風呂にて汚れを落とす
《D地区・軍本部・大浴場男湯》
「…………」
大凡、数百人は入るだろうか。
少し視線を下げれば果てが見えなくなるほどの大きさを持つ、この大浴場。
設備も自身の邸宅にある物より多少は頑丈そうだ。成る程、軍兵が身を流す場所としては適切に過ぎるだろう。
そこを、こうして一人で独占できるとなれば、中々面白い物がある。
偶にはこうして一人で緩やかに入るのも、まぁーーー……。
「……殺気ッッ!!」
全力で水面を掻き分け、彼は半分ほど疾駆する。
豪速により湯水は天井に届かんが程の爆発を見せるが、駆け抜けた当人は何も言わず後方へ視線を向けていた。
傷だらけの尻が浮き筋肉の塊が聳え立つ、その方向へと。
「……ロクドウ、オートバーン」
「久しいな! ゼル男爵よ!! 良い物を持っている!!」
「ひっ」
「いや、まず俺助けてくんない? 何でお前平然とゼルのモン褒めてんの? 上官だよな、俺」
「ロクドウ殿は本気で殺そうとしてくるので嫌である」
「当たり前だろチクショウ!!」
水面から尾を流すように金髪を上げたのは、一人の男だった。
引き締まった肉体には幾千の斬痕と弾痕。多少整ったその顔の鼻頭にも一閃の刃傷が奔っている。
また、斬痕の上で水滴を弾く瞼に隠れるのは頭髪と同じ金色の瞳。然れど、片目だけは何故か薄色だった。
年齢はゼルと同じ程度だということもあって、全身の傷さえなければ女性受けしそうな優男だ。
尤も、彼の実情を知るゼルからすればその男が女受けしそうな優男ではない事など充分に知り得ているのだが。
「……久しいな、ロクドウ」
「あぁ、久し振りだな」
「聞きたいことがある」
「言いたいことがある」
「何でそれ連れてきたッ……!?」
「これ連れてきてマジごめんッ……!!」
骨肉隆々にて腕を組み、大笑いする一人の変人。と言うか変態。
巨大な浴槽の端々に逃げたゼルとロクドウ。その双方を狙う変態。
互いに視線を交わすゼルとロクドウ。その双方を狙う変態。
共に魔力を溜めるゼルとロクドウ。その双方に狙われる変態。
数秒後、浴槽の湯水が半分と骨肉隆々の変態が吹っ飛ぶのは言うまでもない事だった。
《D地区・軍本部・大浴場女湯》
「……何やら隣がうるさいね」
一方、男湯の十分の一あるかないかと言うほど小さな浴場。
そこにはスズカゼとファナとヨーラは勿論として、何故かエイラの姿まであった。
いや、正しく言うべきだとすれば、手足を荒縄で巻かれてその先に重石を付けられたスズカゼと、その隣でのんびり湯に浸かるファナとヨーラ、そして気恥ずかしそうに柔布で全面を隠すエイラの姿があった、だろう。
所詮は男湯の十分の一ほどしかない女湯だ。スズカゼのその異常な状態は四人も入ればいっぱいになる女湯が平和である為の措置といった所である。
「にしても狭いですね。普通はもう少し広いモンなんじゃ?」
「軍は圧倒的に男が多いからね。女なんて数えるほどしか居ないのよ」
「何その地獄」
「……貴様だけだろう、それは」
「あ、あの、と言うかスズカゼさんはそのままの状態で大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ、ここ足つくし」
スズカゼは同意の言葉と共に微笑むが、何かに気付いたらしくふと表情を強張らせる。
思わずファナは身構えたが、スズカゼは優しげな笑みを浮かべたまま沈んでいく。
この状態で沈めば浮き上がるなど不可能であろうが、彼女は何ら迷うことなく、沈んでいったのだ。
「す、スズカゼさん!?」
「……何をするつもぉんっ!?」
ファナの股座でもぞもぞと蠢く何か。
彼女が必死に足を動かそうと、それは絡みつくように、そして固定されたかのように離れず動き続ける。
ひぃ、ひゃぁ、ひぅん、ぁっ、と。段々とファナの顔が赤く染まっていき、やがてその四肢から力は抜けていく。
やがて彼女が力無く項垂れたその時、湯水を裂く脚撃がスズカゼを弾き飛ばした。
「……大丈夫かい?」
「りゃ、らいひょうふら……」
「あ、あの、何が」
「エイラ、アンタは知らなくて良いことだ。それよりそろそろ上がるとしようさね。大総統をいつまでも待たせられないし」
「そ、それは結構ですけれど、スズカゼさんが動かないんですが……」
「放っておけ。奴ならば適当に復活する」
「アンタも復活早いね……」
「伊達にこの変態と長く共に過ごしてなどいない」
ファナは伸びきった変態の片足を引っ張り、浴槽の外へと投げ出した。
拘束と重石のせいで尋常ではなく生々しい音がしたのだが、エイラ以外それを気にする者が居るはずもなく。
そして当の本人がその程度で被害を受けるはずも、ない。
「あー、本音を言うと会いたくないんですよね、あの人。何言われるか予想も付きませんけど、どうなるかは予想つきますし」
「それでも会いな。アンタはあの人に会わなくちゃなんないんだから」
「イーグさんにだけ会って帰ろうかな……」
「何度も言わせるんじゃないよ。まずはバボック大総統に会いなさい。……そして、それから」
彼女はそこで言葉を詰まらせる。
気管に唾液が詰まったのかと思うほど、言葉を息に変えて吐き出したのだ。
スズカゼもファナも、彼女が急に黙る物だからどうしたのかと首を傾げるが、それも一度だけの咳払いによって払拭される。
「のぼせ掛けたさね。長く居るからだ」
「大丈夫ですか! 介抱しますよ!! さぁ、今すぐそこに寝転がって!!」
「エイラ、後で頼むわね」
「はい、解りました」
「何故だしッッッッッッッッッッ!!」
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