それは別れであり、或いは
《第三街北部・城壁》
「……」
空は曇天。
蒼快だった世界は次第に曇り始め、滲み出していた。
己の膝上で眠る子はそんな事など気にしないかのように。
ただ、平穏に、平和に。安らかに。
「……出会いは、イトーさんに卵を貰った時だった」
初めて貰った時は卵焼きか焼き肉や気になる予定だった。
けれど、何だか惰性で育て始めて、段々と愛着が湧いていって。
いつも抱き締めていたから、本当の子供のように思えてきて。
「産まれたのは、ついこの前だったな」
平穏な日々の中でこの子は産まれた。
炎を吐き出し、健気に羽ばたくその姿は、何とも喧騒的で。
皆を騒がせながら、この世界に産まれたんだった。
「……そして」
北国ではその生態や育て方を聞いて。
この子が攫われたり、自分が攫われたり、とんでもなく忙しかった。
けれどこの子はその中でも付いてきてくれて、健気に飛んでいて。
「次は、シーシャ国……」
シーシャ国で、私はこの子をメイドさんに預けた。
行かないでと言わんばかりに啜り泣くこの子を置いてきたけれど、それでもこの子は黙ってメイドに付いていった。
何が起こるか知っていても、親の言うことをちゃんと聞いてくれた。
「……師匠のところ」
この子はいつも通り、健気に、羽ばたいていたっけ。
炎を吐いたり暴れ回ったり、まるでやんちゃ坊主だ。
けれど、それと同時に師匠からこの子の成長についても、確かな情報を聞かされた。
別れる切っ掛けとなった、それを。
「……過ごした時間の長さはとても長くて、短さは、儚くて」
この子はきっと、何処に行っても元気に過ごすと思う。
親である自分と似て、有り余る元気を外に向ける性格だ。
それで少しばかりの喧騒を起こすことはあるけれど、その中でも確かに生きていける、そんな子だ。
そう、きっと、この子なら、私が居なくても充分に生きていける。
生きていけるけれど、けれど。
「……もう少し、長く」
きっとそう願うのが我が儘なのだろうとは、解っている。
親が子離れするのは何時の時代だって大変な事なんだ、と。
そう何処かの本に書いていたのを思い出すのは、何と都合の良いことだろう。
「……ねぇ、ジュニア」
貴方はどうしたい? と。
そう聞いて、この子は答えるだろうか。
離れたくない、と。頬を擦り付けてくれば、私はどうするだろうか。
知ってしまった限界を前に、自分はどうすべきなのだろうか。
「…………」
やり様によっては、ずっと隣に居させる事も出来るだろう。
城の外で飼うだとか、街の一部を改築するとか。
でも、それは駄目だ。山より大きくなるというドラゴンを窮屈な小屋に押し込める行為に他ならない。
この子が不自由を感じることにだけは、したくないから。
「…………だから、か」
考えれば考えるほど、この子の為にどうすれば良いかは決まってくる。
外の世界に羽ばたかせるべきだ。そうするしか、ない。
この子の為にはきっと、それが一番健やかに成長できる術なのだから。
「ジュニア……、私は、どうすれば……」
決まっていても、問うてしまう。
大切なこの子のためだからこそ、問う。
この子が何を望むかなんて、解る訳はないけれど。
問うことに、意味があるから。
「きゅぅ」
いつの間に起きていたのか、ジュニアは頭を上げてスズカゼを見上げた。
円らな、指先ほどもない宝石のような瞳。
それは何かを訴えかけるかのように、潤んでいて。
「ジュニアは、楽しい?」
「きゅう」
「そう」
少女は一度だけ、たった一度だけ己が子を抱き締めた。
それは、最後の抱擁で。
たった一度だけの、甘え。
「行こうか。街、何だか大変な事になってるみたいだし」
「きゅう」
「……きっとね、ジュニア。貴方とは別の出会い方をしてても別れることになったんだと思う。貴方が伝説の生物じゃなかったら、もしかしたら、世界がもっと違う在り方だったなら、私達は一緒に居られたかも知れない。けど、それはかも知れないなんだよ。……それだけじゃ、駄目でしょう?」
自傷気味な微笑み。
余りに悲しげな、表情。
「貴方は健気だから、きっと生きていける。私は何も与えられないから、貴方も誰かに何かを与えなくて良い。だから、ただ、誰かを傷付けるんじゃなくて、誰かを救うために、自分を救うために、生きて欲しい」
「……きゅう」
「貴方が大きくなったら、うん。一度だけ、背中に乗せて欲しいな」
少女は外壁より飛び降りる。
高々と聳え立つ、第三街にある、どの建築物より高い外壁から。
紅色の太刀と紅色の衣を纏って、曇天の空に溶かすように。
「……きゅう」
そして、その姿を見送ったドラゴンは天高く焔を吐き出す。
去りゆくその背を押すように、或いは引き留めるように。
ただ子供が喚いているようにも見えるだろう。或いは何かを叫んでいるようにも見えるだろう。
然れど、少女は振り返らなかった。
ただ一匹、城壁の上に残されたドラゴンに対し。
その瞳を向けることだけは、決して、しようとはしなかった。
それが彼女にとっての別れだったから。
振り返れば、きっと。
戻れないと、解っていたから。
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