愚王の真実
「……兄さん?」
静寂を破ったのはモミジの呟きだった。
否、シャークの悶絶だったとも言えよう。
その掌を貫通した刃の苦痛による、悶絶だったと。
「どうして、デッドを庇うのですか」
胸元に黒点を生む男の寸前。
振り下ろされた刃をシャークは自らの掌で防いだのだ。
自身の敵であるはずのその男を、守ったのである。
「その男は、負の連鎖の頂点に立つ男です……! 国王である兄さんが背負うべきではない罪を背負っています!! だから、私が全て消して!!」
「やめろ。罪だとか負の連鎖だとか……、どうでも良いんだ、そんなのは。だが、この男を殺すことだけは赦さん。決して、赦すことは出来ない」
「何故……、何故!!」
「お前の兄だからだ、モミジ」
その一言は、再びその場を静寂へ叩き込むに充分な物であった。
困惑と共に、どうにか場を収めようと思案していたスズカゼやデイジーも同様だ。
シャークが吐いたその言葉が、再び彼以外の世界を無音に染め上げたのである。
「お前は常々言っていたな、先代の愚王はこの国の恥部だと。だが、違う。違うんだ。……知っての通り、俺達は実の家族じゃねぇ。先代の愚王が娼婦に生ませたのが俺だ。正式な后に産ませたのがお前だ。召使いの獣人に産ませたのがツバメだ。それが、俺達家族だろう」
「……な、何を」
「デッドはツバメを産んだ召使いの子だ。お前が愚王と呼ぶ我等の父が産ませた、子だ」
モミジは、ただ。
己の震える口に手を当てることしか出来なかった。
異母家族である自身達の中で、デッドを否定するということは自分達を否定する事に他ならない。
謂わば、自分は今、シャークを刺し殺そうとした事に他ならないのだ。
「……そして、奴は、先代の王は俺とデッド、どちらかに王位を継がせるかを選ばせた。そして選ばれなかった方は何処へなりと行け、とな」
「俺は……、放棄した。シャークに譲ったんだよ」
胸元を貫かれているにも関わらず、デッドはその傷を抑えながら、どうにか上半身を支え起こす。
ツバメは止めようと身を乗り出すが、デッド自身はそれを片手で制止した。
「男同士、王位を継ぐ権利がある人間が居れば無用の騒ぎが起きる……。だからあの男は敢えてどちらかを放逐したんだよ。暮らしには困らない金と数人の召使いをな」
「だが、コイツはそれ全てを手放し、敢えて貧困街に入った。無法地帯に秩序を産むため、そこの王になる為にな」
「あァ、悪くはなかったさ……。力が全ての世界だ。誰かを殴ることさえ罪になる世界より、余程な」
彼は色眼鏡を落とし、自らの眼光を閉ざす。
平然と話してこそ居るが、相当キツいのだろう。傷からは未だ血が溢れていた。
話し方にも何処か一息つく様子があり、傷の苦痛を抑えているのが解る。
「愚劣な王が、そんな事が出来るかよ……。あの男が愚王……? 笑わせる……」
「奴は、先代シャークは……。腐敗した国を正すために自身を人柱にしたんだ。国民からすれば愚王を倒した英雄の話は余りに甘美だっただろう。その者の声を聞く程度にはな」
「……まさか」
「そうだ。先代の国王は愚王なんかじゃない。あの男は、国を正す為に自身を人柱にした賢王だ。敢えて悪事に手を加え、敢えて多くの女を娶り、敢えて悪辣を演じた。殺される為に。俺が英雄となるために」
自身の血濡れた手を、彼は握り潰す。
シャークとデッドは全てを知っていた。周囲で、自身達を信じ全てを託した王が如何に侮辱されようと。
唾を吐かれ踏み躙られ、嘲笑われようとも。
彼等は瞼を閉ざし、掌に爪を食い込ませ、歯茎に血を滲ませて。
耐えて、きたのだ。
「……ぁがっ」
デッドの口腔から流血が溢れ、粉塵散り落ちる床面を紅色に染める。
出血が気管に到ったのだろう。最早、呼吸すらままならぬ状態だ。
保って数刻。いや、この出血であれば、数刻すらーーー……。
「私がやります」
スズカゼはモミジを押しのけ、デッドの前へと膝付いた。
彼女はそのまま魔炎の太刀に紅蓮を点し、刃を熱していく。
「モミジさん、私は医術の心得がありません。けれど貴方にはある。このまま放っておけば出血多量でこの人は死ぬでしょう。貴方は、それで良いんですか?」
一度だけ問うて、彼女は再び刃を熱する作業へ戻る。
二度も三度も問う必要はないと判断したのだろう。事実、そうだ。
この場でデッドを救えるのは、彼女だけなのだから。
「……兄ちゃん」
ツバメはデッドへ歩み寄り、最早冷たくなりつつあるその手を握る。
何かを言おうと喉を振るわせても、何か声が出るはずはない。
何かを叫ぼうと涙を潤ませようと、それが落ちるはずもない。
彼女の声は枯れ果て、涙すらも渇き果てていた。
死に逝く兄を前に、彼女は最早、何かを訴えかけることは出来なかったのだ。
「貸して、ください」
彼女はスズカゼから魔炎の太刀を受け取ると、デッドの前へ静かに跪く。
何が、王族。何が、罪。何が、負の連鎖。
知るべきだった。知っているべきだった。
兄がそうであったように。妹がそうであったように。彼がそうであったように。
そうあるべきだったのだ。家族を、思うべきだったのだ。
王族も罪も負の連鎖も。全て、感ずるに値しない。
家族という絆の前では、そんなものーーー……。
「……死なせは、しない。貴方を死なせる権利は私にはないし、貴方が死ぬ権利は貴方にはない。貴方にあるのは、生きる権利だけだっ!!」
業火が舞い上がり、紅蓮の煙が吹き荒れる。
舞い散る最中に苦痛の絶叫と肉の焼け焦げる音が響き渡った。
それでも、彼女は目を逸らさない。
モミジは、ただ、命知らずの命を救うために。
その焔へ、手を翳した。
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