羽虫の仕掛けた罠
《第三街北部・住宅街》
「騎士団を総動員しないのは何故だ」
「別のことを調べさせてる。逃げられないように入り口も固めてるしな」
ごきり、と首を鳴らしながら。
ゼルは静かに周囲を見渡した。
何が見つけられるワケでもないが、全てを見通すかのように。
全ての先に何があるかを、知り尽くすかのように。
「さて」
彼等は何を見た訳でもない。
ただ、いつも通りの、平穏な喧騒の中に。
それを、知った。
「行くぞ」
《第二街南部・路地裏》
「なぁ、これ間違ってない?」
「その通りさね。どうやら嘘に踊らされたようだ」
「いやいや……、嘘って」
「まぁ、最期辺りはちょっと無理に聞き出し過ぎましたね。死にたさの余り嘘言っちゃったかな」
光すら差し込まないような路地。
彼等はそれぞれ鬱蒼とした塵の中を歩いていた。
空を舞うそれは全て異臭を放ち、正しく負の中と言わんばかりの道だった。
「で、どうするよ? もう手掛かりなくね?」
「せめて、もう少し情報を知ってる人間が居ればねぇ……」
「でも、そんな方いらっしゃるでしょうか……」
「秘密裏だから大きく動けないのが玉に瑕だね。こう、自分の憎しみで動けるような、話の解る人が居れば……」
と、肩を落とす彼等。
然れど息はつかない。この異臭の中でそんな事をすれば、例えではなく、鼻がもげる。
「そんな都合の良い奴が居るかね?」
「さぁ、どうだか……」
「あの、取り敢えずここを出ませんか? 臭いが……」
「臭い?」
メタルとデュー、そしてヨーラは顔を見合わせ、首を傾げる。
彼等にはモミジの言う臭いとやらが理解出来なかったのだ。
それでも、そう。彼等とて息をしなかった違和感はある。
どうしてしなかったのか。それにいち早く気付いたのはヨーラだった。
「あぁ、思い出した。これ腐敗臭さね。ガスだ」
「ガス? あの、鉱山とかで吹き出す?」
「そう。これは人体で吹き出す方だね。腐った死体の臭いだから気付かなかった……。嗅ぎ慣れてるからね」
「いや言われてみりゃ臭ぇわこれ。何これクッサ!!」
「今更ですか……」
「生ゴミの臭いとか嗅ぎ慣れてるからさ……」
「悲しい告白しないでくれる? 兎も角、その臭いがする中で居ても仕方ない。さっさと……」
そう、デューが言いかけた時。
ヨーラの鼻についたのは、臭い。
ガスとはまた別の、異臭。
「……デュー」
「うん」
モミジが瞳に、一縷の火を映したとき。
ただ空から振ってきた羽毛のように、緩やかに落ちたそれが。
路地裏の奥に溜まる、異様に膨らんだ死体の山を映したとき。
彼女の瞳は、紅色に、染まった。
「え」
かちり、と。
何かの機器が始まったかのように。
その音だけが、彼女の耳に届く。
刹那として空気中に溜まるガスと酸素が急速に圧縮され、たった一本のマッチ棒から凄まじい豪炎を生み出す。
路地から吹き出したそれは表通りの一部すら焦がし尽くし、豪火の尾を翻した。
全てを焼き尽くし、食い尽くし、溶かし尽くさんがばかりに。
それこそ、竜の火炎など、生易しいほどに。
「…………で、無事?」
地に刺された大剣より這い出た何かが、消えていく。
火炎を防いだそれは所持者の素顔を隠す兜のように漆黒だった。
そして、黒に覆い尽くされた赤は消え入り、周囲に微かな欠片を残すばかり。
「私は大丈夫さね」
「私も大丈夫です」
「何か俺だけくらったんだけどなんで?」
唯一、全身を焦がした男は真っ黒な息を吐いて、その場に倒れ込む。
彼を案じて直ぐにモミジは介抱を開始したが、残り二名はため息と共に全身の煤を払い落とすばかりだった。
「まさか死体とマッチ棒が降って湧いた、なんて言うんじゃないだろうね」
「それこそまさかですよ、ヨーラさん。どうやら嗅ぎ付けていた事がバレちゃったみたいです」
「ったく、これだから戦闘専門は」
「だって尾行とか情報収集は相方の役目ですもん。……あれ? 俺って相方居たっけ?」
「何言ってんだい。……それより、これを仕掛けた奴は?」
「居ないみたいですね。何、これ自体は簡単な仕掛けですよ。一定以上踏み込めば足下の糸が切れて火が落ちるようにしていたんでしょう」
「にしては、威力がお粗末さね。まるで子供の遊戯よ」
「まぁ、罠はどうでも良いんですよ。だって俺達はここに偶々来たのに仕掛けられてたんですから」
「……それは、つまり」
指し示すところの。
彼等はここに意図してやってきたワケではない。
ただ男が苦し紛れで言った嘘が、偶然にも指し示しただけの場所。
そこに仕掛けられていたということは、つまり。
「無差別」
「その通り」
偶然にも引き当ててしまった一手。
然れど、それは未来への答え。
「成る程ね。どうやら相手は一定の時間をおいた後に無差別攻撃を行う手筈だ、と」
「使うのは浮浪者の死体と、ほんの少しの道具。身元が分からなければ証拠も残らないし上も取り合わないでしょう。成る程、取引序での脅しには丁度良い。何より証拠が残らないという点が一番大きいですね」
「面倒な事ばかりしてくれるね。……というか、昨日今日で出来る準備じゃあるまいに」
「ずっと前から準備をしていたんだと思います。この罠は非常に簡易ですがよく使われる手で、数を多く出来ることが利点だ。尤も、浮浪者の死体から出るガスなんて使う人の方が珍しいですけどね」
「私も鈍ってるのかねぇ。戦場だと非常識こそ常識だってのは教官によく教わったんだけども……」
「ま、平和が続いてますから無理もありませんよ。俺達がやるべきなのは」
「平和を揺らす羽虫を潰す、かい?」
「えぇ、その通りです」
「そりゃ良いね」
ヨーラは肩と口端を上げて苦笑し、デューもそれに合わせるように兜を揺らす。
彼等の後ろで介抱された男が起き上がった頃。
その先にある羽虫を潰すべく、彼等は再び歩き出すだろう。
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