噛み合ったのだ。
「……く」
考えてみれば、妙な話ではないか。
魔力によってその命を保つ精霊。自身が魔力を生み出す人間。
スズカゼ・クレハという存在はその双方が一つの器の中に生存している。
双方が共に生き、一つの枠組みの中で生産と消費を繰り返しているのだ。
嘗て彼女の周囲の人間が恐れたのは過度の生産による精霊化という、[霊魂化]なる現象だ。
「くはは」
だが、それはあくまで生産という面を見ての問題でしかない。
消費はどうだ? 今、この時、スズカゼは自身の魔力を撃ち放つ天陰・地陽を乱発した。
剰え首筋の傷から魔力を漏出している。これで、消費が上回らない要因が何処にある?
そして、追撃するかのようなイーグの致死なる拳撃。
全ての条件は整った。精霊は餌なくして眼前に死を迎えたのである。
「そうか。そうか」
死を迎えた生命とやらが取る行動は一つ。
足掻き。ただ、それだけ。
「それでこそだ」
足掻くのだ。餌無く渇いた生命が、足掻く。
餌は何処だ、と。自身の喰いを害する存在を排す、と。
足掻き、足掻き、足掻き、気付く。
あぁ、何だ。ーーー……餌は、目の前にあるではないか。
「喰ったなッ! 我が魔力をッッ!!」
スズカゼの双腕が受け止めるは拳。
何一つとして纏われぬ、男の鋼が如き腕。
そして喰らうは彼の魔力。彼の腕纏いし紅蓮。
「……これが」
少女はその身に紅蓮を纏い、焔となりて。
四天災者[灼炎]の魔を喰らいて、双脚を持って大地に立つ。
「私のッッ!!」
彼女の身を貫くは業火の刃。
眼前に構うは漆黒にして紅蓮の銃口。
反応出来るはずなど、無かった。彼女は刹那とは言え慢心してしまったのだ。
殺戮の徒を前にして、隙を見せたのだ。
「……やはり、若いな」
彼女の身は大地に伏す。
燦々と輝く太陽は紅蓮の豪炎柱に覆い喰らわれた。
その先には何もない。白き光すら、有りはしない。
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