保険に保険を
【サウズ王国】
《第三街東部・ゼル男爵邸宅》
「う゛ぅあ゛ぁ~~~……」
まるで屍のような声を上げて机に突っ伏すスズカゼ。
彼女は結局、昨晩から今朝にかけて一睡も出来なかった。
いや、寝ようと思えば寝る事ぐらい出来たかも知れない。
しかし、意識を沈めればどうなるか解らない恐怖から、それが出来なかった。
全身の感覚は未だ冴え渡っており、気怠さも顕著に感じ取れてしまう。
だからこそ、今も眠れず、うつらうつらとしては起きるを繰り返した為に起きた頭痛を鮮明に受けてしまうのだ。
「大丈夫ですか? スズカゼさん」
そんな彼女に対して、メイドは温かいミルクを持ってきた。
スズカゼはそれを受け取って起き上がり、ゆっくりと口へと運ぶ。
ミルクと紅茶は数少ない現世と同じ飲食物だ。
やはり、この味は安心する。
心なしか、少し頭痛も和らいだようにも思えた。
「困りましたね……。ファナさんも体調が優れないようなんですよ」
「ファナさんも? 腕を怪我してるんじゃ……」
「いえ、それが……、魔力熱に掛かってしまったらしくて」
「魔力熱?」
「はい。多量の魔力を受けたり、多量の魔力を消費したりすると発症する風邪のような物ですね。一種の体調不良です」
「あぁ、そう言えば凄い魔術使ったって言ってましたもんね……」
「ですので、今はハドリーさんが看病を……」
「えっ?」
ハドリーと言えば獣人だ。
そして、ファナが風邪程度でいつもの調子を失うとは思えない。
想像するだけで魔術大砲が飛びそうな風景が出てくる。
流石にそれはないと信じたいのだが……。
コンコンッ
と、不安な光景を思い浮かべていたスズカゼの思考を打ち切ったのはノックの音だった。
メイドは、はいはいという返事と共にその扉を開ける。
開かれた扉から出て来たのは、相変わらず軽甲の小手と甲冑を纏ったデイジー。
そして彼女と違って薄絹の布を纏ったサラだった。
「スズカゼ殿、お早うございます」
「あ、お早うございます……」
「それで、今日の予定なのですが」
「予定? 何か入ってましたっけ?」
「あぁ、いえ。何も入っては居なかったのですが、ゼル団長からの言伝で……」
「ゼルさんからの?」
そう言えば、昨晩からゼルの姿を見ていない。
いや、よくよく思い出してみれば護衛を付けられた日から見てないような気もする。
騎士団長という立場なのだから、何処かに行っていてもおかしくないのだが……。
「はい。第三街を見回ってこい、と」
「第三街を?」
「第三街領主として民の姿を見ておけという意味合いもあると思いますわ。最近は大事続きで民を見回ることも出来ていなかったようですし、丁度良い機会だと思いますわよ」
「確かに……」
「し、しかしスズカゼさんは体調が……」
「大丈夫ですよ、これぐらい。そうですねぇ、第三街、見回りましょうか」
スズカゼは両手で机を押して立ち上がり、ぐーっと背筋を伸ばす。
それで頭痛は治りはしないが、気合いを入れると違ってくる物もあるという事だ。
「護衛は私とデイジーが承りますので、ご心配なく」
「は、はぁ……。お気を付けて」
【サウズ荒野】
「……って事でスズカゼはデイジーとサラっつー俺の仲間付けて見回りさせてるから、まぁ、外に出る事は絶対にない」
「ご苦労様。保険に保険を掛ければ何ら問題はないからね」
サウズ荒野の、サウズ王国から遙か遠方。
そこにある山中の洞窟前にはゼルとバルドの姿があった。
「ここで良かったんだっけか」
「えぇ。リドラさんの言う通りならば」
「面倒な事になっちまったなぁ。まさか、こんな事になるとは……」
ゼルは真っ暗な洞窟の中に一歩踏み出した。
それと同時に、洞窟内から金色の巨大な眼光が覗き出る。
一つだけのそれが眼光だと解ったのは、余りに生物的な動きをしていたからだ。
そして、轟々と吹き荒れ、髪先を揺らす生暖かい息もそれを判断する理由となった。
「野良精霊か」
「はい。前回のクグルフ国での一件と似たような案件かな。とは言っても魔法石の大きさが違うんだけどね」
「都合良くそれを見つける辺り、アイツも何企んでるか解らねぇな」
「はっはっは。そんな都合良くあるはずないだろう?」
「……まさかお前」
「一人で発掘するのは手間だったからね。番人が要った訳だよ」
洞窟の入り口に手を掛け、這い出てくる[番人]。
その指の太さはゼルの頭ほどもあり、牙は彼の体ほどある。
単一の眼はぎょろぎょろと周囲を見渡して、彼等の姿を発見した。
人間を五人ほどなら丸呑み出来そうな口を開けて、凄まじい咆吼を吐き出した。
「なぁ、要するに魔法石の実験のためにここまで持ってきて、クグルフ国と同じ状態にした、と」
「その通りだね」
「そして、その実験途中に山賊や旅人に持って行かれないよう、少しばかり強力な精霊を召喚した、と」
「そうかな」
「で、その少しばかり強力な精霊を倒して魔法石を持って帰るために俺を連れて来た、と」
「出来るだけ人数は少なくて、内情を知ってる人間が欲しかったから」
「…………もう一回聞くけど、少しばかり強力な?」
「その通り」
「気のせいでなけりゃ」
咆吼により飛散する唾液を額に受けたゼルは不快そうに口端を吊り上げる。
そんな彼の隣でバルドは仮面の笑みを貼り付けたまま、一本の槍を召喚した。
ゼルもそれに合わせるように腰元から剣を引き抜いた。
「俺の目の前に居るのは上級精霊の[破壊獣・ナガルグルド]だと思うんだけど。しかも[炎霊・ウード]と違って直接戦闘型の、騎士団でも数十人相当じゃなきゃ倒せない化けモンだと思うんだけど。思うんだけど」
「二回言わなくても聞こえてるよ。何、だから私と君で来たんだ。少しばかり強力だから……、ね?」
「……戦闘中に[少しばかり強力な]精霊と間違って[少しばかり強力な]野郎を後ろから刺しても、これは仕方ない事か?」
「そうだねぇ。刺せるなら良いんじゃないかな?」
「……畜生め」
大木のような腕が振り回され、周囲の樹木を薙ぎ払う。
爆音と咆吼は混じり合い、森林を震撼させる。
彼等はそれを合図にするように跳躍し、後方へと後退した。
「給料は高く付くぞ!」
「税金だから、まぁ、私の懐は痛まないよ」
「この外道!」
ゼルは剣を、バルドは槍を。
彼等は白銀の刃を構え、地面を蹴り飛ばした。
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