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獣人の姫  作者: MTL2
北の大国
423/876

鬼威なる面と白銀の交渉


《鬼面族の村・族長の家》


「では、取引の内容を確認しましょう」


その小さな部屋には七つの人影があった。

まず机を囲み座すスズカゼ、アメールとアギト、フェベッツェとダーテン。

そして入り口を固めるラウディアンとユーラの七人だ。

状況的に見ればスノウフ国側の面々が余りに不利だろう。圧迫外交など比で無いほどに。

然れど、違う。然れど、そうではない。

部屋の入り口を固め、背よりスノウフ国の面々を圧迫するはずのラウディアンとユーラの二人は震えていた。

肺胞を鷲掴みにされ握り潰されたが如く息は出来ず、心の臓腑を貫かれたかのように全身が凍える。

ただの、獣人一人相手に。

否、四天災者[断罪]一人相手に。


「そちら側の条件は自国への不可侵条約の締結でしたね」


「その通りだ。呑んでいただけるのであればスズカゼ・クレハ嬢を無傷で返還すると約束しよう」


「……ダーテン、ここに居る人達を全て倒した上でスズカゼちゃんを救えるかしら?」


その一言と共に、アギトは眼光を呻らせ、ラウディアンとユーラは壁から背中を飛び上がらせた。

この提案を予想していなかった訳ではない。故に、アギトの拳がいつでも捕らえられる位置にスズカゼは居る。

彼女自身が動こうとも充分、人質に出来るその位置に。


「出来なくはありませんが、無傷は保障出来ませんね。……それにフェベッツェ様、思いもしない事を述べるのは良いとは言えません」


「あらあら、そうね」


ふふっ、と笑みを零すフェベッツェだが、その瞳が冗談を述べる老人のそれには見えなかった。

あくまで牽制。あくまで誇示。あくまで注意。

然れど、彼女の隣には今、その[あくまで]を取り払う事が出来る者が居る。

天災を起こしうる最悪の存在が、罪を断する異名を持つ、存在が。


「良いわ。その条件を呑みましょう。元より攻め入る気はないからね」


「せ、攻める気はない?」


今まで黙っていたアメールも、流石にこの言葉には反応を示す。

ここまでやったと言うのに行う気も無かったと言われれば当然だ。

然れど、アギトの眼光は揺るがない。

その言葉があくまで建前である事を、知っているから。


「……例え貴様がそうであろうと、スノウフ国の貴族、いや、元老院はどうだ? 他大国は? 権力を占めそうと聖死の司書スレイデス・ライブリアンに襲撃を掛けた連中はどうなる?」


「それも今回の一件を元に黙殺されるでしょうね」


「黙殺される、か。つまり既に案は出ていた訳だ」


腰を椅子へ沈めたアギトの目には侮蔑の色がある。

対するフェベッツェの瞳には狼狽も驚愕も、後悔の色すらない。

最早、それは確認作業でしか無かった。双方の合意の元、現状を確認する為の確認作業。

然れど、その確認作業に意味はない。

[あくまで]自己満足。[あくまで]現状確認。


「……取引は成立だな。数々の非礼を詫びると共に、後日、スズカゼ嬢を返還する」


「それは駄目よ。私もここに滞在するわ」


息を吐き、肺を潰す。

今まで侮蔑か冷悪にしか染まらなかったアギトの瞳は、初めて驚愕に見開かれた。

ラウディアンやユーラもそうだ。彼等は出ない声を振り絞り、或いは開けっ広げに奇声を発している。

当然だろう。本来ならば踵を返すべき老婆が敵地に留まると言うのだから。


「ダーテン、お泊まり用の着替えは持ってきてくれたかしら?」


「えぇ、ここにありますよ。あ、どうせなら[天候神・ウェイザムラフス]の指輪も預けましょうか?」


「嫌だわ、もう。こんなお婆ちゃんに無理をさせるつもり?」


「これは失礼。では三日後には迎えに来ますので」


「そうして頂戴ね。あぁ、ラッカルちゃんと一緒に今回の一件の顛末を元老院に通達して欲しいわ」


「是非とも。お体に気を付けてくださいね? 前みたく高いところの本を取ろうとして腰を痛めないように」


「あらやだ、お婆ちゃんを心配してくれるのは嬉しいけれど、淑女レディの扱いとしては減点よ?」


「これは失礼、美しき主よ(レディ)


そのやり取りに、いったい誰が反応できようか。

つい先程まで北一帯の命運を左右する取引が行われていたと言うのに、だ。

今は老婆が遠出するのを見送る介護士のやり取りにしか見えない。

今し方、皆に一礼して出て行ったのが大陸一つすら消し去る天災なる者に、誰が見えよう。

今し方、部屋の中でスズカゼへ嬉しそうに替えの衣服を見せる老婆が北国の最高責任者とは、誰が思おう。

老婆に話しかけられて大胆な服着てますねぇと感心する少女が東国の伯爵だとは、誰が思おう。


「じゃぁ、私は何処に泊まろうかしら?」


「……もう、好きにしてくれ」


その言葉と共にスズカゼは立ち上がり、自分が縛られていた部屋へとフェベッツェを案内していった。

アギトは額を抑えながら、アメールに彼女達へ同行するよう催促する。

その酷く疲れた声を聞いては流石に彼女も断る訳にはいかず、とてとてとその後を追っていった。


「い、良いのかよ、若! 相手は仮にも……」


「それが狙いだと気付け、ユーラ。相手の最高責任者に怪我でもさせてみろ。誘拐とは訳が違う。我々が危害を与えないという事を前面に押し出して交渉していた意味は何だ? あくまで立場的優位に立つ為だろう」


「って事は、あの婆さんは」


「自分まで人質になった上で危害を加えられれば四大国が黙っていない。貴族共に催促されて嫌々進軍するのとは訳が違う。我々は本当に、毛先一本残さず滅ぼされる事になるだろう」


「全部、計算通りかよ……」


ユーラは思わず腰を落としていた。

自分から人質になり、あの女性は示したのだ。

いつでも貴方達を滅ぼす事が出来る、と。そんな事は容易い、と。

ただ取引に乗った上で、そう示したのである。


「……一枚、上手か」


残された者達はため息か、或いは疲労感しか起こす事が出来ない。

最悪の脅威を前にしていたからではない。老婆に上を行かれたからではない。

大国が大国たり得る理由を見せつけられたが、故に。



読んでいただきありがとうございました

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