白霧の事件は落着す
「ラッカル・キルラルナ……」
思わず、スズカゼはその名を口の中で反芻していた。
スノウフ国の聖堂騎士団副団長、ラッカル・キルラルナ。
言うまでもなくピクノと同国の、同組織の、上司に当たる人物。
どうして彼女がピクノとジュニアを攫ったのだ? いや、そもそも自分を迎えに来たというのはどういう事だろう?
……否、どういう事かなど、どうでも良い。最早、この状況で考えられる事は二つ。
一つ、彼女がスノウ宇国を裏切った。そして、一つ。
「私を試したんですか」
「そっ。興味があったのよね! 東の大国を変えた[獣人の姫]がどんな人物なのかーーー……」
「そんな事のために、私達を巻き込んだと?」
「怒らないで欲しいわね。心配しなくても今頃はピクノちゃんとドラゴンは別の場所でのんびりお茶してるわ」
「なら良いんですけど」
「あ、良いのね、それで」
苦笑するラキ、否、ラッカルだが、それでも警戒は解かない。
口では構わないと言っているスズカゼだが、その刃は未だ白霧の中に漂っている。
まぁ、散々騒がせた挙げ句に全て自分が仕組みましたと言えば怒られても仕方ないが。
「わ、我々は……、我々は……」
「あ、ちょっと良い? スズカゼちゃん。取り敢えず盗賊団一行にはご退場願うから」
「さっきみたいなのは認めませんよ」
「流石にしようとしないわよぅ。[牢孕竜・フーセボン]」
彼女が召喚したのは、端的に言えば鱗で出来た風船だった。
いや、風船に爪の着いた手足と尾、そして小さな頭を見れば名前の通り[竜]と言うのも解らなくはない。
解らなくはないが、これは、何と言うか。
「バレーしようぜ!」
「何言ってるの、貴方」
「いえ、何か言わないといけない気がして」
「そ、そう。取り敢えずフーセボン!」
フーセボンはポンポンと甲板上を撥ねて、盗賊団達へ近付いていく。
彼等は恐れを成してか数人が逃げようとしたのだが、小舟は元よりブルレドワームすら既に姿を消していた。
海面を焦がす紅蓮の焔が、全てを燃やし尽くしたからである。
「やっちゃって!」
{ボンッ}
竜が口を開けたかと思うと、その身は一気に萎んでいく。
捻れた糸のように細くなったその姿など、目を疑わずにはいられない。
いや、それ以上に次の瞬間起こった出来事の方が余程、目を疑った。
盗賊団達全員が竜に吸い込まれた、その出来事の方が。
「んなぁあああっっっ!?」
ちゅるん、と。
喉越しの良い麺を呑むように、ちゅるん。
竜の腹は数倍に膨れ上がり、ボンッと弾けるような音を持って肥大化する。
文字通り、大人十人分ぐらいに。
「……何したんですか」
「食べたの」
「見りゃ解りますよ!? そうじゃなくて!!」
「あぁ、[牢孕竜・フーセボン]はその名の通りお腹の中を牢屋としているのよ。中からも外からもちょっとやそっとの攻撃じゃ壊れないわよ」
「胃液で溶けません?」
「服だけ溶けたら良いなって思ってるわ」
「ちょっとそういう風に改造しましょうよ。ただし女性限定で」
「それはちょっと難しいんじゃないかしら……」
風船が如き竜はふよふよと浮きながら、赤錆びた手摺りに当たっては跳ね返りを繰り返す。
まるで檻に閉じ込められた風船だな、というムーの呟きは決して間違いではないだろう。
いや、何にせよスズカゼとラッカルは彼女達含めメイドや船長、船員達に説明しなければならない。
今回の一件が何を原因とし、起こったのか。何がこれを引き起こしたのかを。
「取り敢えず、ラッカルさん。ピクノさんとジュニアを解放して貰えますか。メイドさんを安心させないと」
「えぇ、勿論。それはそうと一つ聞きたいんだけれど良いかしら」
「何です?」
「そこの獣人達、愛でても良い?」
「私も一緒なら」
「よし、交渉成立ね」
「キシシシッ、おい逃げるぞ」
「何処にだよぉちくしょぉおおお!!」
「うふっ……、スズカゼお姉様とまた……、ふふっ」
結局、スズカゼとラッカルの企みは全ての事態を知ったメイドの満面の笑みによって止められる事になる。
その後に彼女達がメイドより数時間の説教コースを受けたのは言うまでもない。
《???・???》
「……ポートワイルに出向していた連中からの連絡が途絶えて何ヶ月になる?」
「さて、どれ程までかは知らん。四天災者の襲撃を受けたというのが最終通告だしな。生き残りがどれ程居るか……」
「四天災者とは言え、相手はあの[断罪]だろう。奴は無闇な殺生はしないそうだが?」
「どうだか。昔は相当荒れていたという噂も聞く」
「昔の話だし、所詮は噂だ、信ずに値せんな」
「よい。問題点はそこではない。我々が危惧すべきは連中から情報が漏れているかどうか、という事だ」
「別に問題はないだろう。奴等は末端も末端じゃないか」
「末端だからこそ、妙に情報を肥大解釈していないかっつー事が心配なんだろ? 若様はよぉ」
「若様言うな。良いか? 我々の目的は北の大国、スノウフ国への牽制攻撃にある。四大国条約が結ばれた今、我々が国土を護るにはそれしか無いのだ」
「話に聞けば彼の[獣人の姫]が北国を訪れるという。危険視する対象が増えるな」
「全くだ。場合によっては……」
その者達は互いに視線を合わせ、刃を交え合う。
この行為は闘争の意思に他ならず、今し方話題に出ていた物への敵意に他ならない。
武器を構える者達の[獣人の姫]に対する敵意に、他ならないのだ。
「我等が一族の名誉が為に」
「名誉が為に!」
微かな火花が散り、白銀の刃は擦れ合う。
灯火よりも小さな花が照らすのは仮面だった。
牙を生やし角を尖らせる、劣悪なる姿。
それはまるで、鬼のようなーーー……。
「おーい、姫様がお茶淹れてくれたって-!!」
「……取り敢えず休憩挟もうか」
「冷めたら不機嫌になるしな」
「締まらないな、どうも……」
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