紅蓮と南国の王の対峙
《王城・シャーク私室》
「シャガル王国はサウズ王国へデイジー・シャルダの身柄を要求する」
シャークはただ一言、そう述べた。
彼らしい、数多のサーフィンボードが壁に掛けられ、よく解らないトロフィーが幾つか並んでいて。
南国らしく木壁と質素な絨毯が敷かれた中に蝋燭が二つ、暗闇を照らすような、その部屋で。
彼はただ一言、殺意を込めて、自身の眼前に座る少女へそう述べたのだ。
「……理由を伺っても?」
「デイジー・シャルダは本日先刻、我が王室の一族であるツバメを殺害しようと試みた。幸いにも白き濃煙のスモークとキツネビが居合わせた為に事なきを得たがーーー……、スモークは重傷。瀕死の状態だ」
「アレをデイジーさんがやった、と?」
「目撃者も居る」
「……偽物、という可能性は?」
「無いな。幻影魔法はその姿を似せるだけでしかない。激しい運動を行えば息も乱れ集中も乱れ、解ける。相当な熟練者であれば激しい運動を行っても耐えられるだろうが、声や持ち物まで似せられるはずはない」
スズカゼは口端を指でなぞり、眉根を顰める。
彼女の瞳は細められ、部屋の光景とシャークの姿を曇らせた。
口の中で言葉を濁し、胸の中で思案する。
当然だろう、彼の言葉を信じる訳などない。
あのデイジーが、ツバメを襲いスモークを殺そうとしたなど。
「…………っ」
「そこで信じられない、なんてほざいたら迷わずぶっ殺してたぜ」
「一国の王の言葉じゃないですよ」
「自覚はあるが、今はツバメの兄として怒ってるんだ。それは関係ねぇだろう」
シャークの手元には、暗闇を照らす蝋燭と、白銀の刃がある。
その刃を誰に向けようとしているかなど、言うまでもない。
否、違う。その標的に自分が含まれていることなど、言うまでもないのだ。
「……デイジーさんは、今」
「捜索してるさ。サラ・リリエントは既に確保、捕縛している。後は奴だけだ」
「私も探してきます。デイジーさんに話を聞かないと」
「赦すと思うか? 今はお前も容疑者だ」
「赦さなければ飛び出るだけですよ。ここの窓は柔そうですし」
シャークの眉間が微かに歪んだ。
確かに、スズカゼは大砲ですら防ぐ王城の壁を突き破ってきたのだ。
何の防御もない、元は倉庫だったこの部屋など彼女に掛かれば一溜まりもないだろう。
そして、自分にそれを防ぐ術もない。
一国の王とは言え、自分はただの人間だ。山一つ吹き飛ばすこともなければ海を裂くこともない。ただの、少しナイフの扱いに長けた程度の人間だ。
それに対し、相手は異常な小娘。山一つ吹き飛ばすことが出来れば海を裂くことも出来る、[獣人の姫]と呼ばれる小娘だ。
自分が彼女を止める術など、あるはずはない。
「……駄目だ」
それでも行かせられる訳など、ないだろう。
疑ってはいないが万が一がある、億が一がある。ならば、行かせられない。
例え卑怯者になろうとも、愚王と呼ばれようとも、如何なる手段を使おうとも、この小娘を今ここから動かす訳にはいかないのだ。
「お前を疑ってる訳じゃない……。いや、むしろ信じてすらいる。だからツバメを預けた、あの子の魔力制御を訓練してやってくれと頼んだ。だが、その結果がコレだ。お前の部下はあの子を殺そうとしたんだ。これを見過ごせる理由が何処にある?」
「デイジーさんはそんな人じゃない。何なら賭けましょう。髪を、指を、耳を、鼻を、歯を、眼を、足を、腕を、体を、首を、頭を、命をーーー……。全てを賭けましょう。私はそれだけ仲間を信じている。いや、これでもまだ足りない」
「……依存じゃねぇか、最早、それは」
「依存でも構わない。仲間が死ねば私も死ぬ」
王として、シャークは今まで様々な人間に会ってきた。
この国の資源を掠め取ろうとする商人、己の力を過信し過ぎた余り自分を兵団長にしろと言い放った町中の喧嘩屋、手前の利益ばかり叫んで他のことなど知った事ではないと威張り散らす病巣に等しい元臣下。
今まで、様々な人間を見てきた。
「本気だな」
その目にあったのは、先に挙げた者共のどれにも無かった、光。
覚悟や決意の光ではない。そんな物、馬鹿や阿呆ならば一つ二つ持っている。
もっとどす黒いーーー……、馬鹿や阿呆では到底持ち得ない、持ち得てはいけない光だ。
それこそ、本来ならば人でさえ、獣でさえ持ち得るはずのないーーー……。
「で、どうなんです? 許可してくれるのか、してくれないのか」
「しない。折れる訳にはいかん。例えお前が何を考えていようとも、何をしようとしてもな。俺は王だ、大国の王だ。そしてそれ以前に妹を守るべき兄だ。俺は地位や名誉よりも妹を取る。そして、俺は家族や絆よりも誇りを取る。そういう人間なんだよ、俺は」
そう吐き捨てた切り、彼は何も言わなくなった。
スズカゼが視線で訴えようとも、それは瞼に弾かれる。
咳払いですら、見えぬ壁が彼の耳を防いでいるかのように遮断した。
揺るがぬ意思の表示だろう。例え何があろうとも彼女をここから出さぬという。
現にそれは、決して揺るぐ物ではない。
はずだった。
「国王! シャーク国王!!」
然れど、その意思は。
「ツバメ様が居ないのです! お姿を消されました!!」
兵士の叫びに近い報告によって。
彼の驚愕に溢れた怒号と、少女の絶句に震える唇によって。
容易く、消え去ることになる。
読んでいただきありがとうございました




