運命と生き様と義務によりて鐘は鳴る
《D地区・軍本部・廊下》
「…………」
少女はただ呆然とするばかりだった。
件を話し終えたバボックはそれ以上何かを言うでもなく、スズカゼを部屋から追い出したのである。
それは余りに予想外。それを元に何か嫌味でも言ってくるワケではなかったし、それ以上の何かを言うワケでもなかった。
バボックはただ、スズカゼに伝えたのだ。この星の大半を焼き尽くしたのは四天災者同士の争いである、と。
彼等こそは人類の毒である、と。
そして、もう一つ。
「……イーグさんに会いに行け、か」
バボックはそう述べた後、話は以上だと彼女を追いだしたのである。
この国の端、アルカーが攻め入ってくる場所の奥地にイーグは居る、と。
彼はそう言ったきり、煙草を惜し気に味わい、何も言わなくなってしまった。
追い出したと言うよりは、そう。自分が出て行くのを待っているようにすらーーー……。
「行く、か」
行くしかあるまい。
彼の表情は何処か不思議な物に見えた。
不思議というのは、それを言い表す言葉がなかったからだ。
正直言おう。この国で最も不安視していたのはバボックとの対面だ。それがアッサリと終わったのだから、不思議と言っても差し支え有るまい。
いや、それ以上にーーー……、あの男の表情が、どうしようもなく、嬉しそうに、見えたから。
「……気のせい、だとは思うんだけどなぁ」
いいや、考えるのは止そう。
あの男は悪魔だ、考えれば考えるほどに呑まれてしまう。
大口を開けて、甘露を垂らしながら、あの男は呑み込もうとする。
その奥底に猛毒の沼と牙壺を持って。
「だからこそ」
考えてはいけない。
考えるのであれば、進むしかないのだから。
【ベルルーク砂漠】
《ベルルーク国奥地》
「……これは」
バボックの言葉通り、ベルルーク国奥地にある砂漠へ足を踏み入れた彼女。
嘗てイーグより魔炎の太刀を受け取った際に一度だけ自身が降り立った、その場所。
あの時は無我夢中で、自分が何をやったかのさえ明確には覚えていない。
ただ、全魔力を放たんがばかりの勢いで紅蓮を放ったのは覚えているがーーー……。
「まさかあの時の残骸、じゃないよね……」
辺り一片、視界の内端々に転がっていたのはアルカーの焼死体だった。
未だ黒煙を上げ、中には火炎を纏っている物さえある。
単純に考えればイーグが焼き殺したのであろうがーーー……、今まで獣人を餌にしていたような国が、今更になってこんな事をしたというのか?
進むためだけに? この先に行きたい為だけに?
「……」
平和を望んでいるのではないか、と。そう思いもした。
四天災者は争っていた。彼等は彼等の、国家間の抑止力である前に自身達の抑止力だったのだ。
だからこそ、思う。彼等は互いに争って、それに疲れたから四国大戦を終わらせたのではないだろうか、と。
けれど、この光景を見れば解る。それは違う。
彼等は、少なくともイーグ・フェンリーは平和など望んでいない。
だとすれば、いったい何がーーー……、彼等に戦争を止めさせたのだろう。
「……来た、か」
気付けば、彼女の眼前にはイーグが居た。
横目で確認すれば、ベルルーク国は最早小さな拳ほどでしかない。
この距離を歩いてきた中で一度でさえアルカーの黒死体が途切れる事は無かった。
彼は、イーグは、自身が到るこの場所まで、遮るアルカー達を焼き殺してきたのだ。
自身の道を歩むためにあるそれら全てを、ただ。
「イーグさん。お久し振りです」
「あぁ、久しいな」
彼が立っていたのは、恐らく村があったであろう跡地。
大凡、そこにある瓦礫だけが村だったのだろうと思える程度の標。
イーグはその光景を見回すでもなく、踏みつけるでもなく、ただ、そこに居た。
「魔炎の太刀の使い心地はどうだ?」
「えぇ、お陰様で。これがなければ今まで何度死んだことか」
「随分と無茶をしているようだな。各国での噂は届いている」
「お恥ずかしい話で」
「……心にもない事を」
イーグの黒眼鏡は、太陽の光を跳ね返す。
