逃亡不可
《第三街西部・城門》
「……ちっ」
彼は口端を下げながら、自身の口内だけで舌打ちの音を反響させる。
行く末にある門には数多の騎士達が張り込んでおり、文字通り猫の子一匹通す隙間すらない。
どうやら手は既に仕込んでいるらしい、が。
「申し訳ありません、ベルルーク国の商人で……」
自分とて何もせず向かうほど阿呆ではない。
身形をボロ布に取り替え、顔を隠すツバの深い帽子を被り、荷物も取り替えた。
傍目に視ればそこら辺に居る貧乏商人程度にしか見えないことだろう。
未だ遭遇してない者達からすれば、これで、充分。
「通過書は?」
「ここに……」
無論、これも偽物だ。
この国に入る前に、そういう業者に作らせた物である。
大国の物であれば、無論、業者も出る。数は多くないが、その分だけ腕は確かだ。
これがあれば、無事に国を脱出出来る。
「…………」
しかし、今回は惜しいことをした。
下仕込みまで済んだと言うのに、手が回りすぎたのだ。
高がメイドと一体の獣人。大した損失ではないはずなのに。
何がここまで騎士団を動かしたのか、はて非常に不可解である。
然れど事実として動いているのだ。このまま滞在することが危険なのは、言わずもがなーーー……。
「よう」
その男の、モッコフの肩を掴んだのは一人の騎士だった。
一人の、騎士団長だった。
「……おや、これはゼル・デビット団長! 如何なさったので?」
が、取り乱さない。
自分が行ったという証拠は何一つとしてないのだ。
立場ある人間がそれを断定し、罰するのは不可能。
下手をすれば信用性を失い、地位すら無くすだろう。
故に吹っ掛けが出来る。立場有る人間だからこそ、あしらう事を義務づけられた人間だからこそ。
「お前か?」
「何がです?」
「銃の密売は、お前か?」
「何のことでしょうか? 私はただ商人として……」
「そうか、悪かった。行って良いぞ」
アッサリと。
疑いを掛けられたモッコフ本人が拍子抜けするほどに、アッサリと。
「いえ、構いませんよ。それでは」
彼はその拍子抜けを表情に出すことはなく、平然とした様子で立ち去っていく。
騎士達は余りにアッサリと行かせたゼルに狼狽し、その中の一人、デイジーは彼へ駆け寄ってきたほどだ。
既に全ての事態を耳にしている彼女からすれば到底、納得出来る話ではあるまい。
それでもゼルは彼女の言葉全てを遮断し、首を振るばかりだった。
「だ、団長が行かないのであれば私が!!」
「行くな、馬鹿が。……これは俺達の仕事じゃねぇ」
「仕事でしょう!? 民を守るのは!!」
「それは仕事じゃねぇ、義務だ。……ただ、狩るのは、俺達じゃねぇって話さ」
己の立場を、或いは無力さを噛み締めながら。
首を傾げる部下を背に、彼は歩き出す。
全ては託した。最早、自分に出来る事は耳を傾けることのみ。
その醜き悲鳴に、耳を。
【サウズ平原】
「……な」
サウズ平原へ出て安心しきっていた男を出迎えたのは、一体の獣人だった。
曇天の灰色を背負い、新緑を地にして立つ、漆黒の獣人。
その手には白銀の刃。その隻眼には黄金の殺意。
「は、ははは……、成る程、そういう事ですか……、いやはや……」
黄金が一歩を踏み出せば、闇夜の月が波紋を呼応させる。
ただ、圧す。眼前の男を圧す。
それだけで、モッコフの身体は動けなくなっていた。
金縛りなどという、生易しい物ではない。
獣人だから、獣に近いから危機を感じただとか、そんな物でもない。
死。単純な話。結果的な話。
それが死であると、解らぬ生物など、居ない。
「……はは」
モッコフという、その男。
彼は詐欺師であり交渉人であり、傲慢であり不遜である。
故に、耐えた。耐えられた。
通常ならば膝を折るその圧力に、耐えることが出来た。
否、逃げたとも言えよう。それでも、耐えたのだ。
「外に出たという事は……、私も構う必要はないということ!」
彼は大きく手を掲げた。
そう、何も外に出た後のことを考えて居ない訳ではない。
荒くれ者紛い、盗賊に近い連中を高額の金銭と装備で傭っているのだ。
無論、彼が内にしていた組織など嘘っぱちである。
いつも彼等を使って自作自演を行うか、今回のように脅しをして来た。
それで上手くいくのだ。食っていける金は充分に稼げる。
そう、相手が大国でもない限りは。
「……どうした? 出て来い! 早く!!」
「俺で良いなら出てくけど」
「そうだ、お前……。え?」
現れたのは、大凡、浮浪者にしか見えないような男。
確かに傭っていたのはこういう身形の連中だが、この顔は見たことがない。
第一、気障でもなく飄々とした、こんな頼りなさそうな男を傭うはずも、ない。
「デュー! 終わったぁ?」
「えぇ、終わりましたよ。弱いですね」
「訓練がなってないのさ。武器に物言わしてる連中さね」
「……私でも倒せちゃいましたね」
草原の岩陰から出て来たのは兜を被った男、屈強な女性、物腰の柔らかさそうな女性の三人。
傍目にしてもただ者ではないと解るが、その内の一人が彼のギルド主力パーティー、冥霊が一人、デュー・ラハンであると気付くに時間は要しなかっただろう。
今置かれている自分の立場もまた、同様に。
「ひっ……」
立ち上がろうと地面を蹴るも、その足は上手く動かない。
何度か空振りして、彼は漸く走り出すことが出来た。
無様に、今にも転びそうな恰好で。
「何処へ行くんです?」
曇天を裂くは白焔。
舞うは火炎。降り立つは少女。
立ちはだかるは、紅蓮。
「逃げられると……、思わないでください」
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