空洞の上に板を被せる
《王城・廊下》
「急いで探してください! いったい何処に行ったのか!!」
怒号に近い叫びが飛び交い、兵士達は頬伝う汗を弾きながら疾駆する。
彼等の表情は例外なく焦燥に染まっており、命令を下す者も、また。
否、命令を下す者は焦燥程度では無い。
動揺の余り息を詰まらせ、命令を吐き出す度に胸が詰まる。
たった一人の妹が姿を消したというその報告は、モミジにとって余りに重い物だった。
さらに、たった一人の兄が姿を消したという報告を同時に受けたからこそ。
彼女の心にのし掛かる物は余りに重く、辛く、苦しく。
「兄さんっ……! ツバメっ……!!」
唯一残された彼女の表情から溢れ出る、隠しきれない狼狽。
思い出す、過去を。誰も居なくなって、たった一人になってしまった過去を。
周りから石を投げられ、蔑まれた過去を。
彼の愚王の娘として蔑まれ続けた、過去を。
「っ……」
彼女は自身の身を抱え、怯えるしかない。
思い出してしまうのだ、嘗て石をぶつけられた痛みを。
たった一人の寂しさを、怖さを、切なさを。
誰か助けてと叫びたい。泣きすがりたい。この寂しさを埋めてくれるなら誰だって良い。もう一人は嫌だから。
けれど、それは赦されないだろう。自分は王族だ。この国を支える柱であるべき人間だ。
逃げてはいけない。眼前に如何なる恐怖があるとしても、逃げられない。
「逃げちゃ、いけない……!」
そうだ、自分は王室の人間だ。
嘗て、自身の父によって腐ってしまったこの国を守らなければならない。
嘗て、愚王と呼ばれた父の手からこの国を救った兄を支えなければいけない。
嘗て、愚かな父の為に犠牲になりかけた、いや、犠牲になった妹を救わなければならない。
自分が、そうしなければならない。
それこそが使命。それこそが厳命。
必ず、必ず、必ずーーー……。
「大丈夫たぬか?」
思い詰め、息を切らしていたモミジの背へ手を当てたのはタヌキバだった。
その撫でるかのような手付きに沿ってモミジの呼吸は段々と安定していき、切迫していた心も落ち着いてくる。
タヌキバはそれを見て安堵に微笑み、彼女に一度深呼吸するよう促した。
「辛いのは、不安なのは解るたぬ。けど、今ウチの隊長とキツネビが一生懸命探してるたぬよ。きっと直ぐに見付かるたぬ」
「……タヌキバ、さん」
一度、大きく息を吸って、肺の中に溜める。
まるで空気の循環によって埃を根刮ぎ集めるかのように。
そして、肺を絞りきって全てを吐き出すように。
「ありがとうございます。落ち着きました」
嘘だ。
未だ心の中には鬱蒼とした物が渦巻いている。
それは彼女の無理な笑みを見たタヌキバも気付いていただろう。
然れど、それ以上を言うことはない。
否、言えない。
「それは良かったたぬ。それじゃ、ここからは私も手伝うたぬよ。一人より二人たぬ!」
「心強いです」
彼女は苦笑と共に踵を返し、兵士達の方へ振り返る。
この心に堪る鬱蒼は未だ晴れない。けれど、それでも動かなければならない。
タヌキバに心配までかけて、何と情けない事だ。
この国を支える柱が、こんな事でどうする。
「……私は」
穴を埋め立てず、板で塞いでで釘を打つ。
そんな覚悟だ。堅固であれど、その中身には何もない。
何かがのし掛かれば、それごと墜ちていくようなーーー……、そんな、脆いもの。
然れど、今はそれに縋るしかない。
王族としての志を保つために、その脆き心に。
縋るしか、ないのだ。
「全ェ員止まれッッッッッッ!!!」
だが、だ。
その脆き心に縋るよりも前に、板を蹴り飛ばし穴へ土嚢を叩き込む人物が一人。
全ての喧騒と焦燥を握り潰さんがばかりの怒声を弾き飛ばす男が、一人。
「……に、兄さん」
泥と血糊に塗れた衣服のまま、その男は王城の廊下を歩いてくる。
兵士達は彼と擦れ違えども動けず、ただ固まるばかり。
彼の背中が見えた頃に漸く道端へ飛び退く始末だ。
「無駄な事をするな、モミジ。ツバメは放っておけ。どうせ直ぐに帰ってくる」
「どうせって……! あの子が時々居なくなったのは知っているでしょう!? いったい何処に行って居るのかも解らないのに……!! それに、もしあの子のことが知れたら!!」
「無駄な事をするなと言ったんだ。ツバメの事は公開する。これは決定事項だ。異論は認めん」
絶句し、困惑し、驚愕し、落胆する。
兄が何を言って居るのか、心が理解を拒む。
ツバメの存在は、それ自体が危険物だ。この国の貴族にも獣人否定派は居るし、他国にだってそうだ。
公開などすれば、あの子が非難の的になる。
あの子は決して強くない。口では無邪気を装ってこそ居るが、その実、心は弱いのだ。
もしあの子が先代の国王のように非難されたのならーーー……、きっと、あの子は壊れてしまうだろう。
「駄目です、シャーク国王! あの子は、あの子は!!」
「モミジ」
シャークは、振り返る。
血糊のこびり付いた黒眼鏡の奥には眼光が唸っていた。
注意や警告ではなく、純然な意思を持って。
「あの子は、強い。俺達よりもずっとな」
それ以上の言葉は不要。
彼はモミジの反論も嗚咽も聞かず、ただ歩き去る。
これ以上の議論をする気が無いのではなく、むしろ。
その事実を否定する彼女から、逃げるように。
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