或いは漆黒に落とし込んでいるのだろうが、それを理解する術はない。
だからこそ思う。スズカゼは思うのだ。彼の本心が解らない、と。
「バボック大総統から話を聞きました」
「そうか」
「貴方は、貴方達は本当に戦っていたんですか? この国で、この大陸ではなく、外で」
「あぁ」
「ロドリス地方は貴方達の戦いによって、いいえ、この大陸以外の大陸は貴方達の戦いによって滅んだ。そうですね?」
「その通りだ」
イーグは同意の言葉しか吐かない。
そこに動揺や感傷と言った物は存在せず、ただ吐息のように同意するばかり。
スズカゼは彼のそんな様子に憤慨するでもなく、疑問を抱くでもなく。
むしろそれが相応しいとすら、思える。
「……どうしてです? どうして、そこまでしておいたにも関わらず戦争を止めたのですか?」
「気付いたのだ」
「何に?」
「自分達がこの星にとって害悪であることに。猛毒であることにな」
イーグは僅かに足先をずらす。
砂埃が舞い、風に連れ去られていこうと、彼が視線をくれてやることはない。
「初めに気付いたのは[斬滅]だった。次に気付いたのは[魔創]だった。そして同意したのは[断罪]だった。最後まで従わなかったのは、俺だった」
「……斬滅は、何と?」
「自分達の戦いがこの星を殺している。自分達はこの星に居るべき存在ですらない。自分達の戦いは、自分達はいつしか、この星にさえ相応しくない存在になってしまったのだ、と」
微かに、それだけが。
イーグの表情を歪ませる。
「……無論、嘘だ。いいや、斬滅が述べたそれは事実だが、奴が我々を止めようとした理由は別だ」
「嘘? 斬滅が、ですか?」
「あの男は、ただ愛してしまったのだ。自分達が知り得るはずもない、蚊帳の外で殺し合う有象無象共を。彼等の生き様を、愛してしまった」
イーグの表情はさらに歪む。
最早、隠そうともしていない。
彼の眉根は露骨に歪み、牙さえ外気に晒して。
「……貴方はそれが気に入らなかった」
「無論。闘争は生き様だ。奴はそれ以外を愛した。俺は、それが気に入らない」
「どうしてです?」
「俺は魔力操作に長けた。[魔創]は魔力量に長けた。[断罪]は精霊受容に長けた。[斬滅]は、殺しに長けた」
「……殺し」
「俺達[四天災者]はどうしようもなく化け物だ。四天災者の名前が無ければ、それを表すことすら出来ない化け物だ。その中で思う。俺達はもしかすれば、人間を殺す為の存在ではないのか、と。この世界を壊す為の極地ではないのか、と」
「何が、言いたいんですか」
「俺達は争うべきだった。今でさえも、あの場所で殺し合うべきだった。世界を、星さえ殺そうと、殺し合うべきだったと思う」
「それは貴方が闘争を望むからですか?」
「俺が殺戮の為に産まれたからだ」
イーグは、呟いた。
ここは俺の村だった、と。俺が生まれ育つはずの村だった、と。
そして、それを壊したのは俺だ、と。殺し尽くしたのは俺だ、と。
「……村」
「少し昔話に付き合ってくれるか」
「えぇ、どうぞ」
「すまんな」
イーグ・フェンリーは産まれた。
当時、大戦中では普遍的な村で、いや、むしろ裕福とさえ言える村で。
何の不自由もなく、一つの家で、父親と母親に囲まれて、産婆の前で産まれ、そして。
彼等全てを焼き殺したのだ。
「魔力の暴走……。生来、多大な魔力を持った者には避けられない運命。俺はただ、誰かを殺すに相応しい回路と常人を遙かに逸す魔力を持っていただけだ。そして、それが産まれた瞬間の俺には余りに重すぎた。それ故の火災。俺は産まれた瞬間に両親を焼き殺したのだよ」
語るイーグの表情は、斬滅のことを語る時より幾分か平常を保っていた。
自制や我慢というワケではないだろう。本当に、彼からすれば斬滅よりも興味の無い話題なのだ。
例え自分の両親の事でさえも。
「……本当なら、俺はそこで死ぬはずだった。自身の魔力に焼き殺され、死ぬはずだった。だが、生きて居る。この痕を負って、生きて居る」
イーグは首筋に指を這わせ、その傷を示した。
