その男は傲慢にて不遜
【サウズ王国】
《王城・王座謁見の間》
「……もう一度聞くわ。何と言ったのかしら」
「女王様はお耳が悪いようだ! よろしい、今度は耳薬も持ってきましょう。お高いですがね」
周囲の兵士、そして大臣は酷く肝を冷やしていた。
いや、そんな物ではない。最早、その場で何もかも、胃の中身でさえも吐き捨てて逃げ出したい気持ちに駆られていたのだ。
この男の何と無謀なことか。メイアウス女王の殺気ですら、この男にとっては毛先を揺るがすものではないのだろう。
自分は殺されないという傲慢が、この男の溢れんがばかりの強気となって現れているのだ。
ここまで出来る人間などそうは居ない。否、この男以外は居ないはずである。
「私めは獣人ですがね。これでも商売人なのです。しかし、同時に交渉人でもある。四天災者などと揶揄される戦闘狂な女王様には解らぬやも知れませんがぁーーー……、まぁ、随分と胃を磨り減らす仕事なんですよ」
「……だから、私が聞いているのは貴方の用件よ」
「あぁ、そうでした。女王様の前で緊張しておりましてねぇ? まぁ、ご勘弁してくださいよ。えぇ」
その男は猿の獣人だった。
若くも嗄れた顔に、油を使ってきちんと整えられた頭髪。
黒眼鏡に隠れているとは言え、その薄茶色の瞳は嫌らしく歪んでおり、まるでメイアウスの裸体を舐め回すように選別している。
そして皺の無い、叩けばピシリと言いそうな高級な衣服。
見れば見るほど何処かの国の大使と思えてくるが、彼曰くただの商売人で交渉人だとか。
して、そのただの商売人で交渉人な男が如何様な理由でこんな無謀な事をしているかと言うと、だ。
「ドラゴンを譲っていただきたい」
男はそこから如何にドラゴンが素晴らしいか、その歴史的価値が高いか、そして今の飼育状況が如何に酷いかを国家演説のように高らかと語り出した。
その演説は実に三十分に及び、流石のメイアウス女王もよく息が切れないなと呆れ返ったほどである。
尤も、その内容自体は有り触れた定型文を並べたような、兵士達が船をこいでしまうほど退屈なものであり、かのナーゾル大臣ですらもう少しまともな事は言えないのかと汗に濡れた顎筋をなぞるほどの物であった。
要するに途轍もなく胡散臭い男は自分は貴重な歴史的資料であり生物学的に貴重なドラゴンが欲しいから寄越せ、と言ってきたワケである。
「お解りいただけましたかな?」
「……貴方と話す価値がないという事はよく解ったわ。兵士、この男を摘み出しなさい」
「おやおや、よろしいので? 私は栄えある研究機関から正式な使いとして……」
「その研究機関の名前も考えるべきだったわね」
「これは失礼、失言しておりました。では一時間後にまた正式な礼状と名前を持ってお伺いします」
男は心のこもっていない礼儀正しい一礼と共に踵を返し、連れ出そうとする兵士の手を振り払って自ら扉へと向かう。
その様は、嘗て獣人の自由を会得したスズカゼの後ろ姿を思い出させるほど堂々としたものだった。
断られたというのに、嫌味すら言われたというのに。
その堂々とした様には最早、嫌悪よりも呆然しか覚えない。
「……め、メイアウス女王様」
額に指を突いて大きく息を吐く彼女に声を掛けたのはナーゾル大臣だった。
彼はでっぷりと出た腹を一生懸命動かしながら、メイアウス女王の耳元へと寄ってくる。
その口から出るであろう言葉は、既に解っていたのだが。
「気にしなくて良いわ、放っておきなさい。元よりドラゴンの飼い主はあのスズカゼ・クレハ伯爵なのだから渡しはしないわ」
「いえ、そこではなく……。あの様な胡散臭く、下賤な男に言われ放題のまま放っておくのも威厳に関わるかと……」
「他国の親善大使が居る中で問題を起こせって言うの? 冗談じゃないわ。私達は今とても繊細な時期に居るのよ。だから、私達は行動しないわ」
「……成る程、確かに[私達は]とても繊細な時期で[私達は]行動出来ませぬな」
「後は任せるわよ。やりなさい」
「はっ」
ナーゾルは相変わらず揺れる腹を腰で抱えながら、兵士達に口角泡を飛ばさんがばかりに命令を出す。
大方、第三街の獣人達であれば数ヶ月は暮らせるであろう大金を持たせて。
町中を暇そうに歩いている男二人に、それを渡す為に。
《王城・廊下》
「まさか風呂入って服変えてさっさと王城行こうとしたら玄関で宿題の山持ったジェイドさんが待ち伏せしてるとは……」
「そして彼等から逃げたら裏口で待機してたゼルに見付かったんだね」
「それも突進で跳ね飛ばして逃げようとしたらメイドさんに見付かって説教喰らいました」
「……当然だ、馬鹿が」
王城守護部隊隊長と副隊長に連れられて歩く、一人の少女。
結局、説教と宿題と胃薬を貰って来る役目を果たしたせいで数時間ほど送れたが、スズカゼはこうして王城を訪れていたのだ。
尤も、何故かメイアウス女王の命令だということでバルドとファナの二人に付き添われているわけだが。
「しっかし、暫く見なかったウチに第三街も綺麗に直りましたね」
「第三街は殆どが獣人達だからね。君の治政が良いのか積極的に協力してくれたよ」
「……何か主な政策ってカード発行ぐらいしかやってない気がしますけども」
「それでも彼等にとっては革命的だ。まぁ、何より解放運動が……」
言いかけたところで彼は言葉を切る。
前に注意していなかった為か、曲がり角で、ある男と肩をぶつけてしまったのだ。
彼はその身を微動だにせず失礼と言ったが、相手の男はどうにも不機嫌だったようで微かに眉根を歪めながら、謝罪の一つもなく立ち去ろうとした、が。
バルドの後ろにいたスズカゼを見て眉根の皺をぴったりと伸ばしきった。
「おやおや、おやおやおや……」
「……何です?」
「いえいえ、失礼。また貴方と会うことになりそうだと思いましてね! これはこれは運命的だ。まるで世界が私にこうしろと語りかけているようだ」
男は独説的な語り口調でブツブツと何かを言いながら、そのまま過ぎ去っていった。
何が何だか解るはずもない一行はただ首を捻るばかり。
故に、気付くはずも無かったのだ。
その男が今回の一件を巻き起こすであろうことに。
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