狂乱を魅入りし死神
【シーシャ荒野】
「……これですか」
スズカゼとシンが見上げた先、否、最早、眼前。
腕を伸ばせば届く位置にそれはある。
天を覆い尽くす紫透明。肌先の産毛を焦がす危機感の嵐。
背筋が曲がろうとするほどに、それが危険だと本能が訴えている。
「そうッス」
シンはスズカゼよりも数歩下がっていた。
その危険性を知るが故に、決して近付こうとはしない。
この結界に触れれば全身が消滅、或いは抉られるのだ。
自分を庇った仲間はこれに文字通り[圧砕]されて、死んだのだから。
「多分、この結界は触れた者を消滅させるッスね。それでいて、その硬度はかなり高い。何より分厚いッス」
「分厚い、ねぇ」
「俺の仲間はこの結界に押し潰されたッス。つまり、それだけの分厚さがある。普通に攻撃しただけじゃ意味がないッスよ」
「…………ふぅん」
確かに、シンの言う通りだ。
普通に攻撃しただけでは砕ききれないだろう。
そして、未だこれだけの威力を放つという事は、保持されているということ。
即ち亀裂を入れた程度では何ら意味がないという事だ。
「一気に砕くしかない、と」
「一部の穴を探すしかないッスね。……あるかどうか解らないけど、何もしないよりは」
スズカゼは深く腰を落とし、大きく足を開く。
その手は鞘に、その指は柄に。
紅蓮の刃を構えて彼女は大きく、しかし静かに息を吐いた。
「少し離れて」
何をするのか、とシンが問うことはない。
眼前の少女を見れば何をするのかなど愚問であるからだ。
破る気だ、この結界を。
「……」
しかし、どうやって?
まさか刃で斬る訳にはいくまい。結界に触れれば消滅するのだから、刃ごと消えてしまう。
第一、斬り切れないのだ。刃を全て突っ込んで腕まで突っ込んで、漸く貫ける。
そういう、結界だ。
「天陰・地陽」
それがどうした。
スズカゼにとっては数センチだろうが数メートルだろうが数ガロだろうが関係ない。
その技は全てを喰らう。魔力で構築された全てを暗い尽くす。
天を覆おうが地を這おうが、それら全てを喰らい着くせる。
「……は、ははは」
笑い声も、零れるだろう。
自身があれほど恐れた結界が破られたのだから。
結界のみでなく天の白雲を斬り地の土嚢を抉りて、それは放たれた。
少なくともシンの視界全てを破壊した、その一撃は。
「行きましょう」
それでいて、少女には息切れ一つない。汗一筋すら零さない。
平然と、白煙を上げる紅蓮の刃を鞘に収め、歩き出した。
シンは額から汗を流しながらも彼女の後に付いていく。
嘗て自分が見た、あの華奢な少女はここに居ないのだろうと確信しながら。
眼前の少女が人ということに、違和感を抱きながら。
【シーシャ国跡地】
「なっはっはっは! やァりやがったア!!」
チンピラは立ち上がり、拍手喝采を送る。
その頬は切り裂かれたように広がっており、牙は剥き出しで眼球も見開かれている。
彼の笑みも、最早、大爆笑だろう。三割の焦燥故の大爆笑。
残り七割は、期待。
「おォい! 誰か居るかァ!?」
彼の怒号に近い叫び声。
それに反応して何人かの隊員が慌てて入ってくるが、皆の顔は一気に青ざめた。
男に恐怖した訳ではない。かといって自らが不祥事を犯した故の恐怖でもない。
それは、ただ、未来への恐怖。
「[獣人の姫]の相手は俺がする。最高の、最高の相手になるぜ」
その言葉が指し示す意味は三つ。
一つ、彼女の相手は自分達では務まらないということ。
一つ、自分達が相手取るのは残る一名だということ。
一つ、スズカゼ・クレハが死ぬということ。
「し、しかし! それでは貴方様が!!」
「良ィんだよ。あの女はあの方の予想を遙かに超えてやがる。お前等が許容できる誤差の範囲を超えてんの。お解り?」
「……我々の任務はこの地の確保と操作。部外者の排除はあくまで過程的な」
「だが必要だ。だろ?」
もう止まらない。
この男のことだ。計画を破綻させるほどの無茶はしないだろう。
だが、裏を返せば計画を破綻させない程度ならば何でもする、ということ。
そして彼はスズカゼ・クレハに目を付けた。自身達の主は彼女を酷く気に掛けていたが、そこに殺すなという文字は無かったのだ。
それ即ち、最早、彼女に生き残る術は無いということ。
「……結界はどうするつもりです」
「適当に張っとくさ。どうせ一回は破られたんだ。二回三回張っても無駄だろ」
「援軍が来た場合は?」
「それを処理すんのはお前等の役目だ。元々、俺の得意分野は結界じゃねぇんだしよ」
にぃ、と。
その笑みの質は変化する。
彼の手もまた、大きく広げられた掌から二本の指へと。
盾から刃に、変わる。
「さぁーーーーーーーーーーー…………て」
男は完全覆面を身につけ、その顔を黒く染め上げた。
金髪と眼光のみを露出させた様はまるで、死神。
戦乱の狂気を背負い、盾という刃を持つ、死神
「楽しもう、楽しもう、楽しもう。こんな強敵は久々だ。やはり俺達に平穏は似合わねェ」
男は立ち上がり、部下達は道を空ける。
その狂気に呑み込まれないように。あくまで自分達の平静を保つ為に。
「始めようかァ」
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