少女の小さな思惑
「…………」
メメールは何も言わない。言えない。
ただ焦燥に口を紡ぎ、脂ぎった皮膚の上に汗を滑らせる。
そんな彼を見るのは困惑に眉根を寄せるメタル。
怪訝そうに眼光を呻らせるファナ。
そして、彼を正面から捕らえるスズカゼだった。
「答えてください」
彼女の言葉に、メメールは固く結んでいた口を開いた。
それでも言葉は出て来ないのか、乾ききった喉を無理やり動かすようにぴくりと唇を震わせる。
スズカゼの眼光はそんな彼に対しても容赦なく向けられており、衰える様子すら見せることはない。
「……め、メタルさんの言う通り言いがかりです。そんな自国に不利益になるような事をするとでも?」
「動機は私の知る所ではないのは事実です。だから、これを貴方が否定すれば私は何も言い返せない」
「では……」
「貴方が、民の前で胸を張れるのなら。私はそれで構いません」
メメールは目を見開き、顔面の筋肉を強張らせる。
スズカゼには確信があった。
彼は嘘をつける人間だ。ごまかせる人間だ。仮面を被れる人間だ。
だけど、決して大切な物は譲らない、長たるべき人間だ。
だからこそ嘘を言えない。民という存在を前に出せば、決して。
「……わた、しは」
恐らく、彼を支えているのは虚栄心や虚偽心などではない。
それこそ純粋に民という家族を思うが故の心だ。
自分が退き、もし獣人否定派が長に就いたら、という恐怖の為に。
彼は未だ自責の念に駆られながらもその口を閉ざしているのである。
「おい、スズカゼ。この辺にしとけ。もう良いだろ」
「……メタル。随分とこの男を庇うのだな」
「お前なら解るだろーが! 一国の長だ。何かしら抱えてても不思議じゃねぇだろ! それに、実質上は事件は解決してるし、これ以上、事を荒立てる必要もねぇんだ。さらに言えばクグルフ国は主業を失った状態にある。メメールだって楽な状態じゃないだろうに、これ以上問い詰める必要があるのか、って話だ!」
「……違いますよ、メタルさん」
「何が違うんだよ!」
「多分、ですけど。……メメールさんは自分を壊します」
「はぁ?」
「愚者の思考は己を蝕み、愚者の行動は己を壊す……。……ある人からの受け売りですけどね」
「……愚者、か」
ファナは鋭い視線をメメールへと向ける。
それに気付いた彼はびくりと肩を震わせて顔を伏せた。
「愚者ではないと思います。言葉の綾ですから。……けれど、このままでは本当に愚者になってしまう」
「どういう意味だ?」
「メメールさんは自責の念で自分を壊してしまうかも知れない。……そういう事ですよ」
自責の念は人を壊す。
それは今までの彼女の人生でも体験済みだ。
悪い事をすれば謝らなければならない。
それを黙っていては苦しくなってくる。
子供でも知っているような事だろう。
それに、メメールのような人物なら尚更だ。
民に大して虚偽の姿を見せ続けられる程、彼は非情な人間ではない。
それは今の様子を見ても解る。
「私は、それだけは決して見たくない」
「スズカゼ……」
「……メメールさん。貴方は」
「違います!!」
メメールは声を張り上げて否定した。
彼は自分のその声が信じられないと言ったように狼狽え、辺りを見回す。
彼の目に映ったのは驚愕したスズカゼやメタルだっただろう。
だが、彼はもう止まれないと言わんばかりに言葉を続けだした。
「私はそんな事は知らない……! 貴女達は確かに我が国を救ってくれた英雄だ! しかし、だからと言ってそんな言いがかりを享受する理由にはならない!!」
「…………」
「もう出て行ってください! 相応の謝礼は今度サウズ王国に送ります!! もう、もう出て行ってくれ!!」
叫び終えたメメールは酷く息を切らしながら、大きく肩を揺らす。
全てを言い終えてしまった彼は、もう何も言う事はなかった。
力無く腰を椅子に落として、右手で汗にまみれた顔面を押さえる。
そんな彼の様子は、とてもいたたまれない物だった。
「……スズカゼ、もう良いだろ。今回の件は終わったんだ」
「まだです」
「スズカゼ! これ以上食い下がってどうする!? 厄介ごとを増やすだけだろーが!」
