抗う弱者
{……ふむ}
納得か、疑問か。
化け物の中には思考が渦巻いていた。
斬ったはずだ、自分は。
一切の躊躇無く青年の身体を、切り裂いたはずだ。
{何故生きている?}
いや、生きて居るだけではない。
その身を鮮血に染めながら、肉を露出させ骨を垣間見せ臓腑をはみ出させながらも。
その青年は、立っている。その手に剣を持ちながら。
雄偉に、堂々と、荘厳で。
白銀の刃を持ちて、立っている。
「…………スズカゼ、さんが、言ったんだ」
否、立っているというのは語弊だった。
それは最早、立たされているのだ。風に揺られれば崩れそうな程、脆く。
何かの言葉に、立たされているのだ。
「自分の剣を捨てるな、って……」
最早、剣を持っていることすら辛いだろう。
然れど青年は剣を握り直し、子鹿のように腕を振るわせながらもそれを構える。
切っ先を化け物に向けて、殺意に眼光を染め上げた。
「オッサンが逃がしてくれたこの命を捨てるのは馬鹿らしいと思う……。スズカゼさんの身体を斬るのは心苦しいと思う……。オッサン達の仇を取れず、仇すら見ず死ぬのは、嫌だと思う。けど、だけど、俺はこの先に進まなきゃならない……」
{……それが破滅の道だとしても?}
「俺は修羅だ。破滅を求めるから、修羅なんだ」
眼球の焦点は合っておらず、口端半開き。
よくよく見れば、意識が朦朧としているのが解る。
化け物はシンを殺しきれなかったのではない。シンが、死にきれなかったのだ。
{最早、肉塊か}
確かに自分は蝿を払った。羽虫を潰そうとした。
だが、それは弱者の話であり、強者は別だ。
肉体的な弱者であり、精神的な弱者の話だ。
これ程までになってもなお、己の信念を貫き通す、その[覚悟]。
力無き弱者が持ち得るはずもない、その[信念]。
剣を決して離さず、修羅の道を歩むと決めた[決意]
{惜しい、男だな}
何が悪かったのかは解らない。
然れど、この男には素質があった。
戦乱であれば畏れの対象となっただろう、竜が存命する世であれば英雄となっただろう。
だが、今の世には血の臭いがしない。こんな世の中ではこの者も報われない。
そうだ、この者は弱者では無かった。
卵の殻を破られぬ、地の中に産み落とされた雛だったのだ。
{我が眼も腐ったか……}
太平の世となれば、我のような存在は不要とでも言うのか。
幾千幾多の死を手にしてきた、我でさえも。
「俺は、修羅だ」
刹那。
化け物の肩に、斬撃が擦る。
被害はない。精々、衣の上に散った粉塵を散らす程度。
だがーーー……、刃が届いた。
{……ふぅ}
常人の域を脱した剣撃の数々。
意識を無く仕掛けた事によって力みが取れ、訓練本来の技が出るようになったのだろう。
急所を的確に狙い、一閃を深く踏み込みすぎていない。
あくまで相手を殺すためだけの剣撃だーーー……。それは最早、銀の雨にさえ思える。
{だが我は傷付けられない……、か}
壁がある。
高々と、聳え続ける壁が。
この者が幾ら美しい技を見せようと、己を傷付けるにはたり得ない。
良い武器を持ち、良い技を保ち、良い力を持っていたとしても。
自分とこの者には天を貫く壁がある。
{強者の悲しみとは……、弱者に触れられぬことだな}
静かに、手を伸ばす。
雨など物ともせず、手を伸ばす。
シンは即座にそれを回避するが、回避した先にあったのは、手だった。
自分に伸ばされていたはずの、手だった。
{壊して、しまうから}
指先が触れ、臓腑は裂さかれ紅色の飛沫は空を舞う。
壁は、超えられない。こちらから触れば相手は脆く崩れ去る。
何と、虚しいことか。
砂浜に出来た楼閣に、触れられぬことが。
それに埋まる卵を包み込めぬのが、何と虚しいことか。
「お、ぉおぉおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
臓腑が裂けたと言うのに、シンは未だ銀の雨を止ませはしなかった。
裂けた臓腑からは食物や胃液が溢れ出している。
彼が一閃を振るう度にそれは瓦礫へ飛散し、悍ましい色へ染め上げた。
死に急ぎではなく、死に逝くかのように。
{……我が払う敬意は、死だ。安楽に眠れ、強者の卵よ}
振り抜かれた白焔の槍。
青年の臓腑を首根を穿つ、刃。
琥珀の氷を切り裂く、刃。
{む?}
刃は琥珀の元に、火花を散らす。
廃墟を灰燼に帰したその一撃でさえ。
琥珀の氷は、破れなかった。
「三重詠唱など、初めてやったが……、意外と上手くいく物だな」
瓦礫を背に、立つ。
琥珀の眼をひび割れた硝子で隠す、その男。
三武陣の名を背負いて、立つ。
{貴様、まだ意識が}
「乖離の鎌」
化け物の衣は舞い、微かな切れ目が刻まれる。
その身に被害は皆無。然れど、足は瓦礫より微かに離れていた。
上昇気流による浮上。霊力を断つ衣を前に、微かであろうとも与えた被害。
「幾ら魔力や力を封ず貴様でも物理現象には逆らえまい」
その者が、幾千数多の傷を負いながらも立つその者が発動したのは上級でも何でもない、ただの魔術。
氷を化け物と瓦礫の隙間に召喚。そして、一気に増殖させる。
{何ーーー……!?}
気付いた時にはもう、化け物は天高く、それこそ瓦礫が蟻よりも小さく見えるほどの上空に居た。
足場には氷。風による浮上と氷によって足場を無理やり上げられたのだと知る。
身体にも微かな損害。どうやら急激な上昇による息苦しさのようだ。
だが、この程度で何が出来るとーーー……。
「例え両腕がなくとも」
居たのは、白と黒、そして白銀。
両腕を失いし二肢の獣、生命の輝きを失いかけた剣の修羅。
等しく、死が迫る存在。消えゆく灯火の姿。
然れど輝きは何よりもーーー……、美しい。
「合わせろ、シン。私の義手を超過機動させてお前の斬撃に乗せる! 後は全て任せるぞッッ!!」
「……はい」
空を駆ける、一歩。
腕を振り上げかけた化け物を封ず、風と氷の鎖。
完全に自由を奪われた[それ]に浴びせ掛けられる、白銀の一閃。
{……良い、ものだ}
化け物の嗤いを聞いたのは、誰も居なかった。
ただ滅国より立ち上りし琥珀の塔。
それを破す一閃はーーー……、太陽の輝きよりも、鮮烈な物に違いは無かっただろう。
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