知られざる確執
《貧困街・奥地》
飛び散る木々の欠片と僅かな鉄楔。
衝撃音に周囲の者は次々に慌てて立ち上がり、怒号を上げる。
然れど、その衝撃音を生み出したのが木々の欠片と僅かな楔、そして何より自分達の仲間だということに、否。
血塗れの、意識を失った仲間だということに言葉を失わざるを得なかった。
「来た、か」
そんな中でただ一人、デッド・アウトだけが口端を歪めて唾液に濡れる牙を剥き出しにしていた。
血塗れで倒れる仲間には目もくれず、それに襲い掛かり一瞬で返り討ちにされる仲間にも目などくれず。
ただ、ナイフを片手に歩いてくる、その男にだけ。
「よぉ。随分と良い格好じゃねぇか」
扉から踏み込んできたのは、一人の男だった。
頬端を地に濡らし、衣服を赤黒く染め、黒眼鏡で隠れているものの殺気に埋もれた眼光を持ち。
そして、右手にはナイフを、左手には既に意識の無いデッド・アウトの部下らしき男を。
「持て成しが出来なくてすまねぇな。ワインでも要るか?」
「要らん」
「そうか。じゃぁ、代わりと言っちゃなんだが……」
デッド・アウトが片手を上げる。
呼応して幾多の黒き牙が彼に向き、憎悪の発射口へ指を掛けた。
大凡、回避も防御も出来ない数。そして位置。
それは何より、乗り込んで来た彼自身が理解している事であり、そして。
彼には回避も防御も行う気など毛頭無かった。
「別にテメェと殺し合うのは構わねェさ。いや、今すぐそうすべきだと思っている。……だが、そうじゃねェだろう?」
「あぁ、そうじゃない。俺とお前の関係は、そんなに簡単な物じゃない」
乗り込んで来た男はデッド・アウトの眼前に座す。
貧困街に相応しくない高級ソファに腰を沈め、対峙した。
良く言えば堂々とした、悪く言えば太々しく。
足を組みながら、何の悪びれも恐れもなく、彼の眼光に火花を散らす。
「取引だ。部下を全員下がらせろ」
「良いだろう。おい、下がれ」
デッド・アウトが余りアッサリと要求を呑んだためか、部下は数秒間反応することが出来なかった。
しかし、暫くの間を置けば、幾ら名前通りとは言え、デッド・アウトが如何に無謀なことを言っているかが解る。
今し方、部下数人を一瞬で伸した男が眼前に居ると言うのに部下には下がれという。
男は未だナイフを手に、殺気に埋もれた眼光を黒眼鏡に隠しているというのに。
「ボ、ボス!」
部下達は次々に抗議の言葉を浴びせ掛ける。
幾千と降り注ぐ言葉の雨の中でも、デッド・アウトがその男から視線を逸らすことはない。
降り注ぐ雨粒など気にも掛けないように。
衣服が、頭髪が、牙が濡れようと。
決して、視線を逸らしはしない。
「下がれ」
再び、言う。
たったその一言で雨は止み、暗雲が空を覆い尽くした。
残されたのは血と欠片に汚れた一室の壁、ナイフの刃が擦り中身の羽毛が飛び出したソファ、血生臭い鬱蒼とした空気、そんな中で異質の雰囲気を放つ装飾家具、そして全ての中心である沈黙と殺意に沈む二人の男。
常人であれば吐き気すら覚えるであろう、重苦しい一室。
大方、何が起きても、誰が散っても可笑しくはない世界の中で、幕を引き上げたのはデッド・アウトだった。
「何年だ?」
「……十年以上になる」
「そんなにかァ。そうか、そんなに俺達は奪い合ってきたか」
デッド・アウトが机の真ん中に煙草を置く。
封の開かれたそれを二、三度ほど机上に打ち付け、数本をせり出した。
彼と男は同時にそれを摘み、咥える。
「今、アイツをどうにか出来る奴がこの国に来てる。四大国条約が結ばれて大国間の平和も強固な物になった。資源もある程度は安定してるし、王室間の権力闘争も安定してきた。……もう、良いんじゃねぇのか」
「それはそっち側の都合だろ? 俺達には関係ねェな」
「関係あるさ。俺も、お前も。意地を張るには長過ぎて大き過ぎた。ただそれだけの話でも、決して俺達に無関係じゃない」
「だとしたら、何なんだ?」
「言っただろう、取引と」
未だ煙草に焔は灯っていない。
唇に乗ったそれは湿り気を帯び、微かに外皮を萎びらせる。
だが、二人は未だその萎びを乾かす炎を着けず。
「ほう、教えてくれ。その取引とやらを。……なぁ、シャーク国王」
「良いだろう」
湿り気で唇に煙草を付着させたまま、彼は軽く口を開いて酸素を吸い込む。
生臭い臭いも重苦しい空気も、今はどうでも良い。
自身とこの男の確執を消し去るためには、どうでも。
「シャガル王国は貴様等に貧困街の一部自治を黙認する。犯罪者の処罰、食品の一部独自取引、法適用外の武器取引も許可提出を行えば黙認とする。……そして、その総責任者はデッド・アウト、貴様だ」
「素晴らしい取引だ。だが、そこじゃない。それじゃないだろう、俺達の確執は」
「……あぁ」
二人は火を灯す。
最早、湿気てしまったその煙草に。
火を灯し、同時に吸い込み、吐き出して。
一室を真っ白な煙で埋め尽くした。
「ツバメを正式にシャガル王国第二王女として認め、王籍を与える。彼女の存在を公にすることを約束しよう」
「……名にかけて?」
「我が誇り高き父の名にかけて」
デッド・アウトは僅かに口端を吊り上げ、笑む。
シャークは微かに眉端をつり下げ、瞳を閉じる。
彼等の間に交わされた約束は、二人しか知る由の無いもの。
知るべくもーーー……、ない、もの。
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