不穏は闇夜の影で蠢いて
【サウズ王国】
《第三街東部・ゼル男爵邸宅》
「あれ?」
夜遅く、静かに扉を開いて帰宅したスズカゼ。
彼女はまず自分の部屋に帰る前に、ある人物を探していた。
その人物は本来、第一街に邸宅があるはずなのだが、そこを尋ねても誰も居なかった為、他に居るであろう、このゼル邸宅へと彼女は直帰したのである。
「……居ないなぁ」
しかし、その人物はこの邸宅にも居なかった。
普段から行動的な人物ではないし、外出したという話も聞いてない。
だからこそこ、この邸宅に居るはずだと思ったのだがーーー……。
「あら、スズカゼさん」
そんな思い悩むスズカゼを呼び止めたのはメイドだった。
彼女は既に寝間着姿であり手にお茶を持っている事から、喉が渇いた為に起きてきたのだろう。
「あ、メイドさん」
「もう夜も遅いのに。何処へ行っていたんですか?」
「ちょっと、デイジーさんとサラさんとね。……そう言えばリドラさん見ませんでした?」
「え? リドラさん?」
メイドが聞き返すのも無理はない。
彼女には、スズカゼが彼を探す理由が思い当たらなかったからだ。
ゼルならともかく、どうしてリドラなのか。
口籠もりながらも考え込むメイドに、スズカゼは知らないなら良いんですよ、と微笑んだ。
「何かご用でしたら、言伝しますが……」
「あぁ、いえ。ちょっと聞きたい事があっただけなんです」
「聞きたい事?」
「何でもないですよ、何でも」
誤魔化すように、彼女はぶらぶらと手を振ってその場から去って行く。
そんなスズカゼの様子を見て、メイドは何処か違和感を覚えた。
彼女の表情が何処か硬い。
思い出されるのは、怪我をしているのに仕事に行こうとしたゼルの姿だった。
スズカゼが浮かべているのは、無理をしているような、そんな表情だ。
「……スズカゼ、さん?」
「……っ」
スズカゼは自室に戻るなり、真っ白なベットへと身を投げ出した。
ぼふん、と自分に潰された空気が髪を揺らすのが解る。
自分の体が羽毛の中に沈んでいくのも、全身から力が抜けていくのも。
そして、それなのに全身が冴え渡っている事も、解ってしまう。
「どうなってるの……?」
異変に気付いたのは、デイジーとサラを護衛に付けられる数日前だった。
始めはクグルフ国での一件が疲労として溜まっているだけだろうと思っていた。
だが、そうでない事に気付くのに時間は掛からなかった。
「ッ……」
指先が動きたいと言っているかのように震えている。
眼は乾ききっていて、全てを見透かせそうだ。
耳も空気が壁をする音すら聞こえている。
口内は自分の唾液の味が解ってしまう。
異常だ。剣道の試合前や試合中ならともかく、普段からこんな事になるなんて今までなかった。
全身が冴え渡りすぎている。
今にも暴れ出してしまいそうなほどに、体内でエネルギーが轟々と燃えているのが感じ取れてしまう。
「怖い……っ」
それは最早、調子が良いだとか、そんな次元ではなくて。
自分で自分を抑えられないような、恐怖だった。
《王城・応接室》
「途中経過はどうだ?」
応接室は薄暗く、蝋燭だけ光源となって室内を照らしている。
そんな室内には似合わない、軽快な声である人物へ質問したのはメタルだった。
彼は薄暗いのが好きなのか、とてものびのびとしてソファに腰掛けている。
だが、そんな彼と違って蹲るように背筋を曲げて椅子に腰掛ける人物が一人。
「ハロウリィ、メタル。……聞く暇があるなら手伝って欲しいがな」
その人物は机上に塔となって積まれた資料の山を取っては何かを書き込み、取っては何かを書き込み。
処理済みの資料が置かれている場所に出来た山からしても、恐らく数時間はこの作業を繰り返しているのだろう。
「いやいや。俺にそんな頭使う事出来るはずねーじゃん」
「……本当に貴様は何と言うか、人脈と情報に生きる男だな」