余りに醜い火傷痕だ。彼の指の動きからして、それは全身の果てまで広がっているのだろう。
然れど、やはり。イーグは表情一つ歪めようとはしない。
「何故だかは解らない。あの両親が俺を救う理由など、解るはずもない。……だがこの痕は、奴等に与えられた物なのだろうな」
彼の両親は焼け焦げ、形を保つことすら危うい自身の腕で、イーグを外へ連れ出したのだ。
そしてその後、自身の身を焼き尽くした。産まれた直後の、自身達の息子によって。
「……貴方は、それ程の愛を受けてもなお、この世界を滅ぼすと?」
「愛、か。そうなのだろうな。彼等は俺を救ってくれた。俺の命を愛してくれた。産まれた直後の俺に、ただ自身達を殺す為だけに産まれた、俺に。殺戮のために産まれた俺に、だ」
自嘲。
微笑むかのような、笑み。
それは自分への嗤い。
「だが、そんな物はどうでも良い」
イーグの表情に、再び憎悪が宿る。
毛先ほども表に表すものではないが、然れど。
間違いなく、憎悪。
「俺はそうして殺戮のために産まれた。殺戮は俺の運命、生き様、義務とすら言える。だからこそ、思うのだ。高が人間程度を愛し、四天災者たる存在を辞したあの男をーーー……。俺は、斬滅を憎悪する」
「だとすれば、どうするんですか。この世界の何処に居るかも解らない斬滅に戦いを挑むとでも?」
「あぁ、この世界に力を隠して鈍々と生きているあの男を殺す。それが、俺の目的でさえあると言っても良い」
「貴方は運命、生き様、義務の為に、そこまでするんですか」
「ならば問おう、小娘」
イーグはその身をスズカゼへ向けた。
完全に、憎悪を露わにして。
恐らく常人であればそれだけで死に絶えるほどの、否。
スズカゼでさえ意識を強く保っていなければ死を覚悟するであろう程の、殺気を持って。
「貴様の生きる意味は何だ?」
意味を問う。
彼は運命や生き様や義務の為に生きると言った。
ならば、自分は、そう。
「仲間の為に生きます」
この世界で自分が生きて来られたのは仲間のお陰だ。
非力な自分が力を得ていたとて、仲間が居なければ死んでいた。
ゼル、ジェイド、リドラ、ハドリー、ファナ、デイジー、サラ、メイド、メタル、バルド、メイアウス、デュー。
もっと多くの仲間のお陰で自分は生きてこられた。
彼が、四天災者[灼炎]が、殺戮のために生きるというその男が運命、生き様、義務のために生きるというのであれば。
自分は胸を張って言おう。仲間の為に生きるーーー……、と。
「……それでこそ、だ」
殺気は途切れる。
彼は微笑んでいた。先のように自嘲の様な笑みではない。
嬉々として、喜ぶような、無邪気な笑みにさえ思える。
そう、それは、何故だか。バボックの浮かべていた笑みと同じにさえ、見えた。
「お前の持つ常人らしからぬ力も、お前の持つ異質な体質も」
彼は両手を広げて、天を仰ぐ。
捲れた袖先から見えるのは、余りに醜く刻まれた火傷の爪痕。
「世界の異端も、我等が害悪も、この星の奔流さえも」
牙を歪ませ、嗤う。
四天災者[灼炎]の、違う事なき心底からの笑み。
「俺は受け入れよう。俺は殺そう」
殺戮のためだけに生きてきた男の、決意だった。
平和という生湯に浸かった男が初めて見せた、心からの、決意。
「この世界の、平和を」
刹那。
ベルルークから豪炎が湧き上がる。
同時に自身の周囲には業火の壁面が聳え立ち、退路の一切を燃やし尽くす。
砂塵は灼熱の元に灰燼となり、奇異なる灰身は一片残らずして殺戮の最果てへ。
「……問うだけ、無駄ですね」
「嗚呼、今更水を差してくれるな」
この男は、この男とバボックは望んだのだ。
平和となり、平穏となったこの世界の崩壊を。
彼等にとってそれは運命であり、生き様であり、義務。
それこそが、彼等の望み。
「始めよう、世界。未だ嘗て無い闘争を。未だ渇かぬ殺戮を。未だ求められる狂演を」
歩む。
殺気などでは生温い。
四天災者[灼炎]の、紛う事なき殺意。
彼の心に、どうしようもなく君臨し続ける、本質。
「なぁーーー……? 獣人の姫」
読んでいただきありがとうございました




