御巫山戯
男の脚撃が地面を擦り、粉塵と共に少女の脇腹を狙う。
喰らえば骨だけでなく臓腑すら潰されかねない、一撃。
然れど少女はそれを防ぐことよりも、男の顔面を叩き割ることを選んだ。
刃は振るっている。紅蓮の道を示す、その刃は。
だが、盾は構えていない。全てを防ぐその紅蓮の盾は。
「聖闇・魔光」
脚撃は紅蓮の衣を打つが、力を叩き込むことはなかった。
彼はその衣がスズカゼ自身から出現すると同時に足を引く体勢へと移行したのだ。
迂闊に攻撃すれば何があるか解らない、と。瞬時にそう判断を下したが故に。
「だが遅い」
脚を振り抜こうと振り抜かまいと結果は変わらない。
スズカゼの振り下ろした斬撃が彼の面に食い込み、焔を放つ。
鉄を溶かし、肉を焼き、骨を焦がす一撃を。
「届かせる訳ァねぇだろうが」
スズカゼが紅蓮の盾を構えたように、男もまた紫透明の盾を構える。
彼女の一撃を持ってしても砕けない、その結界という盾を。
「……鉄壁ですね」
「そりゃどうも。お前の衣、何それ? 着心地良さそう」
「まぁ、中々」
紅蓮が紫を擦り、火花と共に空を裂く。
追撃はない。スズカゼも男も同様に相手を警戒しての事だ。
互いに防御の術を持つが故の拮抗。迂闊に手を出せないが故の静寂。
「……良いね」
次に踏み出したのは男。
彼は覆面奥の眼を歪めたまま、スズカゼへと殴りかかる。
何と言う事はない、先の脚撃よりも緩やかな拳撃だ。
恐らくは様子見か囮ーーー……、捨て置きて第二撃に合わせて反撃する。
反撃、反撃、反撃。
回避。
「ッッッ!!」
強いて言うなれば、直感であろう。
たった数撃交わした中でも、少女はその拳一つに最たる違和感を覚えたのだ。
言葉で説明しろと言われては説明しきれない、違和感を。
「気付くねぇ」
男の拳はスズカゼの背後にあった、廃墟の壁を打つ。
いや、打つと言うよりは触る、だ。威力もなく打ち込みもない、ぺちんと音がするような一撃。
たったそれだけの一撃で、廃墟は崩れ落ちた。
「大抵の奴は今ので充分なんだけどな」
「……際で」
拳撃に威力があった訳ではない。
音や速度からして、それはないはずだ。
いや、着目すべき点は拳ではないのかも知れない。
崩れた、廃墟。
拳に打たれた部分を基点として崩れているのには違い無い。然れど、その断面。
破壊による雑な壊し方ではなく、まるで巨大な剣で斬ったかのように鮮やかだ。
それも外側ではなく、内側から斬ったかのように。
「今のは小手調べと種隠し。さて、次から本気だぜ?」
種隠し、と。
自分が思案し、警戒しきって動きを鈍らせることすら計算の内と来たものだ。
だが事実、あの一撃が何を持って廃墟を倒壊させたのか解らなければどうしようもない。
極限の力による破壊ならば解りやすい物を、あんな妙な壊され方をされては警戒せざるを得ないではないか。
「はい、考える時間なんて与えなぁーい」
極度の低姿勢を用いた踏み込み。
斬撃の威力を殺すには充分な死角からの攻撃だ。
下から掬い上げるにせよ上から叩き付けるにせよ、その一撃は大きな隙と威力の激減を生む。
刀剣相手に戦い慣れている、と言うよりは相手の死角を取るのが上手いと言うべきだろう。
「けれど」
自分もそういう相手とは幾度となく戦って来た。
自分より速い相手、自分より力が強い相手、自分より上手い相手。
多くの上を見てきた自分だからこそ、解る。
これに対する対処法が。
「……うそん」
男の覆面から覗く眼に映ったのは、刃。
超低空。それこそ覆面の顎先が地面の小石を跳ね飛ばすかと言う程の超低空。
にも関わらず、その眼には確かに紅蓮の刃が映っていた。
「どんな体勢でーーー……!?」
眼はさらに見開かれる。
自身が地面に飛び込むような形で奔っているのに対し。
スズカゼは、女性にあるまじき超蟹股で刃を振るっていた。
それこそ股座が地面に着いて足が水平になっているのでないかと思うほどの、蟹股で。
「と、ぉ、お!?」
男は拳を開き、両人差し指を刃に向ける。
極部的な結界を展開。刃と接触する際に人差し指を峰に叩き付ける。
その部分を基点として刃を乗り越えながら、跳び箱でも超えるかのように一気に飛び越えた。
その後の着地など知ったことではない。無様に転びながら全身を土だらけにして廃墟の瓦礫の中へと突っ込んでいく他無いのだ。
スズカゼも相撲取りのような体勢から剣を引いた後、酷い股座の痛みに耐えながら緩やかに体勢を立て直すしかない。
一瞬の生死すら左右する攻防の結末は、何とも恰好の悪い物だった。
「……なんて斬り込み方するんだ。女の子らしさってモンがない」
「いや、普通に必死なんで。あー、股痛い」
瓦礫から這い出る男と、足をブラブラと揺らす少女。
二人は再び距離を取り、互いに眼光を交わす。
拳と、紅蓮の刃を交差させるであろう数秒後のことを見据えて。
静かに、静かに。
「……貴方のような飄々とした人は何人か見てきました。大抵が馬鹿かお調子者でしたけれど、偶に居るんですよ。狂ったように強いのが」
「なら俺もその一人ってか? 照れるねぇ」
「えぇ、まぁ。全力のくせに殺す気もない人ってのは初めてです」
ぺたん、と。
男は自らの覆面に指を張り付かせ、指紋を塗るようになぞってみせる。
その動作が何を示すのか詳しくは解らないが、恐らくは驚いているのだろう。恐らくは。
「楽しみってさ、直ぐ無くなんの。解るでしょ? 嫌なことは続くくせにさぁ、楽しい事は直ぐ終わっちゃうのよ」
「えぇ、そうですね」
「だからさぁ。ちょっとぐらい長引かせても良いじゃん? ホンキでやったらフツーに終わっちゃうんだからさぁ」
その一撃は頬を斬る。
「ーーー……!?」
一切の動作は無かった。
然れど、スズカゼの頬は斬れている。
先の廃墟のように、鋭利な刃物で断ざれるが如く。
「けど、言われちゃ仕方ないわな」
一歩、後退る。
それが意識した物ではないと、後退ったスズカゼ自身が理解していた。
危険だと本能が告げている。
この男は今まで巫山戯ていたのだと。
全力で巫山戯て、巫山戯て全力だったのだと。
「フツーにホンキで行くわ」
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