陽を絶す者と対峙する
【ギルド地区】
《北館・食堂》
「……何スか、これ」
スズカゼとシンが見た光景は異常の一言だった。
床面に散乱した食物や一室中を覆い尽くす琥珀の氷よりも。
その全てを破壊し、喰らい尽くす、闇の炎こそ。余りに異常だったのだ。
「この魔力、デューさんですね。あの人のは何度か間近で見たことがある」
「だ、だからって、こんな禍々しい……」
シンの全身は鳥肌が立ち、産毛が逆立っていた。
根源的な恐怖だ。少なからず無謀な自身でさえ久しく感じる、恐怖。
死や被傷への恐怖ではない。ただ、根源的な恐怖。
「禍々しい? いや、これはむしろ……」
それ以上を述べようとして、やめた。
今はそれどころではない。急いでギルド央館に向かわねば。
ただでさえ南館から遠回りしてきているのだ。北と央館の間で途轍もない何かが存在しているような気がしたから。
「……取り敢えず、急ぎましょう。本当に、これは」
「解ってるッス。ギルド本部全体に嫌な空気が蔓延してる。まるで、シーシャ国を思い出すようなーーー……」
一歩だった。
彼等は共に央館へと繋がる渡り廊下への道へ向かおうとした。
その為の、一歩。必然にして当然の一歩。
そして、二歩目。必要で当たり前の二歩目。
だが、それが歩み出されることは、ない。
「……クロセール、さん?」
彼女達の眼前に歩み出て来たのは、クロセールだった。
焦燥という嵐に駆られた跡地のような、枯れ果てた表情。
彼は光のない表情を浮かべ、無表情のままこちらへと歩んでくる。
死者と形容するのが余りに似つかわしいほどに。その男の琥珀の瞳は、濁っていた。
「……何か、違う」
「え?」
「あの人はクロセールさんだけど、何か」
クロセールの足取りは徒歩から疾駆となる。
彼は無表情の中に険しさを浮かべ、急に走り出したのだ。
シンは何事かと慌てるばかりだが、スズカゼの手には既に魔炎の太刀が握られている。
万が一の時に、彼を斬り殺すが為。
「伏せろッッ!!」
その怒号がいったい誰の物だったのか。
シンは無論、万が一に対し覚悟を決めていたスズカゼでさえ、理解は出来なかった。
理解など、元より出来るはずは無かったのだ。
叫びを上げたのは他の誰でもないーーー……、自身達の頭を抑え付け、その場に押し倒して自身の体を盾としたのは他の誰でもない。
クロセール、その者だったのだから。
「なっ……」
クロセールはその場で眠ってしまったかのように、数秒ほど動かなくなった。
何が起きたのか、何がしたいのか、何の意味があるのか。
スズカゼとシンがそれらの疑問を理解する中で、数秒は刹那となり消えていく。
果たして、彼等が求めようとして導き出した選択肢の中に、クロセールの真意を当てた物があるかは解らない。
然れど、クロセールは彼等が答えを導き出す時間を許すことは、なかった。
「……お前が、鍵なのか」
最後の一言を残し、クロセールは突如姿を消す。
自身の足場に琥珀の氷を召喚し、それを足場として跳躍したのだ。
窓硝子を突き破り、白銀の煌めきと琥珀の輝きの中に消えて行く彼を。
シンは何処までも、消え果てた後でさえも、ただ言葉なく、クロセールを見ていた。
「す、スズカゼさん。どういう意味ッスか? あの人が今貴方に言った、鍵って……」
問うと共にシンは振り返り、絶句する。
幾度となく驚愕した彼が再び驚愕したわけではない。驚愕では、ないのだ。
彼が絶句した要因は間違いなく、恐怖ーーー……、その物だった。
「……」
スズカゼもまた、シンと同様だっただろう。
クロセールが自分達を庇った原因となる一撃、それを放った者。
その者の脅威は彼女の警告信号を打ち鳴らし、全身を震えさせ、眼を見開くには余りに充分。
対峙しただけで充分。羽虫が虎と対峙したかのような、圧倒的恐怖。
そして、彼女だけが感じている、僅かな驚愕。
「どうして貴方が、ここに居る……?」
混乱し、氾濫する思考。
背後で問い続けるシンの言葉など、最早、耳に入ってくるはずもない。
彼女の中では既に、クロセールが登場した驚きも彼への疑問も消え失せていた。
クロセールへ何かを放ったその男の姿を見て。窓から差し込む太陽の光を背に負ったその男を、見て。
「オロチィィイイッ……!!」
大男は、髭を弄ぶ。
差し込む太陽の全てを覆い隠さんがばかりの、その巨体を動かすことなく。
ただ平然と、樹木の根のような指で、自身の嗤いを愛でるように。
「久しいのう、小娘」
言葉は世界から置き去りにされる。
スズカゼの耳に世界の残痕が届いたのは、魔炎の太刀が弧を描いた後だった。
彼女の一閃は違う事無くオロチの首音を狙い、風切り音すら上げることなく、振り下ろされる。
尤も、それがオロチという一存在を絶つことは決して無いのだが。
「良い鍵となった。世界を救う鍵に」
「貴様は何が目的だ……!? 何をしたッッッ!!」
「気付け、愚か者め。今我々が争うことの無意味さを。どうしようもなく世界は流転しているのだ。貴様も、我々も。近く、世界を救わねばならん。その時が来るまでは安寧に浸ったのだ。ならば役目を果たせ。奴等と戦わねば、我々は世界を救えぬのだぞ」
「貴様等が、私達をッッッッッッッ!!」
「我がこの場に居ることの意味を考えろ、阿呆めがァッッッッッッッ!!!」
スズカゼの天陰・地陽。
オロチの全力が込められた拳撃。
その二つは高速さえ、光速さえ凌駕した速度で激突する。
衝撃は周囲に広がり、北館渡り廊下への道を、否、北館全体を巻き込む崩壊となる。
そう、彼女は。スズカゼ・クレハではない、彼女は。
その咆吼と共に、オロチへと刃を向けたのだ。
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