「そんな事ねーぜ? それを言うならお前の方が余程だよ、リドラ」
「……ふん」
リドラは話を打ち切るように、ぶっきらぼうな反応を見せる。
彼としては手元にある様々な資料へのサインを終わらせてしまいたいのだろう。
その為にはメタルと話している暇などない、と言わんばかりに、彼は作業の手を早め出した。
「しっかし、何だ? その資料の山は」
「カード作成の資料と最近の入出国記録。後は個人的な依頼に調査書だな」
「国家お抱えの[鑑定士]ってのも大変だねぇ……。個人的な依頼ってのは鑑定か?」
「そうだ。……出来るならば貴様の、その腕輪も見せて欲しいのだがな」
リドラの双眸が光り、メタルの腕にある灰色のそれを凝視する。
そんな視線で見られたものだから、メタルは飛び上がるようにして後退った。
リドラは残念だ、という呟きと共に再び資料整理へ戻る。
「これは俺が友人から貰ったヤツなんですー! そう易々と見せられるか!!」
「宝の持ち腐れ、とは良く言った物だな。その品を市場に出せば貴様の孫の孫の孫まで遊んで暮らせる値段になってもおかしくないぞ」
「死んでも売るか! ……っと、それはそうと、スズカゼの件はどうなんだ?」
それを今聞くか。
リドラの、メタルに向けられた視線は確かにそう物語っていた。
これは地雷を踏んだか、と前言撤回しようとしても時既に遅し。
リドラは愚痴を言うようにねちねちとその事を話し始める。
「調査中だ……。恐らくこちらの予想は当たっている。予測した私が言うのも何だが、全くの無知状態から予測したあの男も相当だな」
「バルドはなぁ……、色々と外れてるし。あのメイアに付き従えてる時点でお察し物だろ?」
「言い得て妙だが、それを聞かれると私はこの職を失うのだがね」
「大変だなぁ、規律に縛られた労働者って」
「貴様は放浪者だから楽な物だ」
リドラの言葉に、メタルはうるせーやいと軽快な返事を返し、小さく笑い声を零した。
彼の冗談に付き合うのが面倒になったのか、リドラはその声に反応も返さずに黙々と作業を進め出す。
数百を超える獣人のカード申請だの、入出国の記録だの、荒野で拾った宝石の鑑定だのと。
その数は目眩がするほどで、リドラでなければ今にでも倒れてしまうだろう。
「……む?」
「どうした?」
「いや、この一団……」
リドラが指差したのは、二人の旅人の名前だった。
滞在理由は観光と休息。何らおかしい所はない。
だが、その名前こそが問題だったのだ。
「ダリオ・タンター、デュー・ラハン……」
「……これ、[冥霊]の二人だよな?」
冥霊。
ギルドに所属する冒険者パーティーであり、非常に名のある人物達だ。
ダリオ・タンターは常に全身を覆っている女性であり、彼女に関する情報は非常に少ない。
デュー・ラハンという男は頭に甲冑兜を、それ以外の全身には鉄の軽甲を身につけているという、酷く目立つ人物達でもある。
彼等は様々な依頼をこなすパーティーとして国家単位で依頼を出されることもある、と噂されている程だ。
そんな人物達がただの観光と休息で街を訪れるだろうか?
答えは否。必ず何かある。
「……様子を見てこい」
「俺!?」
「貴様しか居ないだろう。私のような人間が出て行ってどうなる」
「ぼくまだおはかはいりたくない」
「そうか。頭がある内は大丈夫だ。中身は無いだろうがな」
「……本気?」
「無論だ」
メタルは速攻でソファから飛び跳ねて扉を蹴飛ばし逃亡。
全力で城内を疾走する彼の足音は酷く騒音を掻き鳴らした事だろう。
結果、逃亡しようとしたメタルを不審者として王城守護部隊が捕縛。
不審者の行き先は牢獄なのだが。
彼の場合は、にやりと口端を緩めたリドラの前だった。
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