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獣人の姫  作者: MTL2
南の大国
493/876

彼女の日課


【サウズ王国】

《第三街東部・ゼル男爵邸宅》


「……ん」


少女は柔らかな、白き布の中で目を覚ます。

寒くも熱くも無い心地良さが、逆に彼女の目をよく覚まさせた。

急激にではなく緩やかに覚醒していく意識の中で、その手は緩やかに枕元へと伸びた。


「…………はぁ」


思わず自分の愚かさに、ため息も出よう。

その枕元には何もない。堅固な殻も、柔らかな鱗腹も。

自身の頬に頭を擦り寄せてくる、己が子も。


「っと」


彼女は白布を剥ぎ取り、起き上がる。

肩口を二回、首を一回、背筋を一回鳴らして、立ち上がる。

今日も朝が始まる。南国へ向かう、朝が。

まだ日の昇りからして朝は早い。未だメイドすら起きてはいないだろう。

けれど、それで良い。自分にはやるべきことがある。

あの子が居なくなっても変わらない日課。毎朝の鍛錬が。


「よしっ……、行こか!」



【サウズ湖】


「……ふっ、ふっ」


少女は駆けていた。

全力ではない。八割方の力で、緩やかに走る。

然れどその速度は最早、常人の到る所にあらず。一歩の跳躍で十数メートルを飛ぶ。

彼女の跳躍は湖の水面に波風を立て、竜魚を撥ねさせる。


「っしょ、と」


一瞬だけ踵を返し、サウズ国へと身を向ける。

その一回だけ彼女は全力の跳躍を見せ、土煙の豪風と共に水面を爆ぜさせる。

竜魚は己の意思で飛んでいたはずなのに、いつしか空高く、本来ならば到るはずのない高みへと物理的に上っていった。


「ふっ、ふっ、ふっ」


一定の速度を保ち、少女は走る。

風を切り、土煙を上げ、周囲の景色を置き去りにして。

彼女はいつも通り、ただの鍛錬として、走る。

いつも通り、いつも通りに。



【サウズ王国】

《第三街東部・ゼル邸宅前》


「スズカゼさんですか?」


メイドは首を傾げながら、その来訪者に問う。

軽甲を装備した至誠な女性と、柔布に身を包む朗らかな女性。

二人の来訪者は同意の言葉と共に首肯を見せた。


「彼女でしたら、今は日課の鍛錬に行っているはずですよ。今日は少し遅いですけれど」


「そうですか……」


「南国へ向かうには、そろそろ出発しないといけないのですけれど。表には獣車も待たせていますし」


「今回は二人が護衛なのですか?」


「護衛と言うよりは従属と言うべきですがね」


デイジーは苦笑と共に礼を言い、メイドへ別れを告げる。

サラの言う通り、既にす出発の時刻は迫っているのだ。当の本人であるスズカゼが来なければどうしようもない。

謝罪のためにシャガル王国へ向かうというのに、遅刻ともなれば面目が立たない所の騒ぎではない。

シャガル王国の国王であるシャークは、そういった体裁や礼儀に拘る人物ではないと聞くがーーー……、あの国の重鎮達はどう思うことか。


「駄目だ、団長の気持ちが少し解る……」


「うふふ、リドラさんに胃薬を貰いに行っても良いですわよ?」


「いや、遠慮しておこう……。それよりサラ、早くスズカゼ殿を探さねばなるまい。もう獣車の元ではモミジ様と護衛である白き濃煙(ヘビースモーカー)の者達が待機しているというのに」


「全くですわねぇ」


「むぅ……。大事な時に限ってあの方は居なくなるのだから困ったものだ」


「貴方が胸を晒け出していれば寄ってくると思いますわぁ」


「そんな撒き餌みたいな……。いや、来るのだろうが」


デイジーは気苦労を感じながら、サラは何処か楽しそうに微笑みながら、未だ人通りの少ない第三街を歩いて行く。

何処かに居るであろうスズカゼを探して、急ぎ足で。

擦れ違った誰かが振り向く程度の、歩幅で、歩いて行った。



《第三街南部・南門》


「……あの」


「はい、何でしょう」


「どうしてスズカゼさんがここに居て、デイジーさんとサラさんが居ないんでしょうか……?」


「訓練帰りに直接来たからじゃないですかね」


柔い肌に吸い付く衣服で汗を拭いながら、少女は獣車の周りで軽い運動を行っていた。

獣車の縁に立つモミジはその様子を見て呆れるばかりだ。

いや、確かに彼女の時間限度寸前だというのに未だ呑気に体を慣らしていることにも呆れているのだが。

それ以上に、荒野へ延々と刻まれた足跡に呆れているのだ。


「今から行くのに、どうしてこんなに無茶を……」


「毎朝の日課は欠かせませんし、ジョギング……、あぁ、準備運動みたいな物ですよ。今から急いで帰って水浴びしてから着替えてきますんで、暫くお待ちを。……一緒に水浴びします?」


「遠慮させてください。いや本当に」


ちぇーと口先を尖らせつつ、彼女はゼル邸宅方面へと駆けて行く。

モミジは、その後ろ姿を見守りながらただ息をつくばかりだった。

そして、そんな彼女を気遣うように獣車から顔を覗かせる獣人の姿が一つ。


「……大丈夫たぬか?」


「えぇ、ありがとうございます、タヌキバさん。私は大丈夫ですけど……、その、スズカゼさんが」


「あぁ、あの変態はもうどうしようもないたぬ。ハドリーさんが苦い笑いで否定し切れないぐらいだから、もう何を持ってしても不可能たぬ」


「ですよね……、はは。いや、そっちじゃなくて」


「あの異常な体力たぬか?」


「……えぇ、はい」


荒野へ延々と伸びる足跡は、ただ歩いただけで出来るものではない。

いったい、どれ程の重りを背負えば刻めるのかと思える程にーーー……、それは深く、強く、堅く、踏み込まれていた。


「気にしたら負けたぬ。隊長も言ってたたぬよ? あぁいう例外(・・)は居るもんだ、って。四天災者だってそうたぬ」


「……そうですね」


彼女は、言い切れなかった。

自分が気にしているのはスズカゼ・クレハの異常な成長率ではないことを。

その中に紛れている、脆さであることを。


「そうだと……、良いですね……」



読んでいただきありがとうございました

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