何と言う事はない日々に猛る火
《王城・廊下》
「……死ぬかと」
「ははは、いや本当に」
「……むぅ」
王座謁見の間より退出してきた彼等の背には嫌な汗が流れていた。
明らかに不満げなメイアウス女王へ謝罪を行うなど、ほぼ自殺行為に等しいものだ。
尤も、彼女自身が何か行う訳ではない。ただ、不機嫌故に普段は抑えられている殺気が少し漏れるだけである。
それだけで、彼等には自殺行為に等しくなるのだ。
「ほぼ私の謝罪なんて聞いてませんでしたよね、あの人……」
「それ所では無かったんだと思うよ。何があったか詳しくは解らないけどね」
バルドは仮面のような笑顔を湿らせる汗に袖を走らせ、拭い去る。
流石の彼もメイアウスの溢れ出す苛つきという殺気には耐えきれず、微かながらではあるが平静を崩してしまったようだ。
ファナもまた、傍目から見ても解るほどに汗で衣服を湿らせている。
あの場に兵士どころか誰も居なかった時点で気付くべきだったね、というバルドの独り言にスズカゼとファナは等しく同意した。
「兎も角、スズカゼ嬢。君は一度ゼル男爵の邸宅に戻って準備を整えると良い。連日の旅で疲れが……」
「女の子成分補給できれば、それで」
「……うん、流石の常識破りだね」
隣で部下が身を守る素振りをしている所を見ると、これ以上の追求は色んな意味で危険なのだろう。
それはそれとして、彼女は現在一国への謝罪を終わらせた。
次は恐らく南の大国、シャガル王国に行くことになるだろう。
あの国は四大国最大の資源量を持つ国だが、ある黒い噂があると聞く。
無論、噂の範疇ではあるがーー……、あの国は。
「じゃ、私はさっさと帰って準備してきますね。早くここを離れないとまた宿題の山に埋もれるんで……」
「む……、あぁ、そうすると良い。モミジ様は第二街の民宿にいらっしゃるはずだから」
「はい、ありがとうございます。ファナさん、今回は……」
刹那、浮かび上がる黒煙にスズカゼの視線は全て集結させられる。
謂わば獲物を見定めた獣。戦の匂いに引き寄せられるかのように。
彼女はバルドよりファナより早く、その黒煙に視線を向けたのだ。
「行ってきます」
窓を張り飛ばすように開き、彼女は飛び出していく。
空を駆けるが如く、魔炎の太刀を手にして、紅蓮の衣をはためかせながら。
その姿は嘗ての少女のそれなどではなく。
敢えて言うなれば、それは。
「……もう、か」
「バルド隊長?」
「いや、何でもないよ。それよりファナも行ってきなさい。彼女だけ行かせると何が起こるか解らないからね」
「はっ」
バルドの命に従い、ファナは応答の声も終わらぬままに掛けだした。
彼女達の後ろ姿を見送った男は微かに微笑みを見せる。
仮面などではない、その微笑みを。
《第二街南部・第一訓練場》
「な、何事だ!?」
訓練場から飛び出たデイジーが目にしたのは黒煙巻き上げる団長の邸宅だった。
後から続く仲間達もその光景を瞳に映し、次々に驚愕して、そして叫びを上げる前に行動を起こし始める。
それはデイジーも、後から出て来たサラも同じで。
「……また何か面倒事のようですわね」
「しかし、団長の家はよく燃えるな」
「全くですわ。修繕費も掛かりそうですわねぇ」
冗談を言い合いながらも、彼女達は他の団員同様に武器を装備する。
デイジーはハルバートを、サラは遠距離型の銃を。
皆が皆、武器を手にして踵を返し、走り出したとき。
その頭上を紅蓮の焔が駆けていく。
「……あの方は」
「うふふ、凄いですわねぇ」
それに気付いた騎士団は二十五名ほど。
そして唖然として見呆けていたのは八人ほど。
やがてその八人も見慣れた騎士達に背中を叩かれ、黒煙巻き上げるゼル邸宅へ行くことになったのだが。
《第三街東部・ゼル男爵邸宅》
「……で、何事だ?」
「俺が聞きたいわ」
邸宅の外ではゼルとジェイドが唖然とし、メイドとハドリーがバケツを回しては邸宅に掛けていた。
とは言え、火事の程度からしてバケツの量などでは焼け石に水。と言うか焼け家に水。
恐らくあと数刻もあれば家が燃え尽くされるであろう、が。
ゼルとジェイドが慌てていないのには理由がある。
「……で、どう思う?」
「姫が来て火を喰い尽くすだろう」
「そうじゃない、そこはどうせ解ってる。……ただ」
「火事の理由か」
「あぁ」
火事の原因は、ジュニアによる火炎だった。
いつも通りゼルへ吐き出したそれが規模の違いから、こうした火事にまで発展してしまったのである。
別に火災自体は、こうして人身的事故もないのが解っているから良い。いや、良くはないが。
問題はジュニアだ。
「ドラゴンっつー生物だ。リドラ曰く火を吐くのは子供で言うじゃれつきだから仕方ない。本来の生態なら親ドラゴンが子ドラゴンに火を吐かれても何ともないのは当然だろうしな」
「しかも魔力に反応して吐くのだから、貴様が狙われる。そして狙われれば……」
「これだ」
前回は所詮、ボヤ騒ぎだった。
何人かは犠牲になったが、まぁ、大した事はない範疇。
しかし育ち始めて成長した今現在。
ドラゴンの火炎は、一つの家を焼き尽くすには充分な物となり始めていたのだ。
「……もう、限界なのかも知れないなぁ」
やがて少女と騎士団が駆け付け、火災は事なきを得る。
何と言う事はない、普段通りの日常。
然れどその中に残るしこりは、確かに形を持っていた。
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