軽口の中に隠れるもの
「嫌ですけど」
「えっ」
「嫌です。帰れ」
「ちょっと待って酷くない? 俺っち涙目なんだけど」
一気に拍子抜けた男は完全覆面の仮面の下で、本気の落ち込みを見せていた。
とは言え、警戒を解いた訳ではない。飄々とした言葉使い出あれ、その殺気が消えた訳ではない。
スズカゼも鬱陶しそうな表情を見せてこそ居るが、魔炎の太刀を仕舞う素振りすら見せる訳ではないのだ。
「何者ですか」
「別に、何者って訳じゃない。ただのカッコイイお兄さんだ」
「お兄さん? ……オッサン?」
「ま、まだ二十代後半だし……」
「まぁ、どっちでも良いんですけど。で? ご用件は?」
「だから殺り合おうって。こちとら準備満タンよ?」
「それを言うなら万端です。……嫌なんですけどね、貴方みたいなのとやるの」
「そう言うなよ。俺は楽しみにして来たんだ」
一歩。
スズカゼが極度に腰を据えると同時に男は二歩目を踏み出す。
三歩目は、彼女の瞳に映らない。
「ちィッ」
スズカゼは微かな舌打ちと共に地面に刃を突き立て、一気に踵を返す。
連動して回転した刃は土石を切り裂くと共に粉塵を巻き上げた。
相手の速度は自分より格段に上。間違いなく近接戦闘型。武器らしい武器を持っていない事を見れば、アギトのような拳撃を扱うのだと考えられる。
……しかし、そうだ。思ってみればその通りではないか。
「其所」
粉塵がごく僅かな揺れと共に舞い上がったのを、スズカゼは見逃さなかった。
ほぼ背後に近いその場を紅蓮の刃が駆け抜け、周囲の土埃ごと全てを風圧と共に斬断する。
確かな手応えと、防がれたという実感。
彼女の刃が斬ったのは、いや、彼女の刃を防いで零れたのは金属音と火花だった。
「……仮面狙う? フツー」
「仮面と拳撃っていう、ちょっと私の知ってる人とキャラが被ってたんで……」
「だからってご丁寧に仮面狙わなくても。特注じゃなきゃ斬れてたよコレ」
「もう一発二発か……」
「聞いてる? あ、聞いてないよコレ。つーか狙う気満々じゃね? アレこれ俺の仮面の危機?」
軽口同士の会話に、緊張感はない。
まるで喫茶店の会話だ。つい先程、殺しの為に一撃を交わした者達の会話ではないだろう。
然れど、もしもその場に常人が居たならば、必ず思うだろう。
ここに居れば自分は巻き込まれて死ぬ、と。
「つーかさ、聞きたいんだけど」
「何です?」
「お嬢ちゃん、処女っしょ?」
「可愛い女の子にあげる予定なんや!!」
「いやそっちじゃないそっちじゃない。てゆーか劇的性癖暴露やめて? そんな趣味ないから俺」
「あら意外。……殺し、ですね?」
「その通り」
パチン、と指を鳴らし、男は覆面下の頬を歪ませる。
そう、男が言う処女というのは男で言う童貞だ。
殺しの、童貞。
「好きで人殺しなんてしませんよ、失敬な」
「だが、いつかはする日が来るぜ? その時、お前はどうする?」
「気合いで」
「雑ッ。……いやいや、そうじゃなくてだな。例えばお前の足下で転がってるそいつ」
男が指差したのは、先にスズカゼを地中へ引き摺り込んだ人物だった。
峰打ちで倒したが故に未だ息をしており、いや、そろそろ目を覚ましてもおかしくはない。
男が言うことは理解出来る。
今、その人物が目覚めれば端的に言って二対一。
スズカゼは圧倒的に不利となるだろう。
ならば、さっさと殺してしまえば良い。そうすれば気にすることもなく戦えるのだから。
「だが、お前はそれをしない。何故だ?」
「気分が悪いから」
「甘いねェ。甘すぎて甘すぎて甘すぎて……、反吐が出る」
「そのまま喉に押し返しますよ。全部」
「ちょっとぐらい吐かせてお願い。……冗談は置いといて、だ。お前はどうするつもりだ? もし本当に殺さなきゃならねぇ時が来たら、お前は」
「決まってるでしょう。そん時ァ……、殺すことを殺してやります」
背筋に悪寒が突き刺さり、爪先から脳天までを恐怖が駆け抜ける。
悍ましい。何と悍ましいことか。
この小娘は本気でやるつもりだ。殺るつもりだ。
殺すことを、殺すつもりだ。如何なる手段を用いようと、決断を下すのだろう。
手を汚さないだとか毛嫌いしているだとかではなく、このテの人間は決めたことを貫き通すことに全てを掛ける。
今は殺す殺さないという言葉で意思を交わしているが、もしその殺す殺さないが何か他の物にすり替わった時。
そして、それが彼女以外の何かーーー……、それこそ仲間にすり替わった時。
手を出した者がどうなるか、想像に難くない。
「良い。ゾクゾクする」
「変態ですか」
「いやお前にだけは言われたくないんだけど。……んじゃ、そこのは殺さない訳ね」
「えぇ、まぁ、殺しませんが。出来ればふん縛って天国に行ったシン君の仲間に謝罪させてやりたいですよ」
「そりゃ結構。俺も任務に忠実な部下が殺されるのは忍びないんだ。てな訳だが、俺自身は割とどうでも良くてね」
「……要するに?」
「続きをやろうや。出来ればそいつに邪魔されない程度にな」
「ですよね。この戦闘狂め」
「それ褒め言葉」
「……変態?」
「いやだから、それはお前だお前」
「百合っ子と言えッッッッッ!!」
「何でそこでキレんだよ。もうヤダこの娘」
男が覆面の目だし部分を両掌で覆った、その時。
スズカゼは足音すら立たせずに地を蹴り飛ばした。
彼が反応を終わらせ、眼前へと視界を向けた時。
映ったのは紅蓮の刃。仮面を切り裂くべく、次こそ全力で振り抜かれた一撃。
「……良いね、その不殺の殺し方は」
紅蓮の刃を受け止めたのは彼の仮面でも、腕でも、武器でもない。
ただ一枚の、向こう側が透けるほど薄い結界だった。
薄紫色の、結界だった。
「……貴方ですか」
「何が、とは聞かないぜ。ご名答だ」
「では、全力で」
「俺も応えよう、スズカゼ・クレハ。そしてもう一度質問だ。ーーー……ちょっと殺り合おうや、お嬢さん」
「ならば私ももう一度答えましょう。……喜んで」
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