閑話[全てが終わった山岳で]
【クグルフ山岳】
《山頂・魔法石発掘現場》
「……ふむ」
濃霧がかかった山頂には、ある大男の姿があった。
その巨体は見た目だけでも熊と見間違えてしまうほどに巨大で、その手足は筋肉の鎧に覆われている。
男はそんな腕で顎の無精髭を触りながら、水を吸って泥に近くなった地面を踏みにじってその場を歩き回っていた。
やがて彼は[それ]を見つけると、感嘆するように声を漏らす。
「予想通り。……いや、予想以上かのぅ」
彼が触れた[それ]。
それこそ、スズカゼが破壊した魔法石だった。
魔法石は既に色を失っており、ただの透明な石となっている。
男はその石を愛でるように撫でながら、再び感嘆の声を漏らした。
「面白い」
たった一人で、この場には居ない少女へと拍手を送る男。
彼の巨大な掌から送られる拍手は、まるで風船が弾けるような大音だった。
彼は軽快な笑みと共にその拍手を繰り返し、大音を虚空の山中に響かせる。
だが、そんな拍手を止めるように降り立つ影が一つ。
「オロチ様」
その影は、本当に言葉通りオロチの影から姿を現した。
ぬるり、と水中から這い出るように、だ。
オロチと呼ばれた大男はそんな様子に驚く事もなく、ぐるりと体を翻してその人物に視線を向ける。
「ヌエか」
その場に立っていたのは、顔を真っ黒な布で覆い尽くした一人の女性だった。
顔を隠しているのに女性と判断出来るのは、その胸の膨らみと手足のか細さ故の物である。
だが、その人物の声だけはどうにも低く、まるで男のような物だった。
「お迎えに上がりました」
ヌエと呼ばれた女性はオロチへと深く頭を下げ、その言葉を述べる。
そんな彼女に対し、オロチは気怠そうに頭を掻き毟った。
「別に迎えなど要らんのだがなぁ」
「そうは仰られましても、レヴィア様のご命令ですので」
「あの女狐め、余計なことを……」
「レヴィア様はあの駄目男を連れ帰ってこい、と仰っておりました」
「……ふむ。まぁ、構わん」
オロチは興味もなさそうに一人でに納得して、踵を返す。
その方向は山下へ向かう物であり、彼は泥を踏みにじって歩き出した。
そんな彼の後を、ヌエはゆっくりと歩きながら着いていく。
「精霊と妖精が大量に出現したという報告は聞いていましたが……。貴方様がここに居る理由が解りません」
オロチの後方に着きながら、ヌエは彼へと疑問を投げかける。
彼は彼女の疑問に対し、まず嘲笑うかのような笑みを返した。
そして、それに続く言葉を。
「先行投資じゃよ、先行投資」
「先行投資? 一体、何を?」
「……例え話じゃがな? これは」
彼は空中に指先で空の器を描き出す。
ヌエはそれが何なのか理解出来なかったが、オロチは構わず話を進めだした。
「水を注いだ、空の器があるとしよう」
「……あぁ、器だったのですか。それは」
「う、うむ。それで、その器の底を切り落とせばどうなる?」
「器の中の水が溢れ出すだけでしょう」
「その通りじゃな。至極簡単な原理だろう?」
得意げに笑んだオロチに対し、ヌエが返したのはえぇ、はい、そうですねという非常に無機質な返事だった。
オロチは強靱な肩を落として落胆するような意を見せるが、ヌエの反応は変わらない。
「それで、話は終わりですか」
相変わらず声の調子を変えないまま、どうでも良い話が終わったかのようにヌエは述べた。
オロチはそんな彼女の様子にさらに落胆して肩を落とし、声の調子まで落とすものの、言葉を述べ続ける。
「まだじゃよ。……では、その中身は何処へ行くと思う?」
「落ちるだけでしょう」
「落ちているか?」
にぃっと頬を歪めたオロチ。
彼の意図を漸く理解したヌエは、あぁ、なるほど、と感心するように頷いた。
「先行投資とは良く言った物ですね」
「かっかっか、悪くなかろうに」
「えぇ、まぁ。……尤も、過剰投資でなければ良いのですが」
「それはそれで面白いじゃろう?」
濃霧がかかり、白く染まったクグルフ山岳。
そこに響くのは大男の笑い声と、華奢な女性の足音。
彼等の思惑を知る者は、その山には誰も居ない。
同様にクグルフ国にも、サウズ王国にも。
誰も、居ない。
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