黒豹と白衣の考察
【サウズ王国】
《第一街南部・リドラ子爵邸宅》
「……どうした?」
「悪いが、頼みがあってな」
「胃薬はまず体に合った物をだな」
「いやそうではなく」
資料溢れる邸宅の中、ジェイドは驚くほど軽やかに歩みながらリドラの元へと歩いて行く。
普通に歩けば資料の山々を次々と崩してしまうだろう。然れど[闇月]と称される暗殺者ほどの足使いを持ってすれば、それらを崩さずして目的の場所まで辿り着くのは容易である。
尤も、その人間が住む場所らしからぬ埃っぽさと薄暗さは流石に眉根を顰める物があるのだが。
「掃除はしないのか?」
「したいのだがな。稀にメイドが来て掃除してくれるが、数日で元に戻る。何故だろうか……」
「私に聞くな。……さて、それより」
「スズカゼの事だろう? 解っている」
リドラは周囲の資料を探り出そうと腰を上げ、何度か髪を毟るように掻き乱す。
まるで頭の中の情報を直接整理しているような行為の後、それは机の四番目辺りの引き出しから出て来た。
真っ黒な程に文字が埋め尽くされた、五枚か六枚の紙。
大凡、目を通すことさえ躊躇われるほどのそれに、ジェイドは何ら嫌悪する事無く読み込んでいく。
実際は黒く埋め尽くされたそれも、中身としては無駄な事など何一つなく纏められた情報なのだから。
「……それを求めたという事は、スズカゼに何かあったのか?」
「あった、か。確かにそうとも言えるかも知れん。だが、実際は解らないのだ」
「どういう事だ?」
「件の、ギルドの一件だ。そこで私はデモンという男と戦い、嘗て[闇月]と呼ばれていた頃の感覚を取り戻した。その感覚が、どうにも……、姫を嫌悪するのだ」
「嫌悪?」
「あぁ、嫌悪だ。生物として、一つの種として彼女を嫌悪する感情がある」
「……それは、危機感ではないのか?」
「危機感……」
彼の言葉を、否定は出来ない。
嫌悪感と危機感は同質と言える存在だ。恐ろしいから、嫌う。嫌いだから、恐ろしい。
故に危機感と言われれば、それは必然とすら言えるはずだ。
「個人として恐怖を感じるのであれば納得出来る。彼女の実力は既に私をも上回っているはずだ。いや、ゼルにすら匹敵するだろう。無論、総合的にとなれば話は大きく変わるがな」
「ふむ。……魔力は、どうだ?」
「四天災者並か、それ以上だ。少なくとも魔力のない獣人である[断罪]は兎も角賭して、[灼炎]を超えているのは間違いない」
「……魔力だけならば、か。終ぞ人間はやめてきたな」
「元からだろう。この資料を読むに……」
「前回の聖死の司書の一件より、精霊部分が増加傾向にある。人間部分は未だ残ってこそいるが、あくまで残っていると言える程度でしかない。最近は忙しい為に検診こそ出来ていないが……、恐らく現在も」
「何と言ったか……、[霊魂化]だったか」
「あぁ、そうだ。それは進行していると見て間違いない」
「最近の彼女は戦闘も多く、魔力を多用している。それが原因だろう?」
「一概には言えないがな。人間部分が魔力を生産し、自身の身体を保つ。多少であれば使用は推奨すべきだが、多量ともなれば生産部分が加速し循環が肥大化、自身の精霊部分を広げる事となる」
「……ふむ」
「無論、身体に関しても聖死の司書の一件で顕現した天陰・地陽なる衣が停止装置となっている部分はある。完璧とは言えないが、多少の装置であるとは言えるはずだ」
「やはり、聖死の司書の一件が関わってくるか」
「あの事件は今から考えてもやはり妙な部分が多かった。スズカゼの霊魂化を知った上で誘拐し、この世の物とは思えぬほどの設備まであった。尤も、それらは火災と地崩れで埋まってしまって使い物にはならなくなったが……」
「何か、手に入れたのか」
「お前達が離れている間に少し、な。研究者の書物だ」
「研究者と言えば、貴様の……」
「皮肉な話だろう。過去に少しだけ習ったばかりだと言うのに、あの男の手記などはスラスラと読める。書き方が……、酷似しているんだ」
「……そうか」
リドラは手元の手記、煤のせいか黒ずみ一部が焦げたそれを捲っていく。
傍目に見ても解るほどの情報量だ。ジェイドの手元にある資料とは比べものにならないほどーーー……、最早、黒く塗り潰したのではないかと思うほどの言葉が書き込められている。
そんな手記を前にしても、リドラからすれば綺麗に整列された文字が意味を示す宝庫でしかないのだろう。
「焼け焦げているせいで全体は見えないが、気になる単語がある」
「単語?」
「あぁ。我々は抗う、創始者達が残した技術、この世ならざらぬ者の存在、世界の破壊者、万物を構築する七つの罪、ツキガミ……」
「待て、最後のそれは……」
「フェアリ教の絶対神として崇められているツキガミだ。そしてその一つ前の七つの罪というのも、フェアリ教にある七つの大罪のことだろう」
「関連しているのか? 一宗教が、或いはあの国が……?」
「いや、未だ断定は出来ない。奴は私と同じくお伽噺や宗教観からの研究も進めていた。その一部だと思えば何ら不思議ではない、が……」
そこから先の言葉を、彼は無意識の内に濁していた。
確かにジェイドが反応した通り、普通であればツキガミという単語に反応するだろう。自分だって始めはそうだった。
しかしどうだ。見直して見れば、他にも気になる単語はある。
創始者達の残した技術というのは何だ? あの摩訶不思議な機械群のことか?
この世ならざらぬ者とは? 世界の破壊者とは?
我々は抗うとあるが、いったい何に抗うというのかーーー……?
「……少し、煮詰める必要があるな。悪いが暫くは外に出られそうもない」
「あぁ、解った。……ただ、偶には換気すると良い」
「いや、最近はこの埃っぽさが気に入ってきてな……」
「陰湿過ぎないか」
「まぁ、うむ。否定はしない……」
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