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獣人の姫  作者: MTL2
御礼崩壊
542/876

周り捲る陰鬱は何処へ


「……記憶がない、だと?」


「えぇ、そりゃまぁスッポリと」


困惑の一文字に染まっていた。

陰鬱という文字は塗り潰され、或いは覆い尽くされて。

彼等は皆々、手元にある珈琲、或いは酒、或いは水に手を付けることもなく。

ただ、困惑していた。


「あ、アレじゃないッスか? よく戦ってたり興奮してたりすると記憶が抜けるっていうじゃないッスか。スズカゼさん、あの大男と対峙した時、凄い叫んでましたし……」


「いや、そこ以前にもう記憶がないんですよね。何かギルド本部の北側に回った辺りからもう有耶無耶で……」


「何か精神的な攻撃を受けた、という事は?」


「記憶操作は禁術のはずなのよね。アレは四大国条約以前の条約で会得等が禁止されてるし、それに関する学術書も現存してないと聞くのよね。だから、それは有り得ないと思うわね」


「フレースの言う通り、それは有り得ないだろう。そもそもスズカゼ嬢に何処で仕込んだのか、という話になる」


「だとすりゃ、アレか。スズカゼの精神的な問題ってヤツか?」


「そうなるだろうな。姫は前々から情緒不安定な所がある」


「所がある、じゃなくて情緒不安定だろ。つーか精神異常状態ってげぼぇあっ」


脱落一名。

残るジェイド、シン、フレース、ニルヴァーの間に緊張感が走る。

未だにこにこと笑んでいる少女のそれが、何処までも殺意に満ちていることは言うまでもない。

序でに脱落したメタルが凄まじい速度で痙攣していることも付け足しておく。


「さ、さて、と。それじゃこれからの予定を話し合いたいトコね」


「予定とは言っても、スズカゼ嬢にはギルド地区で暇を潰して貰うだけだな。ギルド側の準備が整うまで滞在して貰いたいだけだ」


「その間は俺達が護衛するッスよ。勿論、宿泊中の費用はギルド持ちッス」


「……我々はどうなる? 一応は付き人扱いか」


「えぇ、メタルさん以外は」


「ちょっと待って酷くねぇ?」


「だってメタルさんサウズ王国の客人扱いですもん。無理に決まってるじゃないッスか」


「こんなトコで客人扱いされたくなかった」


「……まぁ、一応申請はしてるッスけど多分無理なんで諦めてくださいッス。何なら鉄鬼のおやっさんのトコで一緒に泊まるッスか? ちょっと手伝えば泊めてくれるッスよ?」


「あぁ、うん。それでお願い……」


再び絶望に沈む彼は置いておいて、だ。

取り敢えず、ここからどうするか。

スズカゼは残り数日ほどの予定が空いてしまったことになる。

かと言って他にする事があるわけでもない。

精々、ギルド地区の散策程度だがーーー……。


「女漁りでもするかぁ」


「信じられるか、ニルヴァー。これが女性の台詞だ」


「この子なら信じざるを得ないのよね……」


いつの間にか陰鬱な空気も消えており、皆は心なしかそれに安堵していた。

然れどただ一人、ジェイドだけは何かが引っ掛かるらしく、顎に手を当てたまま俯いている。

彼のそんな様子を誰かが気にするはずもなかったのだが、ふとその黒豹は立ち上がりながら、今の空気を壊さぬように、シンへだけ耳打ちを行う。


「……シン、頼みがある」


「何スか?」


「悪いがここ数日、姫を護衛してくれないか? 八咫烏は出来るだけ戦闘に参加させないでくれ」


「二人とも信用出来るッスよ? 過去に何の確執があるか知らないッスけど、裏切るような人達じゃないッス」


「いや、そういう意味ではない。何故か解らんが、スズカゼをフレースに近付けてはいけない気がするのだ。言葉では説明出来ないし、自分でも断言は出来ないが……。何故か、何故かな」


「勘、ッスか」


勘とて馬鹿に出来たものではない。

一言で勘と言えど、実際は経験則に則った推測だ。

それに、ジェイドからすればスズカゼからは何か別の物を感じ取っていた。

恐怖ではない。かといって憎悪であるはずもない。

然れど、確かに。自身の奥底全てが叫んでいる。

あの小娘は嫌だ、近付きたくないーーー……、と。


「……私は少し調べることがあるのでな」


「了解ッス。んじゃ、フレースさんとニルヴァーさんの[八咫烏]には周辺警護を頼んでおくッスよ」


「あぁ、そうしてくれ」


静かに席を外す彼の後ろ姿。

シンは横目で見送りつつも、何か言葉を付け足すことはない。

付け足すことはない。幾ら彼に問いかけを投げかけようと。

どうして自分以外誰にも知らせずこの場を離れるのか、どうしてフレースからスズカゼを遠ざけようとするのか。

その瞳の奥に蠢く焦燥と殺意は誰に、いいや、何に向けてなのかーーー……。


「……いや」


追求した所でどうにかなるはずなどないだろう。

この数日の間、一件の間に彼の中で何が変わったのかは解らない。

それでも彼の瞳は修羅のそれだった。自身の中に眠る殺意などよりも、もっと大きくてもっとどす黒くてもっと深い、殺意。

自分などが及ぶはずもないほどのーーー……。


「考えても仕方無い、だろ」


再び自分に言い聞かせ、シンは一度だけ息をつく。

外は未だ先日の喧騒によって刻まれた爪痕が残っている。

きっとこれが修繕されるのも、ギルドが立て直されるのにも時間が掛かるだろう。

その時間が何を示すのか、自分にはやはり解るはずもないけれど。

その時間(・・・・)が早く来てくれることを、彼は心から願うばかりだった。



読んでいただきありがとうございました

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