青年の足掻き
「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ…………」
シンは一定の呼吸を用いながら、意識を集中させる。
苦痛はない。応急手当は済ませた。
相手が治療道具を持っていたのが功を奏しただろう。
もうある程度は問題無く動けるまで回復できた。
これで、スズカゼの援護に行ける。
「……そんで」
彼の手にあるのは[不可避の因果]。
今し方、その首根を跳ねた男から治療道具と共に奪ったのだ。
かなり使い勝手の悪い魔具な上、魔力の少ない自分が使えた代物だが、まぁ、持っていて損はあるまい。
売れば暫く金には困らなくなりそうだし。
「ま、何はともあれ早くスズカゼさんを助けに行かないと……」
未だ自分はあの者、結界を張ったであろう者に遭遇していない。
斬ったのは先の男を除いて雑魚ばかり。
その先の男もまた、殺し切ったのだが。
迫り来る弾丸の軌道を予測して突貫。首を跳ねて、殺し切ったのだが。
「……俺も、少しは強く」
微かに揺るんだ彼の頬は、一瞬で引き締められる。
握り締めた魔具が床に落ち、肉塊の海へと転げていく。
彼はそれを拾い上げようとしては落としを数度繰り返し、漸く魔具を握り締めることが出来た。
「何……、何だよ、これ」
腕が震え、足が凍える。
恐怖の二文字が彼の脳内で反響し、全身を駆け巡っていた。
それこそ、それが口端から溢れ出すかと錯覚するほどに。
「いったい、誰が……」
思いつくのはあの結界の主。
近くに、居る。凄まじく恐ろしい誰かが。
「……」
彼は廃墟の窓際から顔を覗かせる。
その恐怖の権化を一目見ようと、そう思ったから。
顔を覗かせて、そして、見た。己の眼前に立つ紅蓮を。
鼻先に紅蓮の衣を触れさせるほど近き、それを。
「……お、おぉっ!? 吃驚したじゃないッスか!」
{…………ふむ}
「戻ってきたなら戻ってきたって言ってくださいよ、スズカゼさん」
苦笑する彼の身体は、まだ震えていた。
眼前の少女が恐怖の権化だと認識したが故に。
結界の主などではなく、眼前の少女が。
{柔く、脆い。貴様のような子供ですら生き存えられるのか……}
「……スズカゼさん?」
{まぁ、良い。それも時代の移り変わりだろう。……だが、見れば良い体をしている。剣を振るうに特化した良い体だ}
「よ、良い体って照れるッスよぉ」
{偶には良いやも知れぬな}
一閃がシンの頬先を駆け抜け、廃墟を寸断する。
文字通りの寸断だ。未だ形を保つその建築物を、容易く、切り裂いたのだ。
技を使わず魔力を使わず。ただの、腕力だけで。
{技を持ち、覚悟を持つ。貴様のような剣士に会うのは久々だ。未だ柔く脆い子供だが……、良いな}
「……お前、誰だ」
{名は、どうだかな。未だ欠片である我に名を名乗る資格はあるまい。……が、貴様が武人であれば剣にて聞き出せば良かろう}
「スズカゼさんをどうした!?」
{諄い。剣にて聞き出せ}
紅蓮の刃が彼の胴へ振り抜かれ、衣服と薄皮一枚を抉り取っていく。
シンが回避した訳ではない。その場を狙われたのだ。
先刻、廃墟を切り裂いたのと同じ。
衝撃波を用いて彼の身体を寸断するが故に。
「がっ……!!」
薄皮が切られた所から、肉が裂け、血管が千切られ、骨が砕かれ、臓腑が潰されるのが解る。
ただの衝撃波が、己を喰い尽くしていくのが、鮮明に理解出来る。
ーーー……死ぬ。
「お、おぉぉおおおおおおおおおッッッッッッッッ!!」
魔力を持たぬ自分の、なけなしの雫。
それを枯れ果てさせてもなお、魔具の効果を高めて。
彼は、[不可避の因果]の照準を外壁へと定めた。
{ほう!}
斬撃の衝撃波はその方向性と慣性の法則を無理やりねじ曲げられ、外壁を斬り刻む。
否、斬り刻むと言うよりは最早、両断したと言うべきか。
明確な殺意を持って放たれた一撃。彼を殺す為の、一撃。
{良い道具だ、見たことがない! 斬撃を逸らすのか? いや、違うな。対象を定め、その位置に攻撃を当てるが、場所は選べないのか。ふむ、良い道具だ……、が、魔力を喰うようだな}
シンの眼球と鼻腔からは赤黒い血が流れ出ていた。
魔力欠乏による、身体の拒絶反応。
元より極小の魔力しか持ち合わせて居ないシンが慣れない魔具など使ったのだ。
その欠乏は必然でもあったのだろう。
そして、欠乏は身体に異常を来す。
少なくとも[それ]相手に逃げ切る体力全てをシンから奪うような、異常を。
「ぐ、ぅっ……!!」
{……何だ、魔力が無くなったのか? もう終いか。詰まらん}
酷く落胆したように[それ]は言い落とし、紅蓮の刃を振り翳す。
その切っ先はシンの首根へと。
周囲に転がる肉塊同様、姿を変えるべき死の誘いへと。
〔新緑の大地は美しき哉。嗚呼、この永劫に思いを馳せよう。嗚呼、この世界は何と美しいのだろう。氷の中で蠢かず凍ってくれるのであれば、それは永遠となろうに〕
透き通るかのような、声。
それが魔力を孕んだ詠唱である事は[それ]だけでなく、シンにも理解出来た。
否、シンが理解したのはそれだけではない。
その声にはーーー……、聞き覚えがあったのだから。
{詠唱か}
「邪魔させると思うなよ」
[それ]に向けられたのは白銀の義手。
豪腕が如く廃墟を倒壊させるほどの怪力で、一気に振り抜かれたのだ。
然れど、[それ]は何と言うことは無く回避し、隣接する廃墟の屋根へと飛び移った。
「……少し見ぬ間に、変わってしまったな」
牛の獣人である彼女は忌々しげにそう吐いた。
その白銀の義手を太陽に煌めかせて。
血涙を流す青年の前に立つ、彼女は。
「次は我々、三武陣が相手だ……。スズカゼ殿」
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