不明の白骸
「……そうでしたか、次はベルルークに」
メイドに出された珈琲を前に、デイジーは軽く背を丸めて掌を組み合わせていた。
普段、針金でも通しているのかと思うほどに凄まじく姿勢の綺麗な彼女が、そんな姿勢を取っているのは陰鬱な気持ち故だ。
デイジーとサラ、嘗てスズカゼと共にベルルークを訪れた二人は知っている。あの国で何があり、あの国でスズカゼが何を思ったのかを知っている。
故に、気も沈んで当然だろう。彼女が再びあの場所を訪れるなど、余りに気が重くなる。
「私はオススメしません。何らかの体調不良を装ってでも代行を向かわせるべきです。何なら、私でも……」
「それは駄目ですわよ、デイジー。あの国だからこそスズカゼさんが行くべきですわぁ」
「し、しかしだな」
「サラの言う通りだ、デイジー。何らかの代行を使ってもあの国の、と言うよりはバボック大総統の場合、目的は謝罪ではなくスズカゼだろう。あの男の歪んだ感性が誰を求むのかなど言うまでもない」
「むぅ……」
「ま、大丈夫ですよ、デイジーさん。万が一の場合はこれもありますし」
そう言ってスズカゼが掲げるのは魔炎の太刀。
それはそのベルルークから送られた品だと覚えているのか、と。
ゼルは呆れの余りため息すら出せずに顔を覆い尽くす。
「そう言えばそうでしたね、これ。今じゃ体の一部ですよ」
「あっそ……。お前頼むから向こうで問題起こすなよ?」
「ヨーラさんだし大丈夫……。あ、でもエイラさんやヤムちゃんが居たなぁ」
「……誰だ? それ」
「ベルルーク国の軍医と少尉ですわ、確か。二人とも女性ですから、覚えていて当然かも知れませんわねぇ。あぁ、団長はオートバーン大尉の方が記憶に新しいのではございませんの?」
「やめて知らない俺知らないそんな人知らない俺マジで知らないからそういうのやめてホントにマジで知らないんだって俺そんな人の名前聞いた事ないし見たこともないし第一俺ベルルークに言ったの戦時中だけだしいやマジで」
「……サラ、団長のトラウマを抉るのはやめてさしあげろ」
「楽しいですわぁ」
朗らかに笑むサラと気まずそうに視線を逸らすデイジー。
人体の限界速度を超えて痙攣していると思えるほどに震えるゼルを隣に、スズカゼは取り敢えず一度息をついた。
実際、自分も不安がないワケではない。あの国で何があり、自分がどうなったかは自身が一番よく知っている事だ。
あの男ーーー……、バボック・ジェイテ・ベルルーク。彼がどんな人間かも知っている。
師匠とはまた違った底の見えない深淵。それが、あの男にはあるのだ。
自分は嘗てそれに飲まれ、自身の心を挫きかけた。然れどどうにか、仲間のお陰で折れずに済んだ。
もし仲間が居なくて、自分一人であの男に立ち向かっていたならば、と。
そう考えるだけで自身の皮膚が泡立つ思いになる。
「…………まぁ」
今は、あの時とは違う。
多少だが心も図太くなった。力も、身についた。
あの時とは違う。違うのだ。
心も、決して折れはしない。挫けなどーーー……、しない。
《王城・王城守護部隊駐屯場》
「白骨死体だと?」
「はい、下水道にて発見されたようでして……」
一方、こちらは王城の中にある王城守護部隊駐屯場。
地下近くのこの場所では王城守護部隊の隊員達が休息したり待機したりと様々な用途に使われる部屋が多くある。
尤も、地下近くというだけあって外からの灯りはなく、光は全て松明によって補われているので何処となく薄暗い雰囲気だ。
そして、壁に掛かった槍や剣から反射する銀の光をその身に浴びつつ、ファナはそこで部下からの言葉に呆れた声を返していた。
「嘗て黒衣の連中が襲撃した時に、バルド隊長が下水道でそいつ等を処分したのを忘れたのか? どうせその白骨死体も貴様等の片付け忘れだろう」
「い、いえ、実は隊長の報告より一体分、数が多く……。恐らく時期も同じ頃なのです」
「数が多い上に時期が同じだと? どうして今更、そんな物が」
「下水の掃除を行っていた騎士団から妙な物があると報告を受けまして。一応は王城付近ですから我々が担当することにはなったのですが、その場所というのが何とも……」
「何処にあった?」
「下水が落下する、つまり滝壺のような場所になっている辺りです。それに片足がありませんでしたので……。いえ、既に汚水の所為で腐敗が進み、男か女かも解らない状況でしたから、腐り落ちてしまった可能性もありますが」
「……ふむ」
下水道に入る者は、基本的に居ない。
大抵は浮浪者や存在が知られたくない者が逃げ込む所だが、その役目は第三街にある。
元は獣人や犯罪者の隔離場だ。今でもそういう人間は第三街に逃げ込むだろう。
あそこならば嘗てでも最低限の生活施設は整っていたはず。それを手にできるかどうかは別だが。
「殺し、か」
「その可能性が高いかと」
「解った、この件をバルド隊長に報告しておく。私はその死体を」
「あ、いえ。実はもう一つ報告がありまして。第三街領主スズカゼ・クレハ伯爵様によるベルルーク国訪問の護衛にファナ様が選ばれました。メイアウス女王直々だそうで」
「……面倒な」
「じょ、女王の命令ですから……」
ファナは面倒事に口端を引き落としつつも、思案の回路を緩めはしなかった。
ただ怨恨による殺人で、その死体を下水道へ破棄したというのなら解る。
別に珍しくもない。第三街で何かがあったと言うのなら、関係もない。
しかしあの騎士団がそれを見逃すとは思えないし、誰かが死んだとか行方不明になったという報告も聞かない。
ならば国外か? バルドが黒衣の者達の数を間違えたというのも俄には信じがたいが、あの乱戦であれば有り得ない話ではない。
若しくは国外であった殺しの証拠隠滅にーーー……、いや、それならば大国を使う馬鹿など居るはずもないしーーー……。
「あの、ファナ副隊長?」
「何でもない。件は貴様から報告しておけ。私はあの変態に会いに行く」
「一応はあの人も伯爵ですよ……?」
「一応は、だろう。ならば関係無い」
彼女は部下に背を向けて駐屯所から出て行く。
その凛とした姿に、他の一縷さえ寄せ付けないほどに部下は声さえ掛ける事が出来ず。
ただ、それを見送るばかりだった。
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