座礁した船の一室で
《ポートワイル海岸旅船・第一船室》
指先が痺れる。口の中が鉄臭い。
全身を動かす事が、怠い。このまま意識を闇に沈め続けたいと思う。
深く、地に沈み逝きそうなその意識を。
永遠と沈め、沈め、沈めて。
全てを投げ出したい。
然れど、それは許されないのだ。
幾ら身体が怠くとも、その意識は揺らがない。
揺らいではならないのだ。この意識を闇に沈めれば、きっと。
自分はもう刀を振るうことは出来ないだろうから。
「ーーー……ッッ!!」
全身が跳ね上がるように、彼の意識は覚醒する。
否、跳ね上がると言うよりは痙攣だろう。自身の血肉に刻まれた冷酷を振り払うように、彼の骨々が毛先に到る一端まで震えたのだ。
故、その脳髄に激震が奔り、彼の沈まぬ意識を沈み逝く身体に呼び戻したのである。
「はっ、はっ……」
気付く。
自身の身体に包帯が巻かれ、傷の手当てをされていることに。
そんな事では誤魔化しきれない激痛が全身を這いずり回っていることに。
気付く、気付かざるを得ない。
「……ここは」
その身が揺らぐ。意識だとか激痛だとか、そんな物ではなく。
窓からは海が見える。恐らくは船の中だろう。
だが、手当てされてるのはどういう事だ?
自分は確か、シーシャ国で襲撃を受けてーーー……。
「目覚めましたか」
青年は無理やり首だけを動かし、彼女を視界に映す。
紅蓮の刃を持ちて椅子に座す、その少女。
嘗ての喧騒の中、目に掛かった一人の少女を。
「……スズカゼ・クレハさん」
「お久し振りです。シン・クラウンさん。……何があったんですか?」
彼は、[剣修羅]シン・クラウンは、嘗てギルドで一件に巻き込まれた時、スズカゼが出会った青年は、天井を見上げ静かに息を吐く。
自身に何があったかを言うべきではない。言えば間違いなく彼女は首を突っ込むだろう。
然れど、ここで何もしなければ、自分はきっと、もう刀を振るえなくなる。
何も出来ぬ、腑抜けになってしまう。
「……シーシャ国っていう国が、あるんです」
身体を動かさぬまま、彼は呟く。
スズカゼはその国名に聞き覚えがあった。
嘗て、北国一行と勘違いから闘争に発展してしまった一国だ。
最終的にはギルドの、何と言ったか。まぁ、女性がやってきて後始末を行ったはずだが。
「そこの国で俺は警備を行ってました。ギルドからの依頼だったッス。金はそこそこ高かったけど暇だから、って。剣の修行をするには良い滅国だからって聞いたんで依頼を受けました。……けど」
「何かあったんですよね。その傷を見る限り」
「……襲撃を、受けたッス」
警備、というぐらいだ。
恐らくは数人、いや、数十人は居ただろう。
そしてシンがこの姿であるという事はーーー……、結果は言うまでもない。
「俺は、ギルドに報告に行かなきゃならない。増援を頼まなきゃならない。……けど、俺はここで逃げたら一生剣が振れなくなる。だから、俺は逃げない」
「どうするつもりです」
「……スズカゼさん、ギルドに報告に行ってくれねぇッスか? 俺の貯金全部あげます。そんなにねぇけど、鉄鬼のオッサンに言えばくれるはずッスから」
「死にに行くつもり、ですね」
「ケジメっつーか何つーか。剣に捧げた人生だけど、信念に捧げるのも悪くねぇっつーか……。まぁ、そんなトコです」
苦笑する彼の瞳に、楽観の色はない。
本当に死ぬつもりだ。自身の腕が千切れようと足が砕けようと、刃を噛んで相手の喉元を切り裂く、眼だ。
こういう相手は初めてじゃない。今まで相手にした人に居ない訳ではなかった。
然れど、それを実践するのは別だ。実践しきれる人間は、正しく[修羅]である。
人を逸脱した、[修羅]。
「……メイドさーん」
間延びしたスズカゼの声に、奥の部屋からメイドが姿を現した。
彼女の手には湯気立つお粥が持たれており、とても胃奥が癒やされるような薫りが充満する。
不安げな笑顔と共に、メイドはシンの隣にそれを置いてスズカゼの隣に腰掛けた。
「はい、何でしょう」
「行き先変更、私とシン君はここで降ります。メイドさんはサウズ王国に戻る前にギルドに寄って報告のほどお願いします。序でにジュニアも連れて帰ってください」
「……危ないですよ」
寂しげに笑む、メイド。
ジュニアも自身の親が危険を冒すと本能的に察知したのだろう。
その頭をスズカゼの頬に擦り付け、行かないでと言わんばかりに情けない声を出す。
「それで止まるとでも?」
「ですね。ゼル様の苦悶が頭に浮かびます」
彼女達の受け答えはシンを少なからず驚愕させる。
確かに自分はギルドに報告して欲しいと願った。しかし、まさか着いてくるとは思わなかったのだ。
奇想天外な人物だという事は知っていたが、死地にまで着いてくる阿呆だとは知らなかった。
「いや、これは」
「見知った顔を死にに行かせるほど薄情じゃないし、自分も死にに行くほど馬鹿じゃない。それに、貴方ほどの人材を殺すのは惜しい」
魔術を持たず、魔法を持たず、超人的な力を持たず。
ただ剣のみに全てを捧げた男を、どうして見殺せようか。
彼の、何度も裂けては塗り潰された掌が全てを物語る。
その剣への思いを、全てを。
「捨てるなよ。自分の剣でしょう」
少年の目に彼女が如何なる姿で映ったかは解らない。
しかし、その芯の通った声は彼の意識を払拭する。
憤怒、決意、憎悪、信念、覚悟。
それらを残して、焦りだけを。
「……やっべぇ、マジで惚れそう」
「性転換してから出直してきてください」
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