武陣を崩すは槍
「まず第一に、奴を相手にして勝つのは不可能だ。逃げに徹する」
クロセールは眼鏡の位置を直しながら、悠然と立つ[それ]を眺めていた。
静かに思考を張り巡らせる彼の脳裏には幾千数多の方法と情報が流れている。
まず奴の{矛盾せし始祖の法則}という技。
どういう原理かは解らないが、奴の技は全てを無効化するらしい。
異なる三種の攻撃を一度に無効化したのだ。それは間違いない。
その大技が何度も使えるはずがないーーー……、と信じたいが、奴の余裕さを見れば、それも儚い希望なのだろう。
「逃げに徹するのは結構だが、奴が飽きたりしないのか?」
「それが唯一の難点ではあるがな。フー、お前の[見えざる鎌]は奴の首を狩れるか」
「不可能だと思うのだが、どうだろう」
「いや、それで良い。下手に及ぶよりも、あくまでお前の通常技で戦え」
「了解したと思うのだが、どうだろう」
「よし、そしてオクス。最も危険なのはお前だ。接近戦主体の戦法も今は使うべきではない。見たところ奴も接近戦型だし、出来るだけ遠距離から攻めるぞ」
「……瓦礫でも投げれば良いのか?」
「自由にするんだな。そもそも遠距離型である私と中距離型であるフー。そして近距離型のオクス、お前だ。三種三様の戦法を持つ我々からすれば単なる接近型の奴は非常に相性が良い。あんな常識外れの戦力でなければ、な」
「要するに今回はクロセール、貴様主体で攻勢を行うという事だと思うのだが、どうだろう」
「そういう事だ。奴の半径銃数メートル以内には近付かず、遠距離戦のみで間延びさせる。それが今回の作戦になるだろう」
「……理解した。が、情けないものだな。三武陣ともあろう者が、彼女一人止められないのか」
「下らん正義感で突っ走るなよ。奴は不和を持ってして挑める相手ではない」
「……それは、解って」
{相談は終わったか?}
刹那だった。
クロセールも、オクスも、フーも。
[それ]から意識を逸らした訳ではない。
然れど、そんな事は[それ]にしてみれば羽虫の羽音が聞こえるかどうかの違いでしか無かった。
ただ、[それ]は。
彼等の意識を超えて迫ってきただけだった。
「ちぃッッ!!」
視認するよりも前に。理解するよりも前に。
彼等は各方向への跳躍を持って[それ]と距離を取る。
接近戦を行う訳にはいかない。まず、距離を取ってーーー……。
{貴様が司令塔か}
クロセールの眉間に突き付けられた、白き槍の切っ先。
視界に収まることはない。覆い尽くされた、尖端。
移動速度すら、否、音すらも遅れて聞こえただろう。
避けられない。この位置で振り抜かれれば、脳漿を飛散させて死ぬばかり。
「……あぁ」
それでも、彼の思考は未だ冷静だった。
自身が死ぬ数瞬前だと言うのに、未だ彼の幾千数多という思考は、静かに張り巡らされていた。
策はない。この状況を脱する方法はない。
然れど、答えは得た。この者が何を思って我々を相手取っているのかという、答えを。
「そうか」
クロセールは槍を回避した。
鼻先と眉間を白き焔で焦がしながらも、回避した。
回避、させて貰った。
「それが、貴様の狙いか」
{フフ、良い勘だ}
彼の腹部を脚撃が貫き、瓦礫の爆散と共に身体を地中深く沈めていく。
地面の亀裂でさえも、彼を受け止める余波でしかない。
臓物がかき回され、骨が砕け、血が気管を通って外部に吐き出される。
然れど、それでも。
彼は未だ、死には至っていなかった。
「クロセェエエエエーーーーーーーーーーールッッ!!」
オクスの叫びが届くより先か後か。
化け物は白き衣を靡かせ、フーの眼前へと立っていた。
対する彼女は即座に[見えざる鎌]を発動。
不可視の鎌によって捨て身に近い攻撃を[それ]へと襲い掛からせる。
{良い技だ}
だが、効かない。
白き衣は平然とその刃を受け止めたのだ。
ただ柔き衣が。己の手でも引き裂けそうな、それだけの衣が。
{だが足りない}
フーの顔面を掌握する、華奢な掌。
然れど彼女の頭部は生々しく重々しい音と共に軋んでいた。
数秒か、数十秒か。いや、それよりも短いかも知れない。
オクスの腹底から彼女の名を呼ぶ絶叫が出るよりも前に、その四肢は力無くぶら下がっていた。
「フー……」
一瞬だった。
たった、一瞬で、ギルドの主力として数えられる三武陣の半数以上が壊滅状態にまで追い込まれたのである。
その事実はオクスに、彼女自身に過ちを理解させていた。
認識の甘さという過ち。己の予想を超えているという認識すら、超えていたのだという過ちを。
「……何故だ」
だからこそ、理解出来なかった。
理解出来るはずも無かった。
[それ]は最早、天上の存在だろう。抗えるはずもない。
だと言うのにその背中は、[鬼]の、否。
[修羅]の背中は、彼女の眼前に悠然と聳え立つ。
「俺は彼女に恩がある。俺は女性に愛がある。この命、賭けるにはそれで事足りる」
勝てる訳など、ない。
だが、それでも良いのだ。それだからこそ良いのだ。
力無き自分が抗う為には、超えなければならない。
{……貴様は死すぞ、小僧}
「俺には三武陣の皆さんみたく、認められる力がないのは解ってる。アンタに気に入られる力がないのはな」
{繰り返す。貴様は死すぞ、小僧}
「それでも抗うさ。俺は[修羅]だ」
その背中は小さかった。
眼前の、余りに強大な存在に勝てるはずもなかった。
それでも、それでも、なお。
彼は、シン・クラウンは。
己の白銀の刃に全てを掛けて、今。
その天上の存在へと立ち向かう。
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