メタルの怒号にも、スズカゼは何も答えない。
彼女はただ黙ったまま顔を押さえるメメールに視線を向けていた。
そして、静寂。
場を痛々しいまでの静寂が包み、誰も言葉を発することはなくなった。
ある者は思考し、ある者は怒り、ある者は静観し、ある者は困惑する。
そんな空間を破ったのは、小さなノックの音だった。
「入ってください」
入室を許可したのは、メメールではなくスズカゼ。
彼女はノックされた扉に振り返る事無く許可したのだ。
そんな彼女を注意しようとしたメタルだったが、入室してきた人物を見て思わず口を閉ざしてしまった。
「め、メイド?」
「お待たせしました。スズカゼさん」
メイドはその手に持っていた外套をスズカゼとメメールの前の机に置いた。
それは何の変哲もない、少し泥が跳ねた程度のただの外套だ。
だが、ファナの視界に映ったのはその外套を見て言葉を失うメメールの姿だった。
「出来れば、これを出す前に貴方には自白して欲しかった」
「どうして……、これを……」
「考えれば簡単な事でしたよ。私達ですら外套を纏っていたのだから、当然、貴方達も外套を纏っていたはず。そして、慌てて山を下ってきたのなら必ず外套に汚れは付く」
「……ッ!」
「城内の方々に当たって、外套の置き場所を聞いてきました。恐らくクグルフ山岳に行ったことを秘密裏にしているならば外套も洗濯できないはず。放っておけばいつしか誰かが洗濯しますから……」
メメールはメイドの言葉に、歯を強く食いしばった
図星だ、迂闊だった、と。
そう言いたそうに、ただ。
「……私がすぐにこれを出さなかったのはメイドさんに探して貰っていたこと以上に、貴方に自白して欲しかったからです」
スズカゼなりのチャンスだったのだ。
メメールが自白するであろう、と。
彼により有利な条件下で、自白して貰おうと。
それが解ってしまったからこそ、メメールは余計に悲しかった。
「っ……」
メメールは顔を押さえていた手を、懐へと移動させる。
その事に気付く者は誰も居らず、ただ彼の今にも壊れそうな表情に視線を向けていた。
「……こんな方法じゃ、貴方は」
直後。
メメールは懐から銀色の光が走る。
ファナが掌を構えるよりも早く。
メタルが武器を召喚するよりも早く。
メイドが叫ぶよりも早く。
それは、突き刺された。
「スズカゼさーーー……ッ!」
微かに零れ出た、メイドの悲鳴。
だが、彼女のそれは自身の驚愕によって塗り潰される。
「……出来ない。出来るはずがない!!」
メメールは大粒の涙を流しながら、そう叫んだ。
彼の持つナイフの刃が突き立てられたのはスズカゼではなく、その前の外套だった。
机ごと刺し貫かれた外套はその場に留まり、一線の破れ目を生み出される。
「貴方は救ってくれた、清算してくれた! 私の愚かな行いを……!! なのに、その恩人を刺すなんて、再び愚行を繰り返すなんて私には出来るはずがない!!」
太い指の間から涙を溢れさせて。
メメールはただ、ただ、懺悔の言葉を溢れさせる。
彼のその言葉よりも多く落ちた涙は外套の上へと降り注ぎ、やがて消えていく。
「……クグルフ国の皆さんに、私からこの事は公表しません。貴方に任せます」
スズカゼはそう言って立ち上がり、メメールへと背を向けた。
彼女に合わせるようにファナも、そしてメイドも立ち上がる。
ただメタルだけが困惑するようにその場に立ち尽くしていた。
「だけどよ、スズカゼ……。メメールがこの事実を自分から公表したとしても、もう主業を失ったクグルフ国は…………」
「あぁ、その事なんですけど」
「……ん?」
「少し良い考えがあります」
スズカゼはにぃっと笑み、白い歯を見せた。
何処か悪巧みしたようなその表情に、メメールはただ困惑する。
いや、メメールだけではない。メタルもメイドも、ファナもそうだ。
だが、彼女のその笑みの裏には確信があった。
自分の提案こそがこの国を救うという、確信が